- ルーネンバーグ旧市街は1753年の都市計画が残るカナダの世界遺産
- ルーネンバーグ旧市街の場所と世界遺産としての基本情報
- ルーネンバーグの町は1753年にイギリスの計画で建設された
- 碁盤の目のような街並みはイギリスの植民地政策から生まれた
- 坂道が急なのに道路が一直線になっている理由
- 約400棟の建物が残り、その約7割は18~19世紀の建築
- カラフルな木造住宅はルーネンバーグの象徴
- ルーネンバーグ・バンプは建物から突き出した独特の窓
- 港町ルーネンバーグは大西洋のタラ漁で発展した
- 伝説の帆船ブルーノーズはルーネンバーグで生まれた
- ルーネンバーグ旧市街はなぜ1995年に世界遺産になったのか
- 古い街並みを守りながら現在も暮らしが続いている
- ルーネンバーグの漁業の歴史を伝える大西洋漁業博物館
- まとめ
- 気になる生活ナビをもっと見る
ルーネンバーグ旧市街は1753年の都市計画が残るカナダの世界遺産
カナダ東部のノバスコシア州に、まるで絵本の中に入り込んだような港町があります。赤、青、黄色など鮮やかな色に塗られた木造住宅が海沿いに並ぶ「ルーネンバーグ旧市街」です。
2026年10月18日(日)午後6時からTBS系で放送される『世界遺産』では、「カナダ・ルーネンバーグ旧市街」を特集します。
この町が世界遺産に登録されたのは1995年。最大の理由は、1753年にイギリスが計画した街路の配置が、約270年後の現在までほぼそのまま残っていることです。
町には18~19世紀に建てられた木造建築が数多く残り、港では漁業や造船に関わる歴史が受け継がれています。
今回の番組では、なぜ町全体が碁盤の目のように区画されたのか、その背景にあったヨーロッパ列強の植民地政策や、タラ漁によって発展した港町の歴史に迫ります。
ナレーションは鈴木亮平さんです。
※放送後詳しい内容が分かり次第追記します。
この記事でわかること
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ルーネンバーグ旧市街の場所と世界遺産に登録された理由
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1753年に造られた碁盤の目の都市計画と植民地政策の関係
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カラフルな木造住宅と独特な「ルーネンバーグ・バンプ」の特徴
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タラ漁・造船業・帆船ブルーノーズが港町を発展させた歴史
ルーネンバーグ旧市街の場所と世界遺産としての基本情報

ルーネンバーグ旧市街 | カナダ | 世界遺産オンラインガイド
ルーネンバーグ旧市街は、カナダ東部のノバスコシア州にあります。
大西洋に面した天然の良港を持ち、丘の斜面から港へ向かって木造建築が並ぶ、美しい景観が特徴です。
ルーネンバーグ旧市街の基本情報
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正式名称:Old Town Lunenburg
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国:カナダ
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州:ノバスコシア州
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建設開始:1753年
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世界遺産登録:1995年
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登録区分:文化遺産
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世界遺産登録番号:741
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登録基準:(iv)(v)
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登録面積:33.85ヘクタール
町が造られたのは、今から約270年前です。
ただし、ルーネンバーグは人々がいなくなった遺跡ではありません。
現在も住宅や商店が使われ、漁業や観光などの産業が営まれている生活の場です。
18世紀の街並みが保存されているだけでなく、当時の都市計画のなかで現在も人々が暮らし続けている点に大きな価値があります。
ルーネンバーグの町は1753年にイギリスの計画で建設された
ルーネンバーグの歴史を理解するうえで重要なのが、1753年という建設年です。
当時の北米では、イギリスとフランスなどのヨーロッパ列強が、植民地の支配をめぐって競い合っていました。
ノバスコシアも、その影響を強く受けた地域の一つでした。
イギリスは新しい入植地を整備するため、あらかじめ設計した都市計画に従って町を造りました。
ルーネンバーグは、その計画都市の代表的な例です。
1753年6月には、ドイツやスイス、現在のフランス東部などにルーツを持つ、主にドイツ語を話すプロテスタント系の入植者たちが暮らし始めました。
カナダの政府機関であるパークス・カナダによると、当初の入植者は1,453人でした。
イギリスが建設した町でありながら、実際に移り住んだ人々にはドイツ語圏の住民が多かったことも特徴です。
こうしてルーネンバーグでは、イギリスの都市計画と、ヨーロッパ各地から移住してきた人々の文化が組み合わさっていきました。
碁盤の目のような街並みはイギリスの植民地政策から生まれた
ルーネンバーグ旧市街の最大の特徴は、道路が直角に交差する格子状の都市計画です。
地図で見ると、道路と区画が碁盤の目のように並んでいます。
この配置は、偶然できたものではありません。
イギリスが北米の植民地に町を建設する際に採用した、「モデル・タウン」と呼ばれる計画に基づいて造られました。
パークス・カナダの公式資料によると、ルーネンバーグでは南北方向に7本、東西方向に9本の道路を配置する設計が採用されました。
道路の幅まで決められており、南北方向の道路は原則48フィート、東西方向の道路は40フィートとされていました。
また、中央のキング・ストリートは幅80フィートと、ほかの道路より広く設計されました。
これは、住宅や公共施設などを規則的に配置するための都市計画でした。
町の中心には広場が設けられ、周囲に教会や公共建築が配置されました。
現在のルーネンバーグでも、この基本的な道路配置が残されています。
坂道が急なのに道路が一直線になっている理由
ルーネンバーグの道路には、もう一つ興味深い特徴があります。
それは、道路が直線的であるにもかかわらず、急な坂道が多いことです。
一般的に、丘の斜面に町を造る場合、地形に合わせて道路を曲げたり、高低差を避けたりする方法が考えられます。
しかし、ルーネンバーグでは違いました。
イギリス本国で作られた都市計画が、現地の複雑な地形に十分合わせられることなく採用されたのです。
そのため、道路は整然としていますが、場所によっては非常に急な坂になりました。
丘の上から港へ向かって一直線に延びる道路は、現在もこの町の特徴的な風景です。
つまり、ルーネンバーグの整った街並みと急な坂道は、どちらも18世紀の都市計画の名残なのです。
約400棟の建物が残り、その約7割は18~19世紀の建築
ルーネンバーグ旧市街が評価されたのは、道路だけではありません。
建物そのものが、歴史的な景観を形づくっています。
パークス・カナダによると、旧市街には主要な建物が約400棟あり、その約70%は18~19世紀に建てられたものです。
建物の多くは木造で、現在も住宅や商店などとして利用されています。
歴史的な建物がこれだけまとまって残っていることは、北米の植民地時代の都市を考えるうえで重要です。
しかも、ルーネンバーグでは一つの時代の建物だけが保存されているわけではありません。
18世紀から19世紀、さらに20世紀へと続く建築の変化を、同じ町のなかで見ることができます。
当初の小さな木造住宅に加え、漁業や貿易で豊かになった人々が建てた装飾的な住宅も残されています。
歴史の異なる建物が並びながら、町全体として調和した景観を生み出しています。
カラフルな木造住宅はルーネンバーグの象徴
ルーネンバーグ旧市街の写真を見ると、真っ先に目を引くのが建物の色です。
赤、青、黄色、緑など、鮮やかな色で塗られた木造住宅や倉庫が港沿いに並んでいます。
特に、港から丘の斜面を見上げると、さまざまな色の屋根や外壁が重なり合って見えます。
これらの建物は、観光客向けに新しく造られたものではありません。
カナダ政府の歴史的建築に関する資料では、木造建築の外壁を鮮やかな色に塗る伝統も、ルーネンバーグ旧市街の価値を構成する要素として挙げられています。
港に面した倉庫や作業場にも、色鮮やかな木造建築が残されています。
こうした建物は、単なる景観の装飾ではなく、漁業や造船で栄えた町の産業の歴史を伝える存在でもあります。
ルーネンバーグ・バンプは建物から突き出した独特の窓
ルーネンバーグ旧市街には、地域特有の建築意匠があります。
それが「ルーネンバーグ・バンプ(Lunenburg bump)」と呼ばれる窓の構造です。
建物の屋根部分から前方に突き出した、大きな屋根窓のような形をしています。
一般的な小さな屋根窓とは異なり、建物の正面に強い存在感を与える造りです。
ユネスコの公式資料では、ルーネンバーグ・バンプを、地域特有の五角形の屋根窓として紹介しています。
特に19世紀後半に流行し、さまざまな住宅に取り入れられました。
建物の正面から見ると、中央の窓が張り出しているように見えるのが特徴です。
こうした独特の窓は、ルーネンバーグの街並みが単に古い建物の集合ではなく、地域ならではの建築文化を持っていることを示しています。
港町ルーネンバーグは大西洋のタラ漁で発展した
ルーネンバーグが現在のような港町として発展した背景には、大西洋の漁業があります。
特に重要だったのが、タラ漁です。
カナダ東部の大西洋沿岸は、古くから豊かな漁場として知られてきました。
ルーネンバーグでは、漁船が沖合へ出てタラなどを獲り、港に持ち帰ることで地域の経済が発展しました。
タラは保存食として加工され、国内だけでなく海外へも運ばれていました。
漁業が盛んになると、船を造る仕事や修理する仕事、漁具を扱う仕事なども発展します。
さらに、魚の加工や輸送、貿易に関わる人々が増え、港町としての機能が充実していきました。
現在も残る港の倉庫や造船関連の建物には、その歴史が刻まれています。
今回の『世界遺産』でも、ルーネンバーグがタラ漁を中心に発展した経緯が紹介される予定です。
伝説の帆船ブルーノーズはルーネンバーグで生まれた
ルーネンバーグの船づくりの歴史を象徴するのが、「ブルーノーズ(Bluenose)」という帆船です。
ブルーノーズは、1921年にルーネンバーグで建造された漁業用のスクーナー船です。
スクーナーとは、複数のマストを備えた帆船の形式の一つです。
ブルーノーズは実際に漁業で使用される一方、漁船同士の帆走競技でも優れた成績を残しました。
1921年には国際的な漁船レースの優勝杯を獲得。その後も1922年、1923年、1931年、1938年の大会で優勝し、名声を高めました。
カナダの国立史跡に関する公式資料では、ブルーノーズを国家的な象徴となった船として紹介しています。
残念ながら、初代ブルーノーズは1946年にハイチ沖で座礁して失われました。
しかし、その後、初代を受け継ぐ帆船「ブルーノーズII」が建造されました。
現在、ルーネンバーグはブルーノーズIIの母港としても知られています。
ルーネンバーグ旧市街はなぜ1995年に世界遺産になったのか
ルーネンバーグ旧市街は、1995年にユネスコの世界文化遺産に登録されました。
登録の根拠となったのは、世界遺産の評価基準(iv)と(v)です。
登録基準(iv)
18世紀のイギリスによる植民地時代の都市計画が、極めて良好な状態で残されていることが評価されました。
道路配置だけでなく、250年以上にわたって受け継がれてきた木造建築の伝統も重要です。
登録基準(v)
大西洋の沖合漁業を基盤として発展した、都市と地域文化の代表的な例であることが評価されました。
漁業と造船に支えられた港町としての姿が、現在も街並みや生活のなかに残されています。
つまり、ルーネンバーグの価値は、建物が美しいことだけではありません。
18世紀の都市計画、木造建築の技術、漁業によって生まれた地域文化が、一つの町のなかでまとまって残っていることが評価されたのです。
古い街並みを守りながら現在も暮らしが続いている
世界遺産というと、立ち入りが制限された遺跡や、特別な建造物を思い浮かべるかもしれません。
しかし、ルーネンバーグ旧市街は現在も人々が生活している町です。
歴史的な住宅には住民が暮らし、古い建物が商店として使われ、港では船に関わる仕事が続いています。
ユネスコは、このように歴史的な機能が維持されていることも、町の価値の一つとしています。
一方で、古い木造建築を守ることには課題もあります。
建物を維持するための修繕費、歴史的な外観を保つための工事、観光客の増加に伴う影響などです。
世界遺産に登録されているからといって、何も変えずに保存すればよいわけではありません。
住民が快適に暮らしながら、歴史的な価値を失わないように維持していく必要があります。
ルーネンバーグでは、こうした課題に対応するため、歴史的建築物の保存に関する制度や方針が整備されています。
ルーネンバーグの漁業の歴史を伝える大西洋漁業博物館
ルーネンバーグの港には、かつて魚の加工場だった建物を利用した「大西洋漁業博物館(Fisheries Museum of the Atlantic)」があります。
港沿いにある赤い建物が特徴的な施設です。
ここでは、カナダ大西洋沿岸の漁業の歴史や、漁船で働いた人々の暮らしなどを紹介しています。
展示では、漁業が地域社会をどのように支えてきたのか、造船や貿易とどのようにつながっていたのかを学べます。
実際に使われていた船も保存されており、歴史的な漁船の構造を知ることができます。
ルーネンバーグ旧市街が世界遺産になった理由を理解するうえで、漁業の歴史は欠かせません。
港に残る古い建物と、そこから生まれた海の文化を合わせて考えると、この町の価値がよりわかりやすくなります。
まとめ
2026年10月18日放送の『世界遺産』では、カナダ東部のルーネンバーグ旧市街が紹介されます。
ルーネンバーグが世界遺産に登録された最大の理由は、1753年にイギリスが造った格子状の都市計画が、現在までほぼそのまま残っていることです。
さらに、18~19世紀の木造建築が数多く保存され、鮮やかな色に塗られた住宅が独特の景観を生み出しています。
そして、町の発展を支えたのが大西洋のタラ漁でした。漁業によって造船業も発展し、1921年にはカナダを代表する帆船ブルーノーズが建造されています。
ルーネンバーグ旧市街は、美しい建物を眺めるだけの観光地ではありません。
270年前の都市計画と、人々が海とともに生きてきた歴史が、今も町全体に残されている世界遺産なのです。
参考リンク
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