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塩瀬総本家の饅頭の通販・値段・販売店|1349年創業の老舗が生んだ甘いあん入り饅頭と677年の歴史

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塩瀬総本家|日本の甘い饅頭の原点を築いた創業677年の老舗和菓子店

東京都中央区明石町に本店を構える「塩瀬総本家(しおせそうほんけ)」は、1349年創業の老舗和菓子店です。看板商品は、大和芋を使った薄い皮で小豆あんを包む「志ほせ饅頭」。甘い小豆あんを入れた日本の饅頭の元祖として知られています。

現在は築地エリアの本店や銀座・東京駅周辺の百貨店で購入でき、公式オンラインショップでも商品を取り扱っています。「志ほせ饅頭」は9個入り1,761円、12個入り2,322円などが設定されています。

2026年10月20日放送予定の『プラチナファミリー』では、DAIGOさんが塩瀬総本家を訪問。室町時代から続く家の歴史や、足利義政、徳川家康、千利休らとのつながりが紹介されます。

普段のおやつや贈り物として親しまれている饅頭ですが、その歴史をたどると、室町幕府の将軍、戦国武将、茶人、そして皇室へとつながっていきます。

この記事でわかること

  • 塩瀬総本家の饅頭の種類・値段・通販での購入方法

  • 築地本店の場所・営業時間と百貨店の販売店舗

  • 志ほせ饅頭の製法と甘い小豆あんが生まれた歴史

  • 足利義政・徳川家康・千利休との関係と677年続く老舗の歩み

塩瀬総本家の饅頭の値段と種類

御菓子老舗 塩瀬総本家

御菓子老舗 塩瀬総本家

塩瀬総本家を代表する商品は、白く薄い生地で小豆あんを包んだ「志ほせ饅頭」です。

日本三大饅頭の一つとしても知られ、創業以来の伝統を受け継ぐ看板商品となっています。

2026年10月時点の公式オンラインショップには、次の商品が掲載されています。

  • 志ほせ饅頭 9個入:1,761円(税込)

  • 志ほせ饅頭 12個入:2,322円(税込)

  • 志ほせ饅頭 20個入:3,780円(税込)

  • 兜饅頭 6個入:1,620円(税込)

  • 青白塩瀬饅頭 9個入:1,944円(税込)

  • 志ほせ饅頭・焼菓子詰め合せ 14個入:3,240円(税込)

定番の志ほせ饅頭は、毎日の茶菓子としてだけでなく、手土産や贈答用にも選べる商品です。

また、歴史に関係する特別な商品として「兜饅頭」もあります。こちらは徳川家康に献上されたと伝わる本饅頭の製法を受け継いだもので、塩瀬のこしあんに蜜漬けした大納言小豆を加えています。

店では饅頭以外にも、羊羹、最中、上生菓子、焼き菓子などを販売しています。

塩瀬総本家の通販方法と送料・賞味期限

塩瀬総本家の商品は、公式オンラインショップで全国から注文できます。ただし、商品ページで「只今売切」と表示されているものもあるため、購入時には在庫状況の確認が必要です。

公式通販の基本情報は次のとおりです。

  • 注文受付:インターネットで24時間

  • 当日受付扱い:18時までの注文

  • 配送業者:原則ヤマト運輸

  • 送料無料条件:通常配送対象商品を税込10,800円以上購入

  • 通常商品の配送:原則、注文受付後5日以降

  • 受注生産品:通常14日程度

  • 海外発送:対応なし

通常配送の送料は地域別に設定されています。

  • 関東・中部・関西:880円(税込)

  • 北海道・九州:1,100円(税込)

  • 沖縄:1,914円(税込)

一部商品には別の配送条件が設定されています。

志ほせ饅頭の賞味期限は、製造日を基準に14日間です。商品到着後に14日間残っているという意味ではありません。

保存するときは直射日光と高温多湿を避けます。また、志ほせ饅頭のアレルギー情報には「やまいも」が記載されているため、アレルギーのある人は注意が必要です。

築地本店の場所と営業時間・アクセス

塩瀬総本家の本店は、東京都中央区明石町にあります。

築地駅や新富町駅から徒歩で訪れることができ、東京観光の際にも立ち寄りやすい場所です。

  • 店舗名:塩瀬総本家 本店

  • 住所:東京都中央区明石町7-14

  • 電話番号:03-6264-2550

  • 営業時間:9:00~18:30

  • 日曜・祝日:10:00~18:00

  • 定休日:なし

  • 最寄り駅:東京メトロ日比谷線「築地駅」

  • アクセス:築地駅3番出口から徒歩約8分

  • 東京メトロ有楽町線「新富町駅」6番出口から徒歩約10分

本店以外にも、東京都内の百貨店に売店があります。

  • 松屋銀座店:東京都中央区銀座3-6-1 松屋銀座地下1階

  • 大丸東京店:東京都千代田区丸の内1-9-1 大丸東京店1階

  • 日本橋高島屋店:東京都中央区日本橋2-4-1 日本橋高島屋地下1階

さらに、羽田空港の第1ターミナル・第3ターミナルや、大阪の阪急うめだ本店、阪神梅田本店、福岡の博多阪急などでも、一部商品が取り扱われています。

店舗によって販売商品が異なるため、特定の饅頭を購入したい場合は事前に確認するのが確実です。

看板商品「志ほせ饅頭」の製法|大和芋を使った極薄の皮

塩瀬総本家の饅頭が一般的な小麦粉の饅頭と大きく異なるのは、皮の材料です。

看板商品の志ほせ饅頭は、大和芋、米粉、砂糖を使って皮を作る「薯蕷饅頭(じょうよまんじゅう)」です。

職人は毎朝、大和芋の皮を一つずつ手でむき、すりおろすところから仕事を始めます。

すりおろした大和芋に米粉を合わせて練り上げますが、生地の状態はその日の温度や湿度にも左右されます。そのため、職人が条件に合わせて調整しながら仕上げています。

中に入れる小豆あんには、北海道産の「エリモショウズ」とザラメ糖を使用しています。

こうして作られた生地であんを薄く包み、饅頭として仕上げます。

塩瀬総本家には「材料落とすな割守れ」という言葉が代々伝わっています。材料を大切にし、定められた配合を守るという教えです。

職人の手作業が多いのは、単なる昔ながらの製法へのこだわりではありません。大和芋を使った生地の状態を見極め、均一な薄さに仕上げるために、熟練した技術が必要だからです。

1349年創業|初代・林浄因が生み出した甘い小豆あんの饅頭

塩瀬総本家の歴史は、南北朝時代の1349年までさかのぼります。

初代の林浄因(りんじょういん)は中国出身の人物で、京都・建仁寺の僧侶だった龍山徳見の帰国に伴って日本へ渡ってきました。

林浄因が得意としていたのは、中国で食べられていた肉入りの饅頭でした。

しかし、日本の寺院では僧侶が肉を食べることを避けていました。そこで林浄因は、肉の代わりに小豆を使うことを考えます。

小豆を煮て、甘葛煎(あまづらせん)という植物由来の甘味を加え、甘い小豆あんを作りました。

そのあんを饅頭の中に入れたものが、塩瀬総本家に伝わる日本の甘いあん入り饅頭の始まりです。

饅頭そのものは中国から伝わった食べ物ですが、甘い小豆あんを入れた和菓子としての饅頭には、林浄因の工夫が大きく関わっています。

この饅頭は寺院に集まる人々の間で評判となり、やがて宮中へも献上されるようになりました。

紅白饅頭の始まり|お祝いに和菓子を贈る文化

林浄因の饅頭は、現在のお祝い菓子の文化にもつながっています。

塩瀬総本家に伝わる歴史では、林浄因は後村上天皇から宮中の女性との結婚を許されました。

その結婚の際に、林浄因が紅白の饅頭を作って人々に配ったとされています。

これが、結婚式やお祝い事で紅白饅頭を贈る習慣の始まりと伝えられています。

現在でも紅白饅頭は、結婚や入学、卒業、長寿のお祝いなど、人生の節目に使われる和菓子です。

塩瀬総本家は、甘い饅頭を広めただけではありません。饅頭を気持ちを伝える贈り物として使う文化にも深く関わってきた老舗なのです。

足利義政から贈られた「日本第一番饅頭所」の看板

塩瀬総本家の長い歴史を象徴する品の一つが、室町幕府8代将軍・足利義政とのゆかりを持つ看板です。

塩瀬家に伝わる歴史では、足利義政から直筆の「日本第一番饅頭所林氏塩瀬」という看板を贈られたとされています。

足利義政は、銀閣寺の建立でも知られる室町幕府の将軍です。

塩瀬の饅頭が将軍家に認められたことを伝える品として、この看板は代々大切に受け継がれてきました。

この時代、塩瀬の先祖は製菓技術をさらに発展させています。

初代林浄因の子孫である林紹絆は、中国で菓子作りを学び、大和芋を使った薯蕷饅頭を考案したと伝えられています。

現在の志ほせ饅頭につながる製法が、この時代に形作られたのです。

「塩瀬」という名前の由来|応仁の乱で三河へ移住

現在の店名である「塩瀬」は、創業当初から使われていた名前ではありません。

初代の林浄因の一族は、奈良や京都を拠点に饅頭作りを続けていました。

ところが、1467年に応仁の乱が始まると京都は大きな戦乱に巻き込まれます。

塩瀬家の先祖は戦乱を避け、三河国設楽郡の塩瀬へ移り住みました。

この地名に由来して、林氏は「塩瀬」を名乗るようになったとされています。

その後、応仁の乱が終わると京都へ戻り、饅頭屋として商いを続けました。

当時の京都では、塩瀬の店があった一帯が「饅頭屋町」と呼ばれるようになります。

現在の京都市中京区にも「饅頭屋町」という地名が残っています。

和菓子店の歴史が、そのまま街の名前として残されていることも、塩瀬総本家の特徴です。

徳川家康が戦勝祈願に供えた「本饅頭」

塩瀬総本家の饅頭は、徳川家康とも深い関わりがあります。

塩瀬家に伝わる歴史によると、家康は戦いの際、塩瀬の本饅頭を兜の上に置き、戦勝を祈願していたとされています。

家康のために作られた特別な饅頭は、将軍だけが食べることを許された「お留菓子」として、その製法が受け継がれてきました。

現在の商品「兜饅頭」は、その歴史を受け継いだものです。

兜饅頭の特徴は、極薄の皮と、こしあんの中に加えられた大納言小豆です。

大納言小豆は、段階を分けて3日間かけて蜜漬けにしています。これによって、こしあんをベースにしながら、小豆の粒が感じられる食感に仕上げています。

塩瀬総本家の中でも、特に熟練した職人が製造する特別な饅頭として位置付けられています。

商品は6個入り1,620円(税込)。通常の志ほせ饅頭とは異なる、歴史的な背景を持つ一品です。

千利休との関係|茶の湯と和菓子を結んだ林宗味

塩瀬総本家の歴史には、茶人として知られる千利休も登場します。

塩瀬家の一族である林宗味(りんそうみ)は、豊臣秀吉の寵愛を受け、千利休から茶の湯を学んだ人物でした。

さらに、林宗味は千利休の孫娘を妻に迎えたと伝えられています。

林宗味が手がけたものの一つが、茶道具を包むための「塩瀬袱紗(ふくさ)」です。

紫色の大きな袱紗を開発して販売し、これが後の塩瀬織や袱紗の原型につながったとされています。

和菓子と茶の湯は、現在でも深い関係があります。

茶席では濃茶や薄茶に合わせて菓子が用いられますが、塩瀬総本家は、こうした茶菓子の文化が発展する時代にも菓子を作り続けていました。

林宗味の活動は、塩瀬が単なる饅頭店ではなく、茶の湯の文化とも関わる家であったことを示しています。

江戸時代から明治へ|将軍家と皇室に仕えた和菓子店

徳川家康とのつながりを持つ塩瀬は、江戸幕府の成立とともに江戸へ進出しました。

江戸時代には、饅頭だけでなく、羊羹や上生菓子など、さまざまな和菓子を作るようになります。

江戸時代の文献には、塩瀬饅頭が名物として紹介され、人々が争って買い求める様子も記されています。

その後、明治時代に入ると、塩瀬は宮内省御用達の菓子商となりました。

宮中の祝宴に関わる菓子作りなども担い、格式ある和菓子店として歩みを続けます。

時代が変わっても、塩瀬の中心にあったのは小豆あんと饅頭です。

一方で、砂糖の普及や食文化の変化に合わせて、羊羹や上生菓子などの品ぞろえも広げていきました。

伝統的な製法を守ることと、新しい和菓子を作ること。その両方を続けてきた歴史があります。

現在の塩瀬総本家|川島一世さんと受け継がれる伝統

現在、株式会社塩瀬総本家の代表取締役社長を務めているのは、川島一世さんです。

公式の代表挨拶では35代目店主として紹介され、2000年に社長へ就任したことが会社沿革に記されています。

塩瀬総本家は、2026年で創業から677年を迎えます。

長く続く老舗ですが、現在も昔ながらの饅頭だけを作っているわけではありません。

新しい和菓子の開発にも取り組んでおり、例えばカカオを使った羊羹や、現代の贈り物に合わせた商品なども展開しています。

一方で、定番の志ほせ饅頭は、大和芋を使った生地作りや職人による手作業を大切にしています。

塩瀬総本家が掲げる考え方は、古いものに固執するのではなく、伝統を守りながらよりよい商品を提供することです。

1349年に林浄因が新しい饅頭を生み出したように、受け継いだ技術を土台に新しい菓子を作る姿勢が、現在にも続いています。

まとめ

塩瀬総本家は、1349年に初代・林浄因が甘い小豆あん入りの饅頭を作ったことに始まる老舗和菓子店です。

現在の看板商品「志ほせ饅頭」は、大和芋と米粉を使った薄い皮と、北海道産小豆を使ったあんが特徴です。築地エリアの本店や都内の百貨店、公式オンラインショップなどで取り扱われています。

その677年の歴史には、足利義政から贈られたとされる看板、徳川家康に献上された本饅頭、千利休との茶の湯を通じたつながりなど、日本の歴史を彩る出来事が刻まれています。

普段何気なく食べている甘い饅頭。その成り立ちを知ると、小さな和菓子の中に、長い年月をかけて受け継がれてきた職人の技術と日本の食文化が詰まっていることがわかります。

参考リンク

おすすめ関連商品:塩瀬総本家 志ほせ饅頭 9個入


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