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河合紫乃はなぜ左脚を切断した?股関節の異常から世界1位までの経緯【仰天ニュースで話題】

河合紫乃が左脚切断を乗り越えて再び世界へ

バドミントン日本代表を目指していた河合紫乃さんは、股関節の異常をきっかけに手術を受け、その後遺症で左脚に麻痺が残りました。さらに血流障害による壊死が進み、2024年には左脚を切断。それでも競技をあきらめず、現在はパラバドミントンで世界の頂点を争っています。『ザ!世界仰天ニュース(どん底から這い上がった不屈の女性のストーリー!)(2026年8月11日放送)』では、その壮絶な経緯と復活が取り上げられます。

この記事でわかること

  • 河合紫乃さんが左脚を切断した理由
  • 股関節の異常から競技を離れるまでの経緯
  • 切断後に起こる幻肢痛とは何か
  • 河合紫乃さんの現在とパラバドミントンでの実績

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河合紫乃はなぜ左脚を切断した?直接の理由は血流障害による壊死

最も気になるのは、なぜ左脚を切断することになったのかという点ではないでしょうか。

河合紫乃さん本人の2026年のインタビューによると、左脚を切断した直接の理由は、血流障害によって壊死が進行していたことです。2024年7月に左脚を切断したと語っています。

つまり、「股関節が痛くなったため、そのまま脚を切断した」という単純な経過ではありません。

河合さんはそれ以前に股関節の手術を受け、その後遺症で左脚に麻痺が残りました。左脚の感覚がほとんどなくなり、長期間にわたって車いすを使用する生活を続けていました。

本人の過去のインタビューでは、感覚が低下していたため、ストーブによるやけどに気づかなかったり、練習中に脚を骨折しても気づかなかったことがあったと明かしています。さらに、家の中で左脚を引っかけて転ぶことも増えていました。

そして血流障害による壊死が進み、最終的に切断を決断しました。

ここは初めて知ると少し驚きます。切断という大きな決断だけを見ると突然の出来事に感じますが、実際には手術、麻痺、感覚低下、血流障害、壊死という長い経過がありました。

河合さんの場合には複数の医学的事情が重なっているため、一般的な股関節痛と同じものとして考えないことも大切です。

河合紫乃とは何者?日本代表を目指したバドミントン選手

河合紫乃さんは1992年生まれ、富山県出身のパラバドミントン選手です。

もともとは障害者スポーツの選手ではありませんでした。

富山商業高校時代には全日本ジュニア5位。その後、法政大学に進学し、大学時代にはインカレ団体優勝を経験しています。大学卒業後もS/Jリーグの選手としてバドミントンを続けていました。

経歴を簡単に整理すると、次のようになります。

時期 河合紫乃さんの歩み
高校時代 全日本ジュニア5位
法政大学時代 インカレ団体優勝
大学卒業後 S/Jリーグ選手として活動
股関節手術後 左脚に麻痺が残り車いす生活へ
その後 パラフェンシング日本代表として活動
2024年 左脚を切断
2024年末 パラバドミントン国内大会で優勝
2025年 国際大会で優勝
2026年 世界選手権優勝、世界ランキング1位

もともと日本トップクラスでバドミントンをしていた選手が、一度競技を離れ、別競技を経験したあと、義足で再びバドミントンに戻ってきたことになります。

個人的には、単に「大けがから復活した」という言葉だけでは足りない経歴だと感じます。

競技人生が一度途切れ、さらにパラフェンシングというまったく別の競技で日本代表を経験したうえで、もう一度原点のバドミントンに戻っているからです。

股関節の手術後に何が起きた?1年4カ月の入院と車いす生活

河合紫乃さんの人生が大きく変わったのが、股関節の手術でした。

所属企業が公表しているプロフィールでは、股関節のけがを理由に手術を受け、その後1年4カ月入院。後遺症によって車いすを使用する生活となり、バドミントンを引退したとされています。

さらに本人は、複数回の手術のどこかで神経を損傷し、左脚の感覚がほとんどなくなったと説明しています。

アスリートにとって「脚が動かない」というのは、日常生活の問題だけではありません。

それまで人生の中心だったスポーツそのものを失うことになります。

実際、所属企業のプロフィールでは、障害を受け入れられず、長期間競技から離れていた時期があったことも明かされています。

たしかにこれは精神的にも大きな出来事だったはずです。

毎日練習し、日本代表を目指していた人が、突然「もう以前と同じ体では競技できない」という現実に直面する。体の治療だけでは解決できない問題があることも、河合さんの経歴からわかります。

「最大1400万人の股関節の異常」とは?現時点では病名の断定に注意

2026年8月11日の放送予告では、河合紫乃さんについて「生まれつき骨に異常があったが気づかなかった」とされ、さらに日本に最大1400万人いるという股関節の病が取り上げられることが明らかになっています。

一方で、放送前の2026年8月10日時点では、日本テレビ公式の次回予告では具体的な病名までは公表されていません

そのため、「1400万人の病気は○○だ」と現段階で決めつけるのは避けた方がよいでしょう。

ここはかなり重要です。

股関節には、骨の形、生まれつきの構造、軟骨、関節周辺の筋肉など、さまざまな原因による異常があります。

「股関節が痛い」という症状だけで、河合さんと同じ状態だと考えることはできません。

また、河合さんの場合は、股関節の問題だけで左脚切断に至ったわけではなく、手術後の麻痺や血流障害、壊死など複数の事情が重なっています。

そのため、「股関節の異常があると脚を切断する」という意味ではありません。

むしろ知っておきたいのは、股関節の違和感や痛みが続く場合に「そのうち治るだろう」と無理を重ねないことです。

スポーツをしている人だけでなく、

  • 歩くと股関節が痛む
  • 片側だけ違和感が続く
  • 脚を動かせる範囲が狭くなった
  • 痛みをかばって歩き方が変わった

といった変化が続く場合には、自己判断だけで運動を続けず、整形外科などで状態を確認することが大切です。

もちろん、一時的な筋肉痛などもあるため、症状だけで重大な病気と考える必要はありません。

個人的には、今回の話で覚えておきたいのは「怖がること」よりも、長く続く異変を放置しないことだと思います。

河合紫乃は切断する場所にも大きな決断をしていた

河合紫乃さんの左脚切断には、もう一つ重要なポイントがあります。

医師からは、麻痺が残っていた股関節から切断する方法をすすめられたものの、河合さんは股関節を残すことを選びました。

その理由は、すでにパラバドミントンへの転向を考えていたからです。

義足で競技する場合、太ももが残っている方がよいと考え、歩けなくなる可能性があることも承知したうえで、股関節を残す選択をしました。

ただし、手術が終わればすぐに歩けたわけではありません。

股関節は思うように動かず、義足をつけてもバランスを崩して転んでしまう状態でした。

そこで義肢装具士と相談しながら、左の脇腹付近の筋肉を使って義足を動かす方法を練習したといいます。

そして、切断から約3カ月後には走れるようになったと本人が明かしています。

これは誰にでも同じようにできるものではありません。

本人も、バドミントン経験者なら誰でも同じ速度で競技復帰できるわけではないと説明しています。

ここは「努力すれば誰でもできる」という単純な話にしない方がよい部分でしょう。

身体の状態、切断部位、残された筋肉の機能、義足との適合、リハビリ環境などによって大きく変わるからです。

左脚を失ったのに痛い「幻肢痛」とは?

脚や腕を切断したあとに起こることがあるのが**幻肢痛(げんしつう)**です。

これは、すでに失われた手や脚がまだ存在するように感じ、そこに痛みを感じる現象です。

たとえば、

「ないはずの足先が痛い」

「失った指が締めつけられる」

「脚がねじれているように感じる」

といった感覚が現れることがあります。

不思議に感じますが、単なる思い込みという意味ではありません。

手足を失っても、脳にはそれまで蓄積されてきた身体の感覚や位置、動かし方に関する情報があります。

そのため、実際の手足から届く情報と、脳の中に残った身体イメージとの間にずれが生じ、痛みとして感じられることがあると考えられています。幻肢痛の仕組みは非常に複雑で、現在も研究が続いています。

「脚がないなら痛くないはず」と思ってしまいがちなので、初めて知るとかなり意外です。

しかし、本人が実際に感じている痛みであり、生活や睡眠、リハビリに影響することもあります。

幻肢痛の「脳をだます治療」とは?鏡を使うミラーセラピー

幻肢痛への対応として知られている方法の一つが、ミラーセラピー(鏡療法)です。

方法は名前の通り、鏡を使います。

たとえば左脚を切断している場合、残っている右脚を鏡に映します。

鏡を見ると、脳には左右両方の脚があるように見えます。

その状態で残っている脚を動かすことで、あたかも失った脚も正常に動いているような視覚情報を脳へ送ります。

脳の中にある「動かしたいのに動かない」という情報と、目から入る「動いている」という情報の食い違いを調整し、痛みを和らげることを狙う方法です。

「脳をだます治療」と表現されることがありますが、本当に単純に脳をだましているわけではありません。

視覚情報と身体感覚を利用して、脳の中の身体イメージへ働きかけるリハビリテーションの一つと考えた方がわかりやすいでしょう。

また、すべての幻肢痛に同じように効くわけではありません。

痛みの性質によって効果に違いがあることが報告されており、幻肢痛には薬物療法など別の治療が選択される場合もあります。

そのため、自分で鏡を使えば必ず治るというものではなく、強い痛みがある場合には医療機関で相談することが大切です。

河合紫乃はなぜ再びバドミントンを始めた?

左脚を切断した河合紫乃さんが選んだのは、かつて人生をかけていたバドミントンへの復帰でした。

ただ、最初からバドミントンに戻りたかったわけではありません。

車いす生活になったあと、河合さんはパラフェンシングに取り組み、日本代表として約5年間活動しました。東京パラリンピックやパリパラリンピックを目指して国際大会を転戦しましたが、出場には届きませんでした。

そんな中、ナショナルトレーニングセンターで以前のバドミントン仲間と再会。

実業団の練習に参加して久しぶりにシャトルを打ったところ、少しずつ以前の感覚が戻ってきたといいます。

そこで再び「バドミントンをやりたい」という気持ちが強くなりました。

一度は失った競技に、体の条件がまったく変わった状態でもう一度戻る。

個人的には、この部分が河合さんの物語で最も印象に残ります。

「昔と同じ自分に戻る」のではなく、今の身体でできる新しいバドミントンを作り直したからです。

義足でパラバドミントンへ復帰し国内初戦で優勝

河合紫乃さんは2024年、左脚切断後にパラバドミントンへ転向しました。

出場しているのは、立った状態でプレーするSL3クラスです。

2024年12月には日本障がい者バドミントン選手権大会の女子シングルスSL3に出場。

復帰後の大きな国内大会で優勝しました。

しかも本格的な立位練習を始めてから大会までの準備期間は短く、本人によれば疲労骨折なども経験しながら調整していました。

一般的なバドミントンと同じ感覚で走ることはできないため、ラケットワークやタイミング、フェイントといった技術を磨き、フットワークの不足を補っています。

ここには、健常時代の競技経験が大きく生かされています。

単純に以前の技術をそのまま使うのではなく、現在の身体に合わせて戦い方そのものを変えているところがポイントです。

河合紫乃の現在は世界ランキング1位!2026年世界選手権も優勝

河合紫乃さんの復活は、国内大会だけでは終わりませんでした。

2025年8月には、パラバドミントン転向後初の海外遠征となったペルー国際で優勝。

さらに2026年2月の世界選手権でも初出場初優勝を果たしました。

2026年8月5日時点では、女子SL3シングルスの世界ランキング1位です。

経歴だけを見ると、

日本代表を目指すバドミントン選手

股関節の手術

左脚麻痺・車いす生活

バドミントン引退

パラフェンシング日本代表

左脚切断

パラバドミントン転向

世界選手権優勝

世界ランキング1位

という非常に大きな変化を経験しています。

現在は、2028年ロサンゼルスパラリンピックでの金メダルを大きな目標にしています。

「左脚を切断して競技に復帰した」というだけでも驚きますが、その後わずかな期間で世界トップまで上がったことを知ると、さらに見方が変わります。

股関節の痛みで気をつけたいこと

河合紫乃さんのケースを知ると、「自分の股関節も痛いけれど大丈夫だろうか」と心配になる人もいるかもしれません。

ただし、河合さんは非常に特殊な経過をたどっています。

股関節の痛みがあるからといって、同じように麻痺や切断につながるわけではありません。

一方で、痛みがあるのに無理を重ねることもおすすめできません。

特に、

  • 痛みが何週間も続いている
  • 運動するたびに同じ場所が痛む
  • 安静にしても改善しない
  • 脚にしびれや感覚の低下がある
  • 歩き方が変わるほど痛い
  • 脚が動かしにくくなってきた

といった場合には、一度整形外科で相談しておくと安心です。

スポーツをしている人ほど、「この程度なら練習できる」と我慢しやすいものです。

しかし、痛みを我慢できることと、身体に問題がないことは同じではありません。

個人的には、今回の河合さんの経験から受け取るべきなのは「股関節の病気は怖い」ということではなく、身体から出ている変化を軽く見ないことだと感じます。

河合紫乃の復活で見えてくるのは「元に戻る」だけではない選択肢

河合紫乃さんは、以前の身体に戻ったわけではありません。

左脚を失い、股関節にも麻痺が残っています。

それでも義足の使い方を一から覚え、自分の身体に合わせた新しい動き方を身につけ、かつて取り組んでいたバドミントンへ戻りました。

そして2026年には世界ランキング1位にまで到達しています。

ここが、この話の大きなポイントではないでしょうか。

病気やけがのあと、「以前と同じようにできるか」だけを基準にすると、できなくなったことばかりが目につきます。

しかし河合さんの場合は、現在の身体で何ができるかを考え、競技方法そのものを組み立て直しました。

もちろん、誰もが同じような復活を目指す必要はありません。

それでも、大きな変化が起きたあとにも、以前とは違う方法で新しい選択肢が見つかることがあるという河合さんの歩みは、多くの人にとって印象に残るものだと思います。

そして股関節の痛みや体の異変については、河合さんのケースをそのまま自分に当てはめるのではなく、気になる症状が続くなら早めに医療機関で状態を確認することが大切です。

出典


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