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増上寺・台徳院殿霊廟が消えた経緯と英国王室に残った1/10模型|歴史探偵 東京“幻の世界遺産” 徳川家霊廟

文化

東京にあった「世界遺産級」の徳川将軍家霊廟

2026年9月16日放送のNHK総合『歴史探偵 東京“幻の世界遺産” 徳川家霊廟』では、かつて東京・芝の増上寺に立ち並んでいた徳川将軍家の霊廟を3DCGで復元します。

なかでも注目したいのが、2代将軍・徳川秀忠のために造営された台徳院殿霊廟です。徳川家霊廟の中でも特に壮麗だった建築群は戦前に国宝指定されながら、1945年の戦災によって焼失しました。

ところが、その失われた姿を驚くほど詳細に伝える1/10スケールの巨大模型が英国王室に残されていました。なぜ東京の徳川霊廟の模型がイギリスに渡ったのか。現在何が残っているのかまで整理します。

この記事でわかること

  • 増上寺の台徳院殿霊廟がどのような建築だったのか
  • 国宝だった霊廟が失われた経緯
  • 1/10模型が英国王室に渡った理由
  • 現在、増上寺で見られる霊廟の遺構と模型

増上寺の台徳院殿霊廟は1945年の戦災で焼失した

出典:増上寺「徳川将軍家墓所」

今回の『歴史探偵』で扱われる徳川将軍家霊廟の重要な舞台が、東京都港区芝公園にある増上寺です。

増上寺は上野の寛永寺とともに徳川将軍家の菩提寺となり、現在も2代秀忠、6代家宣、7代家継、9代家重、12代家慶、14代家茂の6人の将軍が埋葬されています。

かつては現在のように墓塔だけがまとまっていたわけではありません。

大殿の南北には「御霊屋」と呼ばれる壮大な霊廟建築群が広がり、本殿、拝殿、門、塀、奥院などが一体となった巨大な空間を形成していました。増上寺によれば、これらには当時最高水準の建築・美術技術が注ぎ込まれ、戦前には国宝に指定されていました。

しかし1945年、東京は大規模な空襲に見舞われます。

増上寺では3月10日に北側の霊廟、5月25日に南側の霊廟が被災。壮麗な建築群のほとんどが焼失しました。

つまり「幻の世界遺産」と呼ばれる理由は、単に古い建物がなくなったからではありません。

国宝として評価されるほどの建築群が、戦争によって東京の中心部から一気に姿を消したのです。

徳川秀忠の台徳院殿霊廟は日光東照宮につながる建築だった

その中でも特に重要なのが台徳院殿霊廟です。

2代将軍・徳川秀忠が1632年に亡くなると、3代将軍・徳川家光によって増上寺境内南側に秀忠の霊廟が造営されました。

増上寺では、台徳院殿霊廟を徳川家の霊廟の中でも屈指の壮麗さを誇った建築と位置づけています。

さらに興味深いのが、日光東照宮のプロトタイプとなった霊廟と説明されていることです。台徳院殿霊廟は1632年に造られ、その後の豪華な徳川霊廟建築につながる重要な存在でした。

1930年には国宝に指定されます。

朱漆や金箔、精巧な彫刻などで飾られた建築でしたが、木造部分が多かったため1945年5月の空襲による火災で大部分が失われました。奥院にあった秀忠の宝塔も木造で、戦災によって焼失しています。

現在の増上寺を訪れただけでは、ここに世界的にも評価され得るほど巨大で華麗な建築群があったとは想像しにくいかもしれません。

今回の番組が3DCG復元を行う意味も、まさにそこにあります。

失われた霊廟を伝える1/10模型がイギリスに残っていた

さらにこの物語を特別なものにしているのが、英国王室とのつながりです。

台徳院殿霊廟には、実物が存在していた時代に製作された1/10スケールの模型があります。

製作は東京美術学校、現在の東京藝術大学が担当しました。建築は古宇田実教授、彫刻は高村光雲教授が監修し、明治末期の一流の技術を用いて実際の霊廟を忠実に再現しています。

模型が作られたのは1909~1910年ごろ。

実物を詳細に計測・調査したうえで製作され、宮大工による木組みや漆、金銀の蒔絵など、実際の霊廟と同様の技法も使われました。英国王室のRoyal Collection Trustも、この模型が実物の霊廟がまだ存在していた時代の精密な記録であることを紹介しています。

そして1910年、ロンドンで開催された日英博覧会へ東京市の出品物として海を渡りました。

博覧会終了後、模型は英国王ジョージ5世に贈られ、英国王室のロイヤル・コレクションとなります。

この偶然ともいえる経緯が、後世に大きな意味を持つことになりました。

東京に残った本物の霊廟は1945年に焼失。

一方、はるかイギリスへ渡っていた模型は戦火を免れたのです。

模型は幅6メートルにもなる巨大な「もう1つの霊廟」

模型といっても、小さな建築模型ではありません。

台徳院殿霊廟模型は、

  • 本殿
  • 相の間
  • 拝殿
  • 中門
  • 透塀

などを再現し、全体の大きさは約4メートル×6メートルに達します。

日英博覧会後にはロンドンのキューガーデンで公開され、その後は解体されて英国王室の収蔵庫で保管されていました。

約100年後、大きな転機が訪れます。

英国側から日本で公開する意向が示され、英国大使を通じて徳川宗家や増上寺との協力が進められました。

模型は2014年4月に日本へ到着。小西美術工藝社による修復とクリーニングを経て、2015年に開館した増上寺宝物展示室で公開されるようになりました。

東京で本物が焼け、英国に渡った模型が100年以上の時を経て東京へ戻る。

今回の番組で「英国王室協力」が大きく打ち出されている背景には、この数奇な歴史があります。

極彩色だった霊廟内部まで模型から読み取れる

模型の価値は、外観を再現しているだけではありません。

修復された模型は全体が朱漆塗りで、建具や破風周辺には金箔が施されています。増上寺宝物展示室では本殿の屋根を外し、失われた霊廟内部の極彩色の世界まで確認できるよう展示されています。

本物の台徳院殿霊廟は現在、モノクロ写真などで往時をたどるしかありません。

だからこそ、実物が存在した時代に正確な計測をもとに作られたこの模型は、単なる展示品ではなく、失われた建築を復元するための極めて重要な資料になっています。

『歴史探偵』で行われる3DCG復元でも、こうした資料が「色のある徳川霊廟」を蘇らせる手掛かりになります。

現在も残る「鋳抜門」が往時の壮麗さを伝えている

霊廟のすべてが消えてしまったわけではありません。

現在の増上寺徳川将軍家墓所には、鋳抜門が残っています。

これはもともと6代将軍・徳川家宣の文昭院殿霊廟にあった中門で、旧国宝。青銅製の扉には左右それぞれ葵紋が配され、昇り龍と下り龍が鋳抜かれています。

増上寺は、この門について日光東照宮にも並び評された往時の荘厳さを伝える数少ない遺構としています。

戦後の1958年からは文化財保護委員会を中心に学術調査が行われ、各所に分かれていた将軍墓所は現在地へまとめられました。

そのため現在見る徳川将軍家墓所と、江戸から昭和初期まで存在した霊廟群では、景観が大きく異なっています。

台徳院殿霊廟模型は現在も増上寺宝物展示室で見られる

台徳院殿霊廟模型は、増上寺宝物展示室の中心展示として現在も公開されています。

主な施設情報は次の通りです。

  • 所在地:東京都港区芝公園4-7-35
  • 会場:増上寺大殿本堂 地下1階
  • 平日:11:00~15:00
  • 土日祝:10:00~16:00
  • 休館日:火曜日
  • 一般入館料:700円
  • 中高生:300円
  • 小学生以下:無料
  • 徳川将軍家墓所との共通券:1,000円

アクセスは都営三田線・御成門駅または芝公園駅から徒歩約3分、大門駅から徒歩約5分です。

なお、増上寺は2026年9月、徳川将軍家墓所についてチケット販売所建て替え工事のため年内に約2週間、一般拝観を休止する予定と発表しています。具体的な日程はまだ告知されていないため、墓所を訪れる場合は公式情報の確認が必要です。

まとめ

『歴史探偵 東京“幻の世界遺産” 徳川家霊廟』の中心となる台徳院殿霊廟は、2代将軍・徳川秀忠のため1632年に増上寺へ造営された壮大な建築群でした。

1930年には国宝に指定されながら、1945年の戦災によって焼失しています。

ところが、本物が存在していた1909~1910年ごろに製作された1/10模型が1910年の日英博覧会をきっかけに英国王室へ渡っていたため、失われた霊廟の姿が精密な立体資料として残りました。

そして100年以上を経て、その模型は東京・増上寺へ里帰りしています。

東京で本物が失われ、英国で模型が生き残った。

この数奇な歴史こそ、今回の「幻の世界遺産」を読み解く最大のポイントになりそうです。

参考リンク


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