飛鳥で始まった「時間を国が管理する」という大転換
2026年9月26日放送の『ブラタモリ 奈良・飛鳥 世界遺産記念SP』で注目したい遺跡の一つが、奈良県明日香村の「飛鳥水落遺跡」です。ここは単なる古代の時計跡ではありません。660年、中大兄皇子が日本で初めて漏刻と呼ばれる水時計を造り、人々へ時刻を知らせた場所と考えられています。
共通の時刻を定めることは、役人の勤務や政治、儀式、人々の生活を同じ基準で動かすことにつながります。飛鳥水落遺跡には、日本が豪族中心の社会から組織化された国家へ進んでいく中で、「時間」まで国が管理し始めた大きな転換が残されています。
この記事でわかること
- 飛鳥水落遺跡が「日本最初の水時計台」とされる理由
- 中大兄皇子が660年に造った漏刻の仕組み
- なぜ国づくりに「共通の時刻」が必要だったのか
- 現在の遺跡と飛鳥資料館で見られるもの
飛鳥水落遺跡は660年に造られた日本最初の水時計台

出典:明日香村「飛鳥水落遺跡」
飛鳥水落遺跡は、飛鳥川の東岸、飛鳥寺の北西側に位置する古代遺跡です。
明日香村はこの場所を「時のはじまりの地」と紹介しています。日本で初めて造られた水時計台があり、建物につるされた鐘によって24時間、時刻を知らせていたとしています。
その根拠となるのが『日本書紀』です。
斉明天皇6年にあたる660年、皇太子だった中大兄皇子、後の天智天皇が初めて「漏刻」を造り、人々に時を知らせたことが記されています。この時代の都の位置と発掘成果を合わせ、飛鳥水落遺跡がその漏刻台だったと考えられています。
つまり、ここにあったのは現代のような時計の文字盤ではありません。
水が一定の速さで移動する性質を利用して時間を測る巨大な装置でした。
「漏刻」は水の流れを使って時間を測った
漏刻とは、水槽などへ水を流し、その水量の変化によって時間を測る水時計です。
飛鳥水落遺跡の発掘では、水を扱う装置だったことを裏付けるさまざまな遺構が発見されています。
- 建物中央に置かれていた黒漆塗りの木箱
- 水を送るための木樋
- 高度な加工が施された銅管
- 水を配るための枡
- 建物を支えた礎石
- 周囲を巡る石敷きの溝
中央の漆塗りの箱は、水時計の受水槽だったと考えられています。そこへ給水・排水する木樋や銅管が基壇内部に配置されていました。
さらに驚くのが、それを収めていた建物です。
発掘成果から、4間四方の柱を持つ楼閣状の建物が建っていたと推定されています。時計だけが屋外に置かれていたわけではなく、専用の「時計台」が造られていたのです。
楼閣の上部には、測った時刻を人々へ知らせるための鐘や太鼓が置かれていたと考えられています。
なぜ飛鳥時代の国づくりに「時計」が必要だったのか
飛鳥水落遺跡で最も面白いのは、水時計の精巧さだけではありません。
重要なのは、「誰もが同じ時間を使う」という仕組みが生まれたことです。
農村で日の出とともに働き、日没とともに仕事を終える生活なら、分単位の時計は必要ありません。しかし、多くの役人が働き、政治や儀式を決められた手順で進める国家になると事情が変わります。
役人が勤務を始める時間。
宮廷で儀式を始める時間。
政治を行う時間。
多くの人間を一つの仕組みで動かすためには、「今がいつなのか」を共通化する必要があります。
明日香村も、共通した時間認識を定めることは役人の勤務や民衆の生活を統一的に管理する基準となり、時間は国を治めるために導入された重要な仕組みの一つだったと説明しています。
飛鳥水落遺跡は「日本で時計が始まった場所」であると同時に、「国家が時間を共有させ始めた場所」でもあるのです。
中大兄皇子が水時計を造った660年は国の仕組みが変わる時代だった
水時計を造ったとされる中大兄皇子は、後の天智天皇です。
660年は、日本が中央集権的な国家体制を整えていく途中にあたります。飛鳥では宮殿や寺院だけでなく、政治を支えるさまざまな施設が造られていました。
2026年に世界文化遺産となった「飛鳥・藤原の宮都」が評価された理由も、この国家形成の過程を複数の遺跡から確認できることにあります。
UNESCOは飛鳥と藤原について、中国の律令制度を参考にした中央集権的な国家体制が成立していった過程を示す遺産と位置づけています。飛鳥水落遺跡も、その19の構成資産の一つです。
巨大な石舞台古墳が有力豪族の力を伝える遺跡だとすれば、水落遺跡は少し性格が違います。
ここで見えてくるのは、政治を動かすための「制度」です。
人々が同じ時刻を共有し、その時刻を基準に動く。この仕組みまで整えようとしていたことに、飛鳥時代の国づくりの大きな変化があります。
1972年の発見から「日本書紀の水時計」と結びついた
飛鳥水落遺跡が注目されるきっかけとなったのは1972年です。
民家の新築に伴う調査で、大規模な建物の基壇が発見されました。その後、1976年に国の史跡に指定され、1981年から1985年にかけて本格的な発掘調査が進みます。
そこで確認されたのが、楼閣状の建物、水槽、木樋、銅管などでした。
これらの発見が『日本書紀』に記された660年の漏刻の記事と結びつき、日本最初の水時計を置いた施設だったことが明らかになっていきました。
文字で伝えられてきた古代史と、地中から発見された考古学的な証拠が重なった珍しい例でもあります。文化庁も、飛鳥水落遺跡における漏刻遺構の発見によって『日本書紀』の記述が確認されたことを、歴史研究上の重要な成果として挙げています。
6月10日の「時の記念日」も飛鳥時代の水時計につながっている
現在の「時の記念日」が6月10日なのも、飛鳥時代の漏刻と関係があります。
『日本書紀』には、660年の記述から11年後となる671年、天智天皇が漏刻を設置して鐘や太鼓で時刻を知らせたことが記されています。
その日を現在の暦に換算すると6月10日にあたることから、1920年に「時の記念日」が制定されました。
つまり、日本で「時を知らせる」という制度の歴史をたどっていくと、飛鳥へ行き着きます。
660年に飛鳥で漏刻を造った中大兄皇子が、その後、天智天皇となって再び時刻を知らせる制度を整えている点も興味深いところです。
現在の飛鳥水落遺跡では水の流れまで分かるよう整備されている
現在の飛鳥水落遺跡では、時計台そのものは残っていませんが、発掘された遺構をもとに史跡が整備されています。
石敷きの一部は実物を露出させ、柱が立っていた位置も地上に示されています。さらに木樋や銅管はレプリカによって表示され、どのように水を流していたのかを現地で確認できるようになっています。
実用情報は次の通りです。
- 所在地:奈良県高市郡明日香村飛鳥
- 見学:終日見学可能
- 休み:無休
- 見学料金:無料
- アクセス:明日香周遊バス「飛鳥」下車、徒歩約3分
- 飛鳥資料館から:約1km、徒歩約15分
遺跡そのものを見ただけでは水時計の全体像を想像しにくいため、飛鳥資料館と合わせて見ると理解しやすくなります。
飛鳥資料館では漏刻を原寸大で見ることができる
奈良文化財研究所の飛鳥資料館では、飛鳥水落遺跡から分かった水時計を原寸大で復原した模型が展示されています。
中国の文献に描かれた水時計や北京故宮に残る清代の漏刻などを参考に復原されたもので、発掘された遺構の模型も見ることができます。
現在の飛鳥資料館の基本情報は、
- 所在地:奈良県高市郡明日香村奥山601
- 観覧時間:9:00~16:30
- 入館:16:00まで
- 一般:350円
- 大学生:200円
- 70歳以上、高校生および18歳未満:無料
- 休館日:毎週月曜日、祝日の場合は翌平日など
となっています。
遺跡で時計台が建っていた場所を確認し、その後に原寸大の漏刻を見ると、1300年以上前に飛鳥でどのように時間を測っていたのかを具体的にイメージできます。
まとめ
飛鳥水落遺跡は、660年に中大兄皇子が造ったとされる日本最初の漏刻、水時計台の遺跡です。
そこからは水槽、木樋、銅管などが発見され、楼閣状の専用施設まで造られていたことが分かっています。
しかし、この遺跡の本当の面白さは時計の古さだけではありません。
「同じ時刻を多くの人へ知らせる」という仕組みが生まれた背景には、役人や人々を共通の制度で動かす国家の形成がありました。
巨大な古墳や寺院とは違い、目に見えない「時間」というルールを国が整えていったことを伝える遺跡。飛鳥水落遺跡を見ると、「飛鳥が日本の国づくりの始まり」と呼ばれる意味が、より具体的に見えてきます。
参考リンク
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