九十九弓彦さんと東洋民俗博物館の現在
奈良市あやめ池に、1928年から続く少し変わった私設博物館があります。その東洋民俗博物館を現在支えているのが、初代館長・九十九豊勝さんの四男で、元NHK記者の九十九弓彦さんです。
『クレイジージャーニー☆奇界遺産・佐藤&呪物・田中がクレイジーな博物館旅SP(2026年8月10日)』では、佐藤健寿さんと田中俊行さんがこの博物館を訪ね、館長から田中さんへ「後継者」という気になる話まで飛び出します。
単なる珍しい博物館ではなく、約100年にわたって家族が守ってきた施設だからこそ、現在は「この先、誰が残していくのか」という大きな問題も抱えています。
この記事でわかること
- 九十九弓彦さんの経歴と現在の活動
- 田中俊行さんに後継者の話が出た背景
- 東洋民俗博物館が誕生した歴史
- 場所・料金・予約前に確認したいこと
九十九弓彦さんは何者?東洋民俗博物館の館長
九十九弓彦(つくも・ゆみひこ)さんは、奈良市あやめ池にある一般財団法人 東洋民俗博物館の理事長・館長です。
1944年に奈良市あやめ池で生まれ、奈良県立奈良高校を経て、関西大学経済学部を卒業しています。
大学では経済学を学んだだけではありません。博物館学課程を履修して学芸員資格を取得し、考古学の講義を受けたり、新沢千塚古墳群の発掘調査を経験したりしています。
その後、1966年にNHKへ入局。奈良、岡山、和歌山などの放送局で42年間、放送記者として勤務しました。
そして2008年、NHKを退職したのを機に故郷の奈良へ戻り、東洋民俗博物館の館長として本格的に運営に携わるようになりました。理事長については、それより前の1983年から務めています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 九十九弓彦(つくも ゆみひこ) |
| 生年 | 1944年 |
| 出身 | 奈良市あやめ池 |
| 出身大学 | 関西大学経済学部 |
| 前職 | NHK放送記者 |
| NHK勤務 | 1966年入局、42年間勤務 |
| 現在 | 東洋民俗博物館 理事長・館長 |
| 父 | 九十九豊勝(九十九黄人) |
最初に経歴を見ると、「博物館一筋の研究者だったのかな」と思いますが、実際には長年ニュースの現場にいた放送記者です。
そこから父が残した博物館へ戻ったという経歴は、初めて知ると少し驚きます。
ただ、大学時代から博物館学を学び、学芸員資格も取得していたことを考えると、まったく無関係な世界へ転身したわけではありません。
若いころに学んだ博物館の知識と、42年間の記者経験を持って家業に戻った人物と考えると、九十九さんがどんな立場の人なのかがわかりやすくなります。
田中俊行さんに後継者を持ちかけた館長は九十九弓彦さん
今回、特に気になるのが、オカルトコレクターの田中俊行さんに東洋民俗博物館の後継者の話が持ちかけられることです。
一見すると「テレビ向けの面白いやり取りなのでは?」と思うかもしれません。
しかし、東洋民俗博物館について調べると、後継者問題そのものは以前から実際に存在していたことがわかります。
九十九弓彦さんは2020年に東洋民俗博物館の今後について記した文章の中で、役員の高齢化によって後継者をどうするかが大きな問題になっていることを明らかにしています。
さらに、後継者が見つからなければ、法人の解散や閉館という選択を迫られる可能性、収蔵資料の散逸をどう防ぐかという問題にも触れていました。
ここを知ったうえで田中俊行さんへの「後継者」という話を見ると、意味合いがかなり変わってきます。
田中さんは、呪物や民間信仰にまつわる品々を数多く収集していることで知られる人物です。
一方、東洋民俗博物館にも、初代館長が国内外から集めた民俗資料や、信仰・風俗にかかわる特徴的な資料が残されています。
つまり、両者には「珍しいものを集める」という表面上の共通点だけでなく、物の背景にある信仰や人間の営みを残すという部分でも重なるところがあります。
たしかにこれは気になります。
ただし、2026年8月8日時点では、田中俊行さんが正式に後継者になることが決定したという事実は確認できません。
ここは大事なところです。
番組内で「後継者」という言葉が出ても、
「田中俊行さんが東洋民俗博物館を継ぐことになった」
と決まった話として受け取らない方がよいでしょう。
佐藤健寿さんと田中俊行さんが訪れた東洋民俗博物館とは
東洋民俗博物館は、奈良市あやめ池にある私設博物館です。
開館は1928年(昭和3年)。
2026年時点で、開館から約98年を数えることになります。
もともとは、かつて奈良市にあったあやめ池遊園地の一角につくられました。
館内には、初代館長の九十九豊勝さんが集めた国内外の民俗資料が収蔵・展示されています。
特に面白いのは、建物と展示物を別々に考えにくいところです。
1928年に建てられた本館そのものが歴史的な建築物で、2022年には奈良県指定有形文化財になっています。2026年に更新された県の文化資源情報でも、現在まで文化財として掲載されています。
内部には、開館当初から使われてきたとされる展示棚や展示台も残されています。
確認されているだけでも8種類・計31台の展示什器があり、単に「古い物を新しいケースで展示している博物館」とは雰囲気が違います。
個人的には、この点がいちばん面白いと感じます。
普通の博物館なら「展示物を見る」感覚ですが、ここでは、
建物+展示ケース+収蔵品+初代館長の収集方法
まで含めて、約100年前から続く博物館文化そのものを見る場所になっているからです。
近年の紹介でも、館内は常時自由に入れる施設ではなく、事前予約制で見学する形が続いています。
九十九弓彦さんは元NHK記者!42年間勤務した経歴
九十九弓彦さんの人生で大きな割合を占めているのが、NHK記者として過ごした42年間です。
1966年にNHKへ入り、
- 奈良放送局
- 岡山放送局
- 和歌山放送局
などで放送記者として勤務しました。
そして2008年に退職。
その後、故郷である奈良市あやめ池へ戻り、東洋民俗博物館の館長として運営にあたっています。
一方で、博物館との関わりが2008年に突然始まったわけではありません。
九十九さん自身がまとめた博物館の歴史によると、1983年から理事長を務めていることが確認できます。
つまり、
NHK記者として働きながら博物館にも関わり、定年退職後に館長として本格的に運営を担うようになった
と見るのがわかりやすいでしょう。
また、父について語る活動も続けています。
2024年に発行された研究誌には、九十九弓彦さんによる「父、九十九黄人を語る」という講演録も収録されています。
単に「父の博物館を管理している息子」というより、父が集めた資料や博物館の歴史を次の世代へ伝える語り手でもあるわけです。
九十九弓彦さんが東洋民俗博物館を継いだ経緯
九十九弓彦さんが博物館に戻った大きな転機は、NHKの定年退職でした。
本人がまとめた記録によると、NHKを定年退職して奈良へ帰り、時間に余裕ができたことから、少しずつ博物館の整理を始めています。
当時の建物には手を入れる必要もありました。
九十九さんは、
- 雨漏りしていた屋根を修理
- 博物館入口付近を補修
- 館内の整理
などを進めています。
ただし、館内を現代的な博物館に全面改装したわけではありません。
展示方法については、基本的に開館当時の雰囲気を残した状態が維持されています。
これは東洋民俗博物館を理解するときに大切なところです。
効率だけを考えれば、古い展示ケースを新しくしたり、説明パネルを増やしたりする方法もあります。
しかし、それを進めすぎると1928年から続いてきた独特の空間そのものが失われる可能性があります。
古い建物を残す難しさと、実際に人に見てもらえる施設として維持する難しさ。
この2つを同時に抱えているわけです。
実際に見学するなら、最新設備が整った大型博物館と同じ感覚ではなく、長い年月を重ねた私設博物館そのものを体験する場所と考えた方が楽しめそうです。
父・九十九豊勝さんと東洋民俗博物館の歴史
東洋民俗博物館を語るうえで欠かせないのが、九十九弓彦さんの父で初代館長だった九十九豊勝(つくも・とよかつ)さんです。
「九十九黄人(つくも・おうじん)」の名でも知られています。
九十九豊勝さんが民俗学へ関心を持つきっかけになった人物が、アメリカの文化人類学者フレデリック・スタールでした。
早稲田大学在学中、来日していたスタールの通訳・助手となり、日本国内の調査にも同行。
その経験をきっかけに民俗学への関心を深め、国内外の資料を集めるようになります。
そのコレクションに注目したのが、現在の近畿日本鉄道につながる大阪電気軌道でした。
同社は1925年、奈良線沿線の開発事業としてあやめ池遊園地を開園。
その後、遊園地周辺に博物館をつくる計画が進み、九十九豊勝さんが集めていた資料を展示する施設として1928年に東洋民俗博物館が誕生しました。
つまり、最初から九十九家の敷地に建てられた小さな個人資料館だったわけではありません。
鉄道会社による沿線開発と、1人の収集家が集めた民俗資料が結びついて誕生した博物館だったのです。
その後、博物館は遊園地から独立。
資料の散逸を防ぐため、1953年には財団法人化されています。
約100年続いてきた背景を見ると、
「珍しい物がたくさんある博物館」
だけで片付けるのは少しもったいない施設です。
昭和初期の鉄道沿線開発、民俗学、個人コレクション、家族による継承が全部つながっています。
東洋民俗博物館の場所・料金・予約方法
東洋民俗博物館は、奈良市の近鉄菖蒲池駅から歩いて行ける場所にあります。
現在公開されている観光情報では、次のように案内されています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 施設名 | 一般財団法人 東洋民俗博物館 |
| 所在地 | 奈良県奈良市あやめ池北1-5-26 |
| 電話 | 0742-51-3618 |
| 最寄駅 | 近鉄奈良線 菖蒲池駅 |
| 入館料 | 大人500円 |
| 1人で見学する場合 | 大人1,000円との案内あり |
| 小人 | 300円 |
| 見学 | 事前連絡・予約推奨 |
| 駐車場 | あり |
ここで特に注意したいのが、一般的な大型博物館のように、
「開館時間内だから直接行けば確実に入れる」
という施設ではない点です。
不定期の休館があり、事前に電話が必要と案内されています。現在の紹介でも事前予約制で常時開館している施設ではないとされています。
また、料金情報についても案内元によって書き方に違いがあります。
大人500円という基本料金に加え、奈良県の観光情報では1人だけの場合は1,000円と掲載されています。
実際に選ぶなら、ここは確認したいところです。
見学を考えている場合は、
「行く日・人数・見学可能時間・当日の料金」
を電話で確認してから出かけるのが確実でしょう。
さらに、建物自体が古い県指定有形文化財です。
一般的な観光施設と設備や見学条件が異なる可能性もあるため、必要な配慮がある場合は予約時に確認しておくと安心です。
後継者問題はどうなる?現在の東洋民俗博物館
東洋民俗博物館で今後もっとも重要になるのが、やはり後継者問題です。
九十九弓彦さん自身が2020年の時点で、役員の高齢化に伴って後継者問題が生じていることを明らかにしています。
もし継ぐ人がいなければ、
法人解散や閉館
という可能性まで考えなければならず、その場合は所蔵する資料をどう守り、散逸を防ぐのかという別の問題も出てきます。
ここで重要なのは、建物だけ保存すれば解決する問題ではないことです。
東洋民俗博物館には、
- 1928年から続く建物
- 当初から残る展示ケース
- 国内外から集められた民俗資料
- 九十九豊勝さんにまつわる記録
- 約100年間続いてきた展示方法
があります。
さらに近年、一部の九十九コレクションについては外部の研究・保存機関へ寄贈される動きもあります。
たとえば富士山に関係する資料は、静岡県富士山世界遺産センターへ寄贈され、研究対象として紹介されています。
これは、資料を次代へ残す方法が「博物館をそのまま1人が全部引き継ぐ」だけではないことも示しています。
一方、東洋民俗博物館本館は2022年に奈良県指定有形文化財となり、2026年2月更新の県資料にも掲載されています。
そのため、
文化財である建物をどう残すのか
膨大な資料を誰が管理するのか
独特の展示空間をどこまで残すのか
という問題を一緒に考える必要があります。
田中俊行さんへの後継者の話が目を引きますが、本当に大きなテーマはその先です。
約100年前に九十九豊勝さんが集めた資料を、四男の九十九弓彦さんが現在まで守ってきました。
そして今、その次をどうするのか。
個人的には、「誰が次の館長になるのか」だけではなく、この博物館の何を残すことが最も大切なのかという点まで含めて見ていくと、東洋民俗博物館の面白さと現在抱えている課題がよくわかると感じます。
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