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新光時計店の時計修理はどう頼む?松浦敬一から5代目・光司へ受け継がれた技術【気づきの扉で紹介】

職人・伝統技術

瀬戸内海の島で受け継がれる「時計の名医」の仕事

『気づきの扉(瀬戸内海の“時計の名医”)(2026年8月21日)』で取り上げられるのが、広島県呉市の大崎下島・御手洗にある新光時計店です。長い歴史を持つ店には、メーカーで修理できなくなった古い時計も持ち込まれてきました。「時計の名医」と知られた4代目・松浦敬一さんの技術は、現在5代目の松浦光司さんへ受け継がれています。修理の特徴から遠方から依頼する方法まで詳しく見ていきます。

この記事でわかること

  • 新光時計店が御手洗で長く続いてきた背景
  • 4代目・松浦敬一さんが「時計の名医」と呼ばれた理由
  • 5代目・松浦光司さんへ受け継がれた時計修理の仕事
  • 遠方から修理を相談・送付するときの流れ

新光時計店は瀬戸内海・御手洗にある老舗時計店

新光時計店があるのは、広島県呉市豊町御手洗。瀬戸内海に浮かぶ大崎下島の東側に位置し、江戸時代には船が風や潮の流れを待つ「潮待ち・風待ち」の港として栄えた場所です。

店のルーツは「各国時計販売所 松浦商店」。その後「松浦時計店」を経て、昭和初期に新光時計店へ改称しました。長い歴史を持つ店でありながら、現在も時計の販売だけでなく修理を続けています。

御手洗には江戸・明治・大正期の建物が残り、町全体が昔の港町の雰囲気を伝えています。その中で新光時計店は、単なる古い建物として保存されているのではなく、今も時計職人が仕事を続ける現役の店です。

住所は広島県呉市豊町御手洗226。広島県の観光情報では、竹原港から高速船で大長港へ渡り、バスを利用して御手洗へ向かうアクセスも案内されています。

現在の代表は5代目の松浦光司

現在、新光時計店の代表者として掲載されているのが松浦光司さんです。4代目・松浦敬一さんの長男で、5代目として時計修理の仕事を受け継いでいます。

光司さんは1979年生まれ。関西大学工学部機械システム工学科を卒業後、リョービに入り、自動車などに使われるアルミダイカスト部品の設計・開発に携わっていました。

転機となったのが2012年です。妻子とともに故郷の御手洗へ戻り、新光時計店で働き始めました。時計店の家に生まれながら、そのまま家業へ入ったわけではなく、企業で機械設計を経験してから戻ってきた5代目です。

2025年の取材でも、国内外から届く時計を修理する5代目職人として仕事を続ける姿が紹介されています。

古い店をそのまま保存するだけではなく、次の世代が実際に技術を受け継いでいることが、新光時計店の大きな特徴です。

松浦敬一が「時計の名医」と呼ばれてきた理由

新光時計店を全国に知られる存在にしたのが、4代目の松浦敬一さんです。

敬一さんは3代目・松浦光行さんの長男として御手洗で育ち、祖父で2代目の哲次さんから時計修理や商売を学びました。

高校生だった敬一さんに、入院していた祖父が残した言葉が「店を頼むぞ」。祖父はその約1か月後に亡くなり、この言葉が店を受け継ぐ大きなきっかけになりました。

しかし、時計店を取り巻く環境は大きく変わります。

1970年代には、安価で精度の高いクォーツ腕時計が急速に普及しました。機械式時計のように定期的な分解や調整を必要としない時計が増え、従来の「時計を販売し、修理する」という町の時計店の仕事は厳しくなっていきました。

それでも敬一さんは修理を続けました。

やがて機械式時計が見直される一方で、それを直せる時計店は減少。御手洗から各地へ移り住んだ人たちが故郷の新光時計店へ修理を依頼し、紹介や口コミを通して依頼が全国へ広がっていきました。

メーカーにも部品が残っていないような時計まで持ち込まれるようになり、2000年ごろから「時計の名医」として広く知られる存在になっていきます。

古い時計をよみがえらせる修理技術

新光時計店へ持ち込まれるのは、新しい腕時計ばかりではありません。

長年使われてきた機械式時計や柱時計など、すでにメーカーが部品を保有していないものもあります。

時計の内部には、0.5mm以下という非常に小さなネジを含め、多くの精密部品があります。松浦敬一さんはルーペを使いながら、ピンセットなどで細かな部品を扱ってきました。

作業場所にも昔ながらの工夫があります。

店舗の道路側に作業机が置かれ、南から入る自然光を利用して修理を行います。分解した部品はホコリから守るためガラス容器などに入れ、修理後の時計は正常に動くか確認するため一定期間動かして様子を見ます。

ただし、「古い時計なら何でも直せる」という意味ではありません。

新光時計店自身も、材料や設備、技術などの条件によって製作できない部品があり、すべての時計を修理できるわけではないと案内しています。

大切な時計だからこそ、「ここなら必ず直る」と考えていきなり送るのではなく、まず状態を相談することが大切です。

4代目から5代目へ受け継がれた仕事

新光時計店の物語で興味深いのは、4代目と5代目がまったく同じ道を歩んできたわけではないことです。

敬一さんは幼い頃から祖父の仕事を間近で見て時計店を継ぎました。

一方の光司さんは大学で機械工学を学び、企業で設計・開発を経験してから故郷へ戻っています。

世代によって時計そのものも変わりました。

機械式時計が中心だった時代からクォーツ時計が普及し、さらにスマートフォンやスマートウォッチが一般化した時代へ。それでも、家族から受け継いだ時計や人生の節目に買った時計など、「新品に買い替えれば終わり」とはならない品物があります。

新光時計店に送られてくる時計には、持ち主の思い出を書いた手紙が添えられることもありました。高価だから直したいのではなく、その時計でなければならない理由がある人の依頼を受けてきた店でもあります。

4代目から5代目へ受け継がれたのは、部品を扱う技術だけではありません。

時計の向こうにいる持ち主まで考えて修理する姿勢も、新光時計店の仕事を特徴づけています。

時計修理を依頼する前に確認したいこと

新光時計店へ修理を依頼したい場合、最初から時計を持ち込んだり発送したりするのではなく、電話またはメールで事前に相談する流れになっています。

相談するときは、分かる範囲で時計の情報を伝えておくと話が進みやすくなります。

たとえば、

  • 腕時計・掛時計など時計の種類
  • メーカーやブランド
  • 機械式・クォーツ式などの種類
  • 動かない、遅れるなど現在の症状
  • 以前に修理したことがあるか

といった情報です。

写真だけでは時計内部の状態まで判断できない場合もあり、実物を確認してから修理できるかどうかが決まることもあります。

また、部品を新しく製作する必要がある時計では、材料や設備の条件によって対応できないケースがあります。思い入れのある時計ほど、自己判断で分解したり無理に動かしたりせず、そのままの状態で相談した方が安心です。

営業日についても固定情報だけを頼りにせず、来店する場合は電話やメールで確認するよう案内されています。

遠方から修理を相談する場合の流れ

広島県まで直接行けない人でも、新光時計店では送付による修理依頼に対応しています。

基本的な流れは次のようになっています。

  1. 電話またはメールで相談する
  2. 時計を元払いで発送する
  3. 店から時計到着の連絡を受ける
  4. 状態確認後に修理内容や費用について連絡を受ける
  5. 内容を了承して修理を依頼する
  6. 修理代金を支払う
  7. 修理された時計が発送される

特に注意したいのが、連絡せずに時計だけを発送しないことです。

古い時計は1点ごとに状態が異なります。部品の有無だけでなく、過去の修理歴や内部の傷み方によっても対応が変わるため、まず相談してから送る形になっています。

全国から依頼できる仕組みがあるからこそ、大崎下島という瀬戸内海の島にある時計店が、遠方の人にとっても「修理を相談できる場所」になっています。

御手洗で続く時計店の現在

新光時計店が印象に残るのは、高度な時計修理だけが理由ではありません。

店がある御手洗そのものと仕事が深く結びついています。

江戸時代に潮待ち・風待ちの港として発展した町は、船による交通の衰退とともに大きく変化しました。その後、時計業界にもクォーツ化という転換期が訪れます。

町も時計店も、時代の変化から逃れることはできませんでした。

それでも御手洗から離れず時計を直し続けた4代目。その仕事を、島を1度離れて企業で働いた5代目が再び故郷へ戻って受け継ぎました。

現在も公式サイトでは4代目の松浦敬一さんと5代目の松浦光司さんが、できるだけ多くの時計を再び動かせるよう対応していることが紹介されています。代表者は光司さんです。

古い時計には、時間を知る道具以上の価値が宿ることがあります。

祖父母が使っていた柱時計、親から譲り受けた腕時計、初めての給料で買った時計。簡単に新品へ置き換えられない思い出を、もう1度動く形に戻す。

新光時計店は「時計を直す店」であると同時に、時計に残された時間を次の世代へつなぐ店といえそうです。

参考リンク


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