世界遺産になった飛鳥で見える「日本の国づくり」の始まり
2026年9月26日放送の『ブラタモリ 奈良・飛鳥 世界遺産記念SP』では、2026年7月に世界文化遺産へ登録された「飛鳥・藤原の宮都」を舞台に、日本の国づくりが始まった時代をたどります。
巨大な石舞台古墳、本格的な仏教寺院、国が時刻を知らせるための水時計、そして天皇の祭祀と結びついた酒船石遺跡。現在の日本につながる国家の仕組みが、飛鳥の小さな盆地で次々と形になっていったことが、この地域最大の見どころです。
この記事でわかること
- 「飛鳥・藤原の宮都」が世界遺産になった理由
- 石舞台古墳と蘇我氏の巨大な力
- 飛鳥水落遺跡の水時計が国づくりで重要だった理由
- 酒船石遺跡から見える天皇中心の国家への変化
「飛鳥・藤原の宮都」は19の遺跡で国家誕生の過程を伝える
「飛鳥・藤原の宮都」は2026年7月26日、第48回世界遺産委員会で世界文化遺産への登録が決定しました。現在の世界遺産は、飛鳥宮跡、飛鳥水落遺跡、酒船石遺跡、飛鳥寺跡、石舞台古墳、藤原宮跡、キトラ古墳、高松塚古墳など19の構成資産から成ります。
重要なのは、単に「古い遺跡がたくさん残っている」という理由で登録されたのではないことです。
ユネスコが評価したのは、中国大陸や朝鮮半島との交流を通じて制度・仏教・技術などを取り入れながら、日本列島で中央集権的な国家体制が形成されていった過程を、まとまった遺跡群として確認できる点です。
飛鳥の宮都はおよそ588年から694年、続く藤原の宮都は694年から710年に位置づけられています。飛鳥で始まった国づくりが藤原京へ受け継がれ、後の平城京、さらに平安京へつながりました。
石舞台古墳が物語る蘇我氏の圧倒的な力
飛鳥を語るうえで欠かせないのが石舞台古墳です。
7世紀初頭に築かれた一辺約50メートルの大型方墳で、巨大な横穴式石室に使われた石材の総重量は約2300トン。国内最大級の規模を持つ石室として知られています。被葬者については、飛鳥寺を建立した蘇我馬子の墓と考えられています。
ここから見えてくるのは、飛鳥時代初期における蘇我氏の存在感です。
巨大な墓を築き、本格的な寺院を建立できるだけの人員、資材、技術を集める力を持っていた。石舞台古墳は、国家制度が整えられる以前の飛鳥で、大豪族がどれほど強大な力を持っていたのかを今に伝えています。
その蘇我氏を象徴するもう一つの存在が飛鳥寺です。
飛鳥寺から始まった仏教と海外技術による国づくり
飛鳥寺は蘇我氏の氏寺として造営された、日本で最初の本格的な仏教寺院です。
寺院の建設には渡来系の技術が取り入れられました。現在の寺に安置されている釈迦如来坐像、いわゆる「飛鳥大仏」は、創建当時の場所に現在も鎮座しています。
寺を造ることは、単に信仰の場所を造るだけではありませんでした。
巨大な伽藍を建設するには、建築、瓦、金属加工、仏像制作など高度な技術が必要です。その背景には中国大陸や朝鮮半島との交流があり、飛鳥では海外から入ってきた文化や技術が次々と取り入れられていきました。
蘇我氏が力を持った時代に進んだ仏教受容と国際交流は、その後の天皇を中心とする国家形成にも引き継がれていきます。
飛鳥水落遺跡の「水時計」は国が時間を支配する装置だった
飛鳥の国づくりを象徴する遺跡の一つが「飛鳥水落遺跡」です。
ここには日本で最初に造られた水時計「漏刻」を置いたと考えられる建物がありました。基壇は一辺約22.5メートル。木樋や銅管など水を送るための設備も発見され、冬の凍結を防ぐために水を温めた痕跡とみられる炭まで出土しています。
明日香村では、この場所を「時のはじまりの地」と位置づけています。水時計によって24時間の時刻を測り、建物につるした鐘で時を知らせていたとされています。
ここが「国づくり」と深くつながります。
小さな集落で生活するだけなら、人々は日の出や日没を基準に暮らせます。しかし大勢の役人を動かし、儀式や政治を決められた時間に行う国家では、全員が共有する「公的な時間」が必要になります。
つまり水時計とは、珍しい古代の機械というだけではありません。
人々を同じ時間で動かす仕組みを支配者側が整えたこと自体が、飛鳥の政治が個々の豪族中心の社会から、組織化された国家へ変化していたことを象徴しています。
酒船石遺跡では天皇が「祭祀」を担う存在になっていった
さらに飛鳥宮の東側には、酒船石遺跡があります。
丘の上には溝やくぼみが刻まれた巨大な「酒船石」が残っています。酒造、油搾り、砂金の精選などさまざまな用途が唱えられてきましたが、酒船石そのものの用途は現在も確定していません。
一方、その丘の麓から見つかった遺構によって、この場所の性格はかなり具体的になりました。
発掘調査では亀の形をした全長約2.4メートルの石造物をはじめ、水を流す仕組みを持つ石造物、石敷広場、階段状の石垣などが発見されています。明日香村は、この一帯を「天皇祭祀を司る聖なる空間」と位置づけています。
ここには石舞台古墳とは違う「権力」の姿が見えてきます。
石舞台古墳が蘇我氏という大豪族の巨大な力を象徴するのに対し、酒船石遺跡では、天皇を中心に大規模な施設を造り、祭祀を行う新しい政治の姿が現れてきます。
飛鳥が「日本の国の礎」と呼ばれる本当の意味
飛鳥の歴史を順番に追うと、国が形になっていく過程が見えてきます。
まず蘇我氏のような豪族が大きな力を持ち、海外から仏教や新しい技術を積極的に取り入れました。
その後、宮殿を中心に政治が行われ、水時計によって時間を統一し、大規模な土木工事や祭祀が天皇を中心に行われるようになります。
そして飛鳥で積み重ねられた仕組みは、694年に始まる藤原の宮都へと発展しました。
ユネスコも「飛鳥・藤原の宮都」について、中国の律令制度を参照しながら、日本列島で中央集権的な国家制度が形成・確立していった過程を示す遺産と評価しています。さらに、その都市づくりは後の奈良・平安の都にも影響しました。
つまり「飛鳥が日本の国の礎」という言葉は、単に古代の天皇が暮らした場所という意味ではありません。
- 海外から文化や技術を取り入れる
- 仏教を国家と結びつける
- 宮を政治の中心にする
- 国が時間を管理する
- 天皇を中心とした祭祀を行う
- 計画的な都を造る
現在の日本へ続く「国を運営する仕組み」が次々と生まれた場所。それが飛鳥です。
石舞台古墳・水落遺跡・酒船石遺跡・飛鳥寺は現在も明日香村で見られる
番組の中心となる遺跡はいずれも奈良県明日香村にあります。
- 石舞台古墳:奈良県高市郡明日香村島庄・祝戸
- 飛鳥水落遺跡:奈良県高市郡明日香村飛鳥
- 酒船石遺跡:奈良県高市郡明日香村岡
- 飛鳥寺跡:奈良県高市郡明日香村飛鳥682
世界遺産全体ではこれらを含む19の構成資産があり、飛鳥だけを見るのではなく、その先に誕生した藤原宮跡まで含めることで、日本の国家形成の流れがより分かりやすくなります。
まとめ
『ブラタモリ』で巡る飛鳥は、石舞台古墳や酒船石といった不思議な古代遺跡を楽しむだけの場所ではありません。
巨大な墓を築いた蘇我氏、本格的な仏教寺院の誕生、国が時間を知らせる水時計、天皇の祭祀空間、そして藤原京へ続く計画的な国づくり。その一つ一つをつなげると、6世紀末から8世紀初頭にかけて、日本が中央集権国家へ変わっていった道筋が浮かび上がります。
2026年に「飛鳥・藤原の宮都」が世界文化遺産となったのも、この一連の変化を遺跡によって現在までたどれることが大きな理由です。
参考リンク
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