記事内には、広告が含まれています。

加賀藩の献上氷「お氷様」480km輸送の仕組み|『ニノなのに』でACEesが再現

歴史

冷蔵庫のない江戸時代に金沢から氷を運んだ驚きの方法

2026年9月9日放送の『ニノなのに』では、ACEesの浮所飛貴さん、作間龍斗さん、深田竜生さんが、江戸時代の「加賀から江戸まで約480km、氷を溶かさずに運んだ」という伝説を検証します。番組では現代のクーラーボックス、自転車、江戸時代を再現した木箱の3方式を使い、約15kmを運んで氷がどれだけ残るのかを比べます。

この「お氷様」は単なる昔話ではありません。加賀藩から将軍家へ氷を献上する文化があったことは、現在の金沢に残る「氷室開き」にも受け継がれています。

この記事でわかること

  • 加賀藩が将軍家に献上した「お氷様」の歴史
  • 江戸時代の氷を保存した「氷室」の仕組み
  • 木箱・むしろ・熊笹を使ったとされる運搬方法
  • 本当に金沢から江戸まで480km運んだのかという歴史上の論点

加賀藩の「お氷様」とは

現在のような冷蔵庫も製氷機もなかった江戸時代、真夏の氷は非常に貴重なものでした。

加賀藩では冬の雪を「氷室」と呼ばれる場所に詰めて保存し、旧暦6月1日の「氷室の朔日」に取り出した雪氷を徳川将軍家へ献上する習慣があったと伝えられています。

金沢市観光協会の公式情報でも、この献上氷を由来として現在の「氷室開き」が行われていると説明されています。

つまり『ニノなのに』が検証するのは、約200年前の変わった伝説をゼロから作り直す企画ではなく、現在まで金沢に文化として残っている歴史を現代の条件で試す企画です。

氷室は雪を夏まで残す天然の冷蔵庫

「氷室」という名前から石造りの冷蔵庫のようなものを想像するかもしれませんが、基本的な考え方はもっとシンプルです。

冬の間に大量の雪を詰め、外気の影響を受けにくい状態にして、夏まで保存します。

現在、金沢市湯涌温泉にはこの伝統を再現した氷室小屋があります。

毎年冬に雪を詰める「氷室の仕込み」を行い、6月30日の「氷室開き」で雪氷を取り出します。2026年の氷室開きも6月30日に玉泉湖畔の氷室小屋で行われました。

冬に蓄えた雪が初夏まで残っているというだけでも、天然の断熱技術の面白さが分かります。

氷はどうやって箱に詰めたのか

ここが『ニノなのに』で特に注目されそうな部分です。

一般社団法人石川県トラック協会が加賀飛脚を紹介した映像では、献上氷について、

氷を切り出す
↓
むしろで覆う
↓
白い布で包む
↓
二重の板で作った長持に入れる
↓
板の隙間へ熊笹を詰める

という方法が紹介されています。

現代のクーラーボックスは発泡素材などで熱が伝わりにくくなっていますが、江戸時代には身近な天然素材と空気層を利用して、外気の熱が氷へ伝わりにくい状態を作っていたわけです。

また、国立国会図書館のレファレンス協同データベースに掲載された資料調査では、『加能郷土辞彙』に、金沢で貯蔵した氷を「二重の桐長持」に入れ、脚夫によって江戸へ急送したという記述が確認されています。

「二重構造の箱」という点は、現代の断熱容器にも通じる考え方です。

木箱だけなのに氷が残りやすい理由

氷が溶けるのは、周囲から熱が入ってくるためです。

そこで重要なのは、箱そのものを冷たくすることより「外から熱を入れにくくすること」です。

木は金属に比べると熱を伝えにくく、さらに二重構造にして間へ葉や天然素材を詰めれば、空気の層もできます。

そのため、江戸時代の木箱は単なる運搬箱ではなく、構造全体で熱の移動を抑える仕組みだったと考えると分かりやすいでしょう。

『ニノなのに』では、

現代のクーラーボックス
自転車で速く運ぶ方法
伝説の木箱

を比較します。

「保冷性能を上げる」のか、それとも「溶ける前に速く届ける」のか。

まったく違う2つの戦略を比べる実験になっています。

運んだ箱は総重量100kgとも伝えられる

石川県トラック協会の紹介では、献上氷を入れた荷物の総重量は約100kgにもなったとされています。

これを金沢から江戸まで運ぶのですから、単に「氷を保冷する」だけでは済みません。

重い箱を運ぶ人間の体力も必要です。

同協会は通常なら10日ほどかかる道のりを、加賀飛脚は約4日で運んだと紹介しています。

仮に480kmを4日で進むなら、単純平均で1日約120km。

現在の感覚でもかなり過酷です。

途中には平坦な道路だけでなく、北陸から信越・関東へ抜ける山間部があります。

氷を守る技術と、運ぶ人の脚力。その両方が必要だったことが分かります。

2023年には金沢から東京480kmの再現実験も行われた

実は「本当に480km運べるのか」という検証は、過去にも行われています。

石川県生活衛生同業組合連合会の広報誌では、2023年にNHK『歴史探偵』が加賀藩の献上氷をテーマに、金沢から東京まで約480kmを運ぶ再現実験を行ったことが紹介されています。

その際は、文献を参考に木の葉や笹の葉で25kgの氷を包み、木箱に梱包。

人が夜通し走り続けることは難しいため、自転車でリヤカーを引き、4日間かけて金沢から富山、新潟、長野、群馬、埼玉を通って東京の東大・赤門まで運びました。

東大・本郷キャンパスは、かつて加賀藩の江戸上屋敷があった場所です。

現在の東京大学に赤門が残っているのも、加賀前田家の江戸屋敷の歴史とつながっています。

実は「480km運んだ」は歴史研究上かなり面白いテーマ

ここでひとつ面白い点があります。

「加賀藩は金沢から江戸まで毎年氷を運んでいた」

と簡単に語られることが多いのですが、歴史資料を詳しく調べると話は少し複雑です。

国立国会図書館のレファレンス協同データベースには、加賀藩江戸上屋敷にも「氷室」が存在したことを示す資料が紹介されています。

1838年刊行の『東都歳時記』にも、加賀藩邸に氷室があり、6月1日に氷を献上したという内容が確認されています。

さらに北陸大学の「金沢『氷室』考」では、

「金沢から夏に運んだ」

とする伝承や資料がある一方、

「江戸で冬に積もった雪を江戸屋敷の氷室に保存し、それを献上したのではないか」

という説も取り上げられています。

つまり、献上氷の習慣そのものは資料で確認できるものの、いつの時代も毎回同じ方法で480km運んでいた、と単純に断定できる話ではありません。

番組表が「江戸時代の伝説」と表現しているのも、このテーマにはぴったりです。

加賀藩江戸上屋敷は現在の東京大学本郷キャンパス

加賀藩前田家の江戸上屋敷があった場所は、現在の東京大学本郷キャンパス周辺です。

石川県立図書館には、加賀藩上屋敷に氷室が存在したことを伝える1987年の新聞記事資料も保存されています。記事の見出しには、氷をどのように運んだのか、将軍家へ献上する手順にも謎が残ることが記されています。

つまり「金沢の氷室」と「江戸の加賀藩邸の氷室」の両方が歴史に登場します。

単なる保冷箱対決だと思って番組を見るより、この背景を知っておくとかなり面白くなります。

今も湯涌温泉に残る氷室文化

献上氷の文化は、江戸幕府がなくなったことで終わりました。

しかし金沢では別の形で今も残っています。

金沢では7月1日を「氷室の日」と呼び、「氷室まんじゅう」を食べて無病息災を願う風習があります。金沢市も、加賀藩時代から伝わる初夏のお菓子として氷室まんじゅうを紹介しています。

また湯涌温泉では1980年代から氷室の伝統が復元され、現在も冬の雪詰めと夏の氷室開きが続いています。

テレビの実験をきっかけに知った「江戸時代の氷」が、実際には現在の金沢の食文化や観光行事につながっているのです。

実用情報|現在の氷室小屋を見るなら湯涌温泉へ

現在、氷室文化を実際に感じられる場所が金沢市の湯涌温泉です。

氷室小屋は玉泉湖周辺にあり、金沢駅から車で約40分。北鉄バス「湯涌温泉」バス停から徒歩約3分と案内されています。

毎年6月30日には「氷室開き」が行われます。

冬に詰めた雪を夏に取り出す様子を実際に見られるため、『ニノなのに』をきっかけに加賀藩の氷室文化へ興味を持った人には面白い場所です。

まとめ

加賀藩の「お氷様」は、冷蔵庫のない時代に夏の氷を将軍へ届けるという壮大な文化でした。

氷をむしろや布で覆い、二重構造の木箱や葉を利用して熱を遮り、飛脚が急いで江戸へ運んだという伝承が残っています。

一方で江戸の加賀藩邸にも氷室があったことが確認されており、「金沢から毎回480km運んでいた」という部分には歴史上の研究余地も残っています。

『ニノなのに』ではACEesの浮所飛貴さん、作間龍斗さん、深田竜生さんが、現代のクーラーボックス、自転車、伝説の木箱を使って約15kmの実験に挑戦します。

200年以上前の保冷技術が現代の道具にどこまで迫るのか。

歴史だけでなく、熱をどう遮るかという生活の知恵まで楽しめる企画になりそうです。

参考リンク

『ニノなのに』TBS公式サイト

金沢旅物語「氷室開き」

国立国会図書館 レファレンス協同データベース「加賀藩上屋敷の氷室」


気になる生活ナビをもっと見る

購読すると最新の投稿がメールで送信されます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました