江戸城の鬼門と裏鬼門を守ったのはどこ?
江戸城の鬼門(北東)を守る寺院は上野の寛永寺、裏鬼門(南西)を守る寺院として位置づけられたのは芝の増上寺です。江戸城の方位を描いた重要文化財『御本丸方位絵図』にも、寺社や城門が配置された様子が記されています。神田明神も江戸城の表鬼門守護に関わる神社です。
2026年11月4日放送予定のフジテレビ『世界の何だコレ!?ミステリー』では、平将門の首塚と徳川家康による江戸の仕掛けが取り上げられます。江戸城を守る寺社の配置と、現在も残る寛永寺・増上寺の歴史を、創建時期の違いも含めて紹介します。
鬼門は北東、裏鬼門は南西を指す
鬼門は北東、裏鬼門はその反対側の南西を指し、伝統的に災厄を避けるため方角を重視する考え方があります。江戸城と周辺寺社を結ぶ「結界」という表現も知られていますが、超自然的な力が存在したと実証されているわけではありません。
東京都立図書館所蔵の『御本丸方位絵図』には、江戸城を中心とする十二方位が描かれています。寛永寺や増上寺などの寺社と、城を守る見附(城門)の配置がうかがえる資料です。『御本丸方位絵図』は、甲良家に伝来した国の重要文化財「江戸城造営関係資料」の一部です。
寛永寺が江戸城の鬼門に建てられた理由
東叡山寛永寺は、1625年に天海大僧正が江戸城の北東にあたる上野台地に創建しました。幕府の安泰と人々の平安を祈る寺院として、京都の鬼門を守る比叡山延暦寺にならった構想です。「東叡山」は、東の比叡山という意味を持ちます。
重要なのは年代です。徳川家康が亡くなったのは1616年で、寛永寺の創建はその9年後。天海は家康・秀忠・家光の三代に関わりましたが、寛永寺を家康自身が1625年に建てたわけではありません。1622年に上野台地を天海へ与えたのは二代将軍・徳川秀忠です。
増上寺はなぜ裏鬼門を守る寺院とされる?
増上寺は浄土宗の大本山で、1393年に創建されました。徳川家康は1590年に江戸に入り、増上寺の住職・源誉存応と師檀関係を結んだと伝えられています。1598年には、寺が現在の港区芝公園の地へ移転しました。
東京都立図書館は『御本丸方位絵図』について、増上寺が江戸城の裏鬼門を守るように配置されたと説明しています。ただし、鬼門・裏鬼門の位置は歴史的な方位観念に基づく説明であり、現在の地図で城から寺へ線を引けば正確な南西45度上に並ぶという意味ではありません。
増上寺は徳川将軍家の菩提寺として発展し、二代秀忠など6人の将軍の墓所があります。家康との縁の深さは、寺院の移転や徳川家の保護にも表れています。
神田明神と平将門は鬼門の守りにどう関わる?
江戸城の表鬼門に関係する場所は寛永寺だけではありません。平将門を祀る神田明神も、江戸幕府が開かれた後、1616年に表鬼門守護の現在地へ遷座したと伝えられます。寛永寺とは創建・移転の年代も宗教上の役割も異なります。
神田明神に将門が祀られた経緯や、大手町の将門塚との違いは、神田明神と平将門・家康の鬼門の関係で詳しくまとめています。
寛永寺と増上寺は今どこにある?見学できる場所と料金
寛永寺根本中堂は東京都台東区上野桜木1-14-11にあり、JR鶯谷駅南口から徒歩約7分です。境内の開門時間は9時〜17時。根本中堂の中陣と天井絵の拝観は通常10時〜16時(最終受付15時40分)、大人500円・高校生以下無料です。外陣のみの参拝は無料ですが、行事などにより拝観できない日があります。
増上寺は東京都港区芝公園4-7-35にあり、都営三田線の御成門駅・芝公園駅から徒歩約3分です。大殿地下の宝物展示室は一般700円、中高生300円、小学生以下無料。通常は平日11時〜15時、土日祝10時〜16時で、火曜休館(祝日を除く)です。
徳川将軍家墓所の特別拝観は通常大人500円ですが、2026年10月27日から12月1日までは受付施設工事のため休所と案内されています。墓所と宝物展示室は別施設のため、訪問時はそれぞれの公開状況を確認すると安心です。
江戸城跡を実際に歩きたい場合は、皇居東御苑の入園方法と江戸城の見どころも参照できます。
まとめ
江戸城の北東の鬼門には天海が1625年に創建した寛永寺、裏鬼門を守る寺院として芝の増上寺が位置づけられました。神田明神も1616年に表鬼門の守護地へ移っています。寛永寺は家康の死後に建てられたため、江戸を守る寺社の配置をすべて家康自身の事業と考えるのは正確ではありません。歴史的な方位観と都市伝説は分けて楽しみましょう。
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