下関が「ふぐの本場」になった原点は伊藤博文と春帆楼にあった
2026年9月11日放送のNHK総合『チコちゃんに叱られる!』では、「なぜふぐは下関名物?」という疑問が取り上げられました。
下関がふぐで有名なのは、単純に「日本で一番ふぐが獲れるから」ではありません。大きな転機となったのが、1887年に初代内閣総理大臣・伊藤博文が下関の春帆楼でふぐを食べた出来事です。
翌1888年、山口県でふぐ食が解禁され、春帆楼は「ふぐ料理公許第一号」として知られるようになりました。現在の下関が全国からふぐを集め、高度な処理技術を持つ一大集積地になった背景にも、この歴史がつながっています。
この記事でわかること
- 下関がふぐの名物になった本当の理由
- 伊藤博文と春帆楼で起きた1887年の出来事
- ふぐ食が1888年に山口県で解禁された経緯
- 現在の春帆楼本店の場所・予約・ふぐ料理
春帆楼で伊藤博文に出されたふぐが歴史を動かした

番組で紹介された「伊藤博文に食べさせる魚がふぐしかなかった」というエピソード。その舞台となったのが、山口県下関市に現在もある春帆楼(しゅんぱんろ)です。
春帆楼の公式資料によると、明治20年、つまり1887年の暮れ、当時初代内閣総理大臣だった伊藤博文が春帆楼に宿泊しました。
ところが、この日は海が大しけで漁ができず、伊藤に出す魚がありませんでした。
当時の女将・みちは、禁制だったふぐを伊藤の膳に出す決断をします。春帆楼には、女将が「打ち首覚悟」で出したという逸話が残されています。
伊藤はそのふぐを食べて味を高く評価しました。
これが、一軒の料理屋だけでは終わらない大きな転機になります。
翌1888年に山口県でふぐ食が解禁された
伊藤博文が春帆楼でふぐを食べた翌年の明治21年(1888年)、山口県ではふぐ食が解禁されました。
春帆楼によれば、伊藤が当時の山口県令・原保太郎に働きかけたことで禁制が解かれ、春帆楼はふぐ料理公許第一号となりました。
農林水産省も、山口県の郷土料理を紹介する資料で、伊藤博文がふぐのおいしさに感心したことをきっかけに、1888年に山口県でふぐ食が解禁されたと紹介しています。
つまり下関のふぐには、
「たくさん獲れたから名物になった」というだけではない、食文化そのものが公に認められた歴史的な転機
があったのです。
ふぐは豊臣秀吉の時代から長く禁止されていた
ふぐを食べる文化そのものは、伊藤博文の時代に突然始まったわけではありません。
下関市の資料では、縄文時代後期の遺跡からもふぐの骨が発見されており、この地域で古くからふぐが食べられていたことが確認されています。
大きく状況が変わったのが安土桃山時代です。
豊臣秀吉による朝鮮出兵の際、兵士のふぐ中毒が相次いだことなどから、ふぐ食が禁止されました。その禁令は江戸時代にも引き継がれます。農林水産省も、豊臣秀吉の禁止令から江戸期を経て、明治21年の山口県での解禁へつながった歴史を紹介しています。
それでも下関では、庶民の間でふぐを食べる文化自体は残っていたとされています。
そこへ伊藤博文と春帆楼の出来事が重なり、「隠れて食べられていたふぐ」から「地域を代表する料理」へ大きく状況が変わりました。
下関が現在も「ふぐの本場」と呼ばれる理由
下関の強さは、歴史だけではありません。
農林水産省の地理的表示(GI)「下関ふく」では、地域との結び付きとして伊藤博文によるふぐ食公許以来の伝統が明記されています。
さらに下関には、長い歴史の中で、
- 全国各地からふぐを集める流通機能
- 仲卸業者による目利き
- 毒のある部位を取り除く高度な「みがき」技術
- ふぐ料理店や加工場の集積
が発達しました。
つまり、「下関=ふぐ」というブランドは漁獲量だけで成立しているものではありません。
歴史、流通、加工技術、料理文化が一つの地域に蓄積されたことこそ、下関が現在まで「ふぐの本場」であり続ける大きな理由です。
春帆楼は「ふぐ料理公許第一号」の店として現在も営業
番組で語られた歴史の舞台、春帆楼は現在も下関市阿弥陀寺町で営業しています。
関門海峡を望む場所に建ち、後の1895年には日清講和会議の会場にもなりました。ふぐだけでなく、日本近代史の大きな出来事を見てきた場所でもあります。
現在の下関本店では、とらふぐの薄造りや唐揚げ、ふぐちり、雑炊などを組み込んだコース料理が提供されています。
代表的な「ふぐフルコース」は、公式サイト掲載時点で、
- 24,200円(税込)
- 29,700円(税込)
のコースがあります。別途サービス料10%が必要と案内されています。
春帆楼下関本店の場所と予約方法
春帆楼下関本店の基本情報は次の通りです。
- 店名:春帆楼 下関本店
- 住所:山口県下関市阿弥陀寺町4-2
- 電話:083-223-7181
- 食事予約受付:9:00~22:00
- JR下関駅から:車で約10分
- 新幹線新下関駅から:車で約15分
- 駐車場:あり
予約や最新の料理内容は公式サイトで確認できます。
春帆楼では通販も行っており、公式通販案内から楽天市場店、Yahoo!ショッピング店へ進むことができます。
下関では「ふぐ」ではなく「ふく」と呼ぶ文化も残る
下関では、ふぐを「ふく」と呼ぶことがあります。
「福」に通じる縁起のよい呼び名として定着しており、農林水産省のGI登録名称も「下関ふく」です。
刺身の「ふく刺し」をはじめ、下関では単なる海産物ではなく、その土地の文化としてふぐが受け継がれています。
1888年の解禁がスタート地点となり、料理人、仲卸、加工業者など多くの人たちが技術を積み重ねてきたことが、現在の「ふくの街・下関」につながっています。
まとめ
『チコちゃんに叱られる!』で紹介された「なぜふぐは下関名物?」という疑問をたどると、その中心には伊藤博文と春帆楼がありました。
1887年、大しけで魚がない中、春帆楼の女将が伊藤博文に禁制だったふぐを提供。伊藤がその味を評価したことを契機に、翌1888年には山口県でふぐ食が解禁されました。
春帆楼はふぐ料理公許第一号となり、そこから下関には流通、目利き、加工、料理の技術が蓄積されていきます。
下関が「ふぐの本場」と呼ばれるのは、単にふぐが獲れる場所だからではありません。
明治時代の解禁を起点に、130年以上かけて築かれたふぐ文化そのものが下関の名物になったと考えると、番組の答えがより分かりやすくなります。
参考リンク
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