島全体を庭園に見立てた下蒲刈島と江戸時代から続く「おもてなし」
2026年9月27日放送の『遠くへ行きたい』では、庭師の村雨辰剛さんが広島県呉市から安芸灘とびしま海道を渡り、下蒲刈島を訪れます。
下蒲刈島が「庭の島」と呼ばれる背景にあるのが、1991年から進められた「ガーデンアイランド構想」です。島全体を一つの庭園に見立て、日本庭園や石畳、美術館、歴史的建築物などを整備してきました。
しかし、この美しい島づくりは単なる観光整備ではありません。
下蒲刈島は江戸時代、朝鮮通信使を迎えた重要な寄港地でした。その歴史を象徴する施設が「松濤園」。海を借景とする庭園の中に、日本各地から移築・復元した日本家屋が並び、朝鮮通信使を迎えた時代の記憶を現在へ伝えています。
この記事でわかること
- 下蒲刈島が「庭の島」と呼ばれる理由
- 松濤園の庭と4つの資料館
- 下蒲刈島と朝鮮通信使の深い関係
- ユネスコ「世界の記憶」に登録された約8mの絵巻
下蒲刈島が「庭の島」になったのは1991年のガーデンアイランド構想から

出典:公益財団法人 蘭島文化振興財団「歴史と文化のガーデンアイランド下蒲刈島」
現在の下蒲刈島を特徴づける「庭園の島」という景観づくりが本格的に始まったのは1991年です。
下蒲刈では「全島を庭園に見立てたガーデンアイランド構想」に基づいてまちづくりを開始しました。同じ年には蘭島閣美術館が開館し、その後、松濤園をはじめとする文化施設が整備されていきます。
特徴的なのは、巨大な観光施設を一つ造ったのではなく、島そのものを一つの庭として考えたことです。
日本建築、日本庭園、石畳などを瀬戸内の自然の中へ配置し、島が持っていた歴史や景観を生かしながら文化施設を整備しました。
庭師である村雨辰剛さんが下蒲刈島を歩く今回の旅では、この「島全体が庭」という発想そのものが大きな見どころになります。
松濤園は海まで含めて楽しむ庭園
「庭の島」を象徴する場所が松濤園(しょうとうえん)です。
松濤園という名前は、三之瀬瀬戸の潮の流れを借景に、青々と茂る松の庭を楽しめるように名付けられました。
つまり、庭園の中だけで景色が完結しているわけではありません。
目の前を流れる瀬戸内海そのものが庭の景色に組み込まれています。
松濤園には4つの資料館があります。
- 朝鮮通信使資料館「御馳走一番館」
- 古伊万里を展示する「陶磁器館」
- 世界の灯火器を展示する「あかりの館」
- 江戸時代に下蒲刈島にあった施設を復元した「蒲刈島御番所」
建物も特徴的です。
それぞれ日本各地から移築、または復元した日本家屋を利用しており、展示物を見るだけではなく、建物、庭、松、海を一体として楽しめる場所になっています。
なぜ下蒲刈島に朝鮮通信使がやって来たのか
下蒲刈島の歴史を理解するうえで欠かせないのが朝鮮通信使です。
江戸時代の朝鮮通信使は、朝鮮国王から派遣された外交使節団でした。
釜山を出港した一行は対馬などを経由し、瀬戸内海を進んで大坂へ。その後、京都を経て江戸を目指しました。
瀬戸内海の海上交通の要衝だった下蒲刈島は、その重要な寄港地となりました。
呉市の資料では、朝鮮通信使が江戸時代に12回来日したうち、11回立ち寄ったとされる場所として下蒲刈島が紹介されています。
大勢の外国使節を迎えることは、当時の広島藩にとって一大行事でした。
そこで下蒲刈島では、使節団を迎えるために大規模な接待が行われます。
「安芸蒲刈御馳走一番」と称された豪華な接待
下蒲刈島に残る朝鮮通信使の歴史で、とりわけ有名なのが「御馳走」です。
通信使を迎えた際、島を挙げて盛大なもてなしが行われ、その接待は「安芸蒲刈御馳走一番」と称されたと伝えられています。
現在、その歴史を詳しく紹介しているのが松濤園の「御馳走一番館」です。
館内には通信使に関する資料だけでなく、蒲刈本陣と通信使行列の模型、朝鮮通信使船の模型、当時の料理を伝える展示などがあります。
現在の「庭の島」という姿と、江戸時代の「客人を迎える島」という歴史は、まったく無関係ではありません。
島の景観を美しく整え、人を迎え、文化を伝える。
下蒲刈島が現代に進めてきたガーデンアイランド構想には、かつて通信使を盛大にもてなした島の歴史とも重なる部分があります。
約8mの絵巻がユネスコ「世界の記憶」に登録
松濤園には、世界的にも価値を認められた朝鮮通信使関係資料があります。
それが「朝鮮人来朝覚備前御馳走船行烈図」です。
1748年、第10次朝鮮通信使の船団が日比港から牛窓へ向かう様子を描いた約8mの絵巻で、呉市の有形文化財にも指定されています。
さらに2017年、日本と韓国が共同申請した「朝鮮通信使に関する記録」がユネスコ「世界の記憶」に登録され、この絵巻も登録資料の一つとなりました。
単に船が並んでいる様子を描いた作品ではありません。
1748年の通信使は対馬で火災に遭い、副使が乗る船を失う事故がありました。そのため日本船を借りたことが記録されており、この絵巻にも日本船を利用した副使の荷物船が描かれています。
遠く離れた瀬戸内海まで、対馬で起きた出来事が正確に伝わっていたことを確認できる歴史資料でもあるのです。
2026年秋は「朝鮮通信使が見た日本」も開催
『遠くへ行きたい』の放送時期には、松濤園の御馳走一番館で所蔵品展「朝鮮通信使が見た日本」が開催されています。
開催期間は2026年9月2日から11月23日まで。
通信使が日本各地で見た風景を記した「使行録」などを手掛かりに、彼らの目に日本がどのように映っていたのかを紹介する企画です。
そして、この展示でもユネスコ「世界の記憶」に登録された「朝鮮人来朝覚備前御馳走船行烈図」が公開されています。
日本側から「外国使節をどう迎えたか」を見るだけではなく、朝鮮通信使側から「日本がどう見えていたのか」を知ることができるのも興味深いところです。
松濤園の場所・料金・開館時間
松濤園は下蒲刈島の三之瀬地区にあります。
呉市街から車で約30分。公共交通機関では瀬戸内産交バス「三之瀬」バス停から徒歩約3分です。
- 施設名:松濤園
- 所在地:広島県呉市下蒲刈町下島2277-3
- 開館時間:9:00~17:00
- 最終入館:16:30
- 休館日:火曜日(祝日・休日の場合は翌日)
- 一般:800円
- 高校生:480円
- 小中学生:320円
- 電話:0823-65-2900
松濤園だけを点で訪れるより、蘭島閣美術館など三之瀬地区の文化施設や島の石畳、海辺の景観まで歩くと、「ガーデンアイランド」という考え方がより分かりやすくなります。
まとめ
下蒲刈島が「庭の島」と呼ばれる直接の理由は、1991年に始まった「ガーデンアイランド構想」にあります。
島全体を庭園に見立て、瀬戸内海の自然と日本庭園、伝統建築、石畳、美術館などを組み合わせたまちづくりが続けられてきました。
その象徴が松濤園です。
三之瀬瀬戸の潮の流れまで借景として取り込んだ庭には、日本各地から移築・復元された建物が並び、その一つ「御馳走一番館」が朝鮮通信使の歴史を伝えています。
下蒲刈島は、朝鮮通信使が12回来日したうち11回立ち寄ったとされる瀬戸内海の重要な寄港地でした。使節を迎えた盛大な接待の記憶は現在も残り、松濤園所蔵の約8mの絵巻はユネスコ「世界の記憶」にも登録されています。
美しい庭だけを見る場所ではなく、海を渡って人と文化を迎えてきた島の歴史そのものを「庭」として歩ける場所。それが現在の下蒲刈島です。
参考リンク
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