相川七瀬のデビュー曲がブラジルの盆踊りで20年以上愛される理由
2026年10月17日放送の日本テレビ『アナザースカイ』では、歌手の相川七瀬さんがブラジルを訪れ、デビュー曲「夢見る少女じゃいられない」を通じて生まれた現地の人々との特別なつながりをたどります。
1995年に日本で発売された「夢見る少女じゃいられない」は、地球の反対側にあるブラジルで、20年以上にわたって「マツリダンス」という独自の盆踊り文化の定番曲として親しまれています。
マツリダンスとは、日系ブラジル人の若者たちが、日本の盆踊りにJ-POPやストリートダンスの要素を組み合わせて生み出した踊りです。
相川さんは、自分の楽曲が長く愛されていることを知り、2024年10月にブラジルを訪問。2025年には日本ブラジル友好交流親善大使に任命され、現地の大規模な祭りで歌声を披露しました。
番組では、空港での熱烈な歓迎や日系人コミュニティとの交流、イグアスの滝を訪れる旅も紹介されます。
日本のロックソングが国境を越え、ブラジルで独自の文化として受け継がれてきた歴史と、相川さんの新たな挑戦を紹介します。
※放送後詳しい内容が分かり次第追記します。
この記事でわかること
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「夢見る少女じゃいられない」がブラジルで20年以上愛される理由
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マツリダンスの誕生と日系ブラジル人が受け継いできた祭り文化
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相川七瀬さんが親善大使となりブラジルで公演するまでの経緯
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2025年のロンドリーナ祭りや日本人街での交流とイグアスの滝の魅力
「夢見る少女じゃいられない」はブラジルのマツリダンスの定番曲
公式動画:JICA「相川七瀬さんが見た 日系社会がつなぐブラジルと日本」
相川七瀬さんのデビュー曲「夢見る少女じゃいられない」が発売されたのは、1995年11月8日です。
織田哲郎さんのプロデュースによって生まれた楽曲で、力強いロックサウンドと印象的なメロディーが人気を集めました。
日本でヒットしたこの曲は、ブラジルの日系人社会にも伝わります。
現地では日本の音楽がカラオケや地域の祭りを通じて受け継がれ、2000年代にはJ-POPに合わせて踊る新しい祭り文化が広がっていきました。
その中で「夢見る少女じゃいられない」は、代表的なダンス曲の1つとなりました。
ブラジルのマツリダンスでは、和太鼓の演奏に合わせてJ-POPを流し、大勢の参加者が同じ振り付けで踊ります。
相川さんの楽曲も、若者たちが一斉に踊る人気曲として長く使用されてきました。
2025年には、デビューから30年を迎えた相川さん自身がブラジルの祭りに出演。大勢の観客が日本語の楽曲に合わせて踊る光景が実現しました。
マツリダンスは2003年にロンドリーナで広まった新しい盆踊り
マツリダンスの歴史を知るうえで重要なのが、ブラジル南部パラナ州の都市ロンドリーナです。
この地域には多くの日系人が暮らしており、日本の文化や祭りを継承する活動が行われてきました。
その中心的な団体の1つが「グルッポ・サンセイ(Grupo Sansey)」です。
グルッポ・サンセイは、日系文化の普及や地域社会との交流を目的として活動する文化団体です。
同団体の公式記録によると、マツリダンスの原型は、パラナ州マリンガで生まれた新しい盆踊りでした。
その後、グルッポ・サンセイが「Matsuri Dance」という名称を使い、伝統的な盆踊りとは異なる踊りとして発展させていきました。
マツリダンスの主な特徴
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日本の盆踊りを基礎としている
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J-POPや歌謡曲を使用する
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ストリートダンスの要素を取り入れる
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和太鼓の演奏と組み合わせる
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大勢が同じ振り付けで踊る
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日系人以外のブラジル人も参加できる
2003年には、第1回ロンドリーナ祭りでマツリダンスが披露されました。
会場では多くの人が一緒に踊り、世代を超えて楽しめる催しとして人気を集めます。
その後も毎年開催される祭りを通じて、マツリダンスは地域に定着していきました。
伝統的な盆踊りの形をそのまま残すのではなく、現地の若者たちが親しみやすい音楽や振り付けを取り入れたことが、文化を次世代へつなぐ大きな転機となりました。
ブラジルで相川七瀬の曲が選ばれた背景
マツリダンスが広がった背景には、日系人社会が抱えていた世代交代の問題がありました。
日本からブラジルへ移住した人々は、故郷の文化を守るため、盆踊りや日本の歌を地域の催しとして受け継いできました。
しかし、世代が進むにつれて日本語を話さない若者も増え、伝統的な行事への参加をどのように促すかが課題となります。
そこで注目されたのが、日本のポップスです。
ブラジルの日系人社会では、もともと日本の歌謡曲やポップスがカラオケなどで親しまれていました。
マツリダンスでは、その音楽を盆踊りと組み合わせることで、若い世代にも参加しやすいスタイルを生み出したのです。
相川さんの楽曲については、力強いリズムや前向きな雰囲気が、ブラジルの祭りの踊りに合うと現地で評価されてきました。
「夢見る少女じゃいられない」だけでなく、「バイバイ。」もマツリダンスの楽曲として使用されています。
日本で発売された楽曲が、ブラジルで新しい振り付けを与えられ、地域の祭り文化の一部になりました。
2024年10月に初めてブラジルのマツリダンスを訪ねた
相川さんは、自分の楽曲がブラジルで20年以上にわたって歌い踊られていることを知り、現地への関心を深めました。
そして2024年10月、念願だったブラジル訪問を実現させます。
現地では、マツリダンスに取り組むグルッポ・サンセイの人々と交流しました。
ロンドリーナの人々が日本の歌を大切にしながら、新しい文化へ発展させていることを知る旅となりました。
2025年には、自分の楽曲が親しまれてきた土地で実際に歌う機会も実現します。
1995年に日本で始まった音楽活動が、約30年を経て南米の人々との交流につながったのです。
2025年5月に日本ブラジル友好交流親善大使へ就任
2025年は、日本とブラジルが外交関係を樹立して130周年となる節目の年でした。
この記念事業の一環として、相川さんは外務省から「日本ブラジル友好交流親善大使」に任命されます。
親善大使の概要
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正式名称:日本ブラジル友好交流親善大使
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任命日:2025年5月26日
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任命者:当時の外務大臣・岩屋毅さん
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活動期間:2025年6月1日〜12月31日
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目的:日本とブラジルの相互理解と文化交流の促進
相川さんが親善大使に任命された背景には、ブラジルの日系社会で楽曲が長年親しまれてきたことがあります。
外務省も「夢見る少女じゃいられない」が現地のマツリダンスで使用されていることを紹介しています。
相川さんは、音楽や祭り文化を通じて両国の交流を深めたいという意欲を示しました。
歌手としてブラジルを訪れるだけでなく、日本とブラジルの文化をつなぐ役割も担うことになりました。
新曲「ワッショイ!」は日本とブラジルの交流から誕生
ブラジルとの関わりが深まる中で、相川さんは新しい楽曲も制作しました。
それが2025年6月21日に配信された「ワッショイ!」です。
楽曲の基本情報
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曲名:ワッショイ!
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歌手:相川七瀬
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配信開始日:2025年6月21日
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発売形態:デジタル配信
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テーマ:日本と世界を音楽でつなぐこと
楽曲には、日本の祭りで使われる「ワッショイ」という掛け声が取り入れられています。
日本の伝統文化への関心を持ち、民俗学も学んできた相川さんにとって、祭りは大切な活動テーマの1つです。
ブラジルでマツリダンスという文化が生まれ、自分の歌が長年使用されてきたことは、新しい楽曲を発表するきっかけにもなりました。
2025年7月7日に行われた「NANASE’S DAY 2025」では、日本の盆踊り関係者とともに「ワッショイ!」を披露しています。
そして同年9月には、ブラジルでのライブでも歌唱しました。
2025年9月のロンドリーナ祭りで現地ファンと交流
2025年9月、相川さんは再びブラジルを訪れました。
今回は、日伯外交関係樹立130周年の記念事業にも関わる訪問です。
9月5日にはサンパウロの「Blue Note São Paulo」で、ブラジル初となる単独ライブを開催しました。
翌6日には、パラナ州ロンドリーナで開催された「第21回ロンドリーナ祭り」に出演しています。
ロンドリーナ祭りは、グルッポ・サンセイが主催する日本文化を紹介するイベントです。
和太鼓や日本の舞踊、音楽、食文化などを通じて、日系人と地域住民の交流を促しています。
2025年の祭りでは、相川さんが「夢見る少女じゃいられない」などを披露し、大勢の観客が一斉に踊りました。
20年以上にわたって楽曲を受け継いできた人々と、その曲を歌う本人が同じ会場で音楽を楽しむ特別な機会となりました。
この交流は、楽曲の人気だけでなく、ブラジルの日系社会が日本文化を守り続けてきた歴史を知る機会にもなりました。
サンパウロのリベルダーデで日系社会の歴史に触れる
相川さんは、ブラジル最大の都市サンパウロにあるリベルダーデ地区でも交流を行っています。
リベルダーデは、世界最大級の日本人街として知られる地域です。
日本食の店や日本文化を紹介する施設が集まり、現在では日本のポップカルチャーを楽しむ若者も多く訪れています。
2025年9月には、リベルダーデ広場で「第1回リベルダーデ盆踊り」が開催されました。
相川さんはこの催しに出演し、「夢見る少女じゃいられない」と「ワッショイ!」を披露しました。
ステージの前では、日系団体のメンバーが法被を着て踊り、多くの来場者が音楽を楽しみました。
また、相川さんはリベルダーデにある日本移民史料館も訪問しています。
この施設には、1908年から始まった日本人のブラジル移住の歴史を伝える約9万7,000点の資料が展示・保管されています。
相川さんは、移民一世が厳しい環境の中で暮らしを築き、現在の日系社会へつないできた歴史に触れました。
ブラジルには約270万人の日系人が暮らしており、その人口は世界最大規模です。
日本から遠く離れた場所で日本文化が守られ、さらに新しい形へ発展していることが、相川さんのブラジルとの関係を深めています。
民俗学を学ぶ相川七瀬が日本とブラジルの祭り文化をつなぐ
相川さんは、音楽活動の一方で、日本の伝統文化や祭り、信仰について学んでいます。
2024年には國學院大學神道文化学部を卒業し、その後は大学院で民俗学の研究を続けています。
また、日本国内でも祭りや地域文化を次世代へ伝える活動に取り組んできました。
岡山県総社市などで赤米の文化を守る活動に関わり、音楽を通じて地域文化への関心を広げています。
ブラジルのマツリダンスも、こうした関心と重なる文化です。
日本から移住した人々が盆踊りを伝え、それを現地で育った若者たちが新しい形へ発展させました。
伝統を受け継ぎながら変化させ、次の世代へ伝えていく。
その過程に相川さん自身の音楽が関わっていたことが、ブラジルとの交流を特別なものにしています。
イグアスの滝はブラジルとアルゼンチンにまたがる世界有数の大瀑布
今回の『アナザースカイ』では、相川さんがイグアスの滝を訪れる旅も紹介されます。
イグアスの滝は、ブラジルとアルゼンチンの国境に位置する、世界最大級の滝群です。
数多くの滝が連なり、広い範囲から大量の水が流れ落ちる景観で知られています。
イグアスの滝の基本情報
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所在地:ブラジル・アルゼンチン国境
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河川:イグアス川
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滝の数:約275
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最大落差:約80m
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主な見どころ:悪魔の喉笛(ガルガンタ・デル・ディアブロ)
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世界遺産:アルゼンチン側1984年、ブラジル側1986年に登録
イグアスの滝は、両国それぞれの国立公園から見学できます。
ブラジル側は滝群全体を見渡せる景観が特徴で、アルゼンチン側では滝の近くまで続く遊歩道から迫力ある水の流れを体感できます。
番組では、この壮大な自然を訪れた相川さんが、旅を通じて感じた思いにも触れます。
相川七瀬のプロフィールとブラジルとの歩み
基本プロフィール
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名前:相川七瀬(あいかわ・ななせ)
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生年月日:1975年2月16日
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出身地:大阪府
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職業:歌手・アーティスト
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デビュー:1995年11月8日
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デビュー曲:夢見る少女じゃいられない
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デビュープロデューサー:織田哲郎
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主な代表曲:恋心、BREAK OUT!、Sweet Emotion
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学歴:國學院大學神道文化学部卒業
ブラジルとの主な関わり
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2000年代:楽曲が現地のマツリダンスで定着
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2024年10月:ブラジルを訪問し日系団体と交流
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2025年5月:日本ブラジル友好交流親善大使に任命
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2025年6月:「ワッショイ!」を配信
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2025年9月:ブラジルで単独ライブと祭りへの出演
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2025年9月:リベルダーデの日系社会や日本移民史料館を訪問
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2026年10月17日:『アナザースカイ』でブラジルへの旅を特集
まとめ
相川七瀬さんのデビュー曲「夢見る少女じゃいられない」は、ブラジルの日系社会で20年以上にわたり、マツリダンスの定番曲として親しまれてきました。
マツリダンスは、日本の盆踊りとJ-POP、ストリートダンスなどを融合させ、現地の若者たちが発展させてきた文化です。
相川さんは2024年に現地を訪問し、2025年には日本ブラジル友好交流親善大使へ就任。ロンドリーナ祭りやサンパウロでのライブを通じて、長く自分の歌を愛してきた人々と交流しました。
日本で生まれた1曲が、海を越えて新しい文化となり、30年後に歌手本人とブラジルの人々を結びつけました。
『アナザースカイ』では、音楽から始まった交流に加え、日系社会との出会いやイグアスの滝の旅を通じて、相川さんとブラジルとの深い縁が描かれます。
参考リンク
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