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織田裕二はテニス断念から俳優へ!山崎努との出会いと「踊る大捜査線」の俳優魂【奇跡体験!アンビリバボー】

人物

織田裕二の原点はテニス断念と山崎努との出会いだった

2026年9月30日放送の「奇跡体験!アンビリバボー 誰もが知ってる人気モノ☆キセキの爆誕SP」では、織田裕二さんが人気俳優になるまでの意外な道のりと、「振り返れば奴がいる」「踊る大捜査線」で見せてきた徹底した役作りが紹介されました。

織田さんは最初から俳優を目指していたわけではありません。学生時代に打ち込んでいたテニスを高校1年で断念し、友人に誘われたバンド活動を経て芸能界へ。20歳で「湘南爆走族」に出演しますが、本当の転機となったのは21歳で共演した山崎努さんでした。

この記事でわかること

  • 織田裕二さんがテニスを断念して俳優になるまで
  • 山崎努さんとの出会いが俳優人生を変えた理由
  • 「振り返れば奴がいる」で徹底した役作り
  • 「踊る大捜査線」青島俊作を作り上げた知られざるこだわり

テニスのドクターストップが織田裕二の人生を変えた

公式動画:『踊る大捜査線 N.E.W. メトロポリスを駆け抜けろ!』本予告|東宝MOVIEチャンネル

織田裕二さんが学生時代に夢中になっていたのは、芝居ではなくテニスでした。

何か一つに興味を持つと、とことん突き詰める性格で、テニス部でも「どうすれば勝てるのか」を考え続けるほど熱中していました。

しかし高校1年の時、膝を痛めてドクターストップがかかります。

夢中になっていたテニスを続けることができなくなり、それまで中心だったものを失いました。

この出来事が、結果的に織田さんをまったく別の世界へ向かわせます。

友人からバンドに誘われ、弾いた経験もなかったギターを始めることになったのです。半年後にはライブが決まっていたため猛練習し、弾けない曲ではボーカルも担当。初めてのライブを盛り上げました。

後に俳優として見せる「やるなら徹底的にやる」という姿勢は、この頃から変わっていませんでした。

QUEENの来日公演が芸能界入りにつながった

初ライブの数日後、織田さんには思いがけない誘いが舞い込みます。

ライブの話を聞いた女性から、イギリスのロックバンド・QUEENの来日公演へ一緒に行こうと声をかけられたのです。

その女性は同級生の母親の知り合いで、実は芸能事務所の社長でした。

求めていたのは、芸能界の型に染まっていない若者。人に合わせるのではなく自分の考えをはっきり言う織田さんに興味を持ち、芸能界へ誘います。

ただし、織田さんはすぐに飛びついたわけではありません。

芸能界に抵抗を感じていた織田さんを、社長は映画の撮影現場へ連れていきました。

そこで目にしたのは、華やかな世界というより、スタッフや俳優が緻密な作業を繰り返すものづくりの現場でした。

「一度やってみよう」。

こうして俳優への道が始まります。

「湘南爆走族」で20歳の俳優・織田裕二が誕生

最初に受けたオーディションが、人気漫画を原作とした映画「湘南爆走族」でした。

織田さん自身も原作を全巻読むほど好きで、希望していたのは準主役。オーディションには、そのキャラクターと同じ髪型にして臨んでいます。

最終審査は2人1組の演技でした。

ところが相手役から台本にない形で突き飛ばされたことで、織田さんは本気で反応。型にはまらない荒々しさも含めて目に留まり、希望していた役を獲得しました。

1987年、「湘南爆走族」で20歳にして俳優デビューします。

ただ、ここで意外なのは、役を獲得しても織田さん自身が「俳優になれた」と喜んでいたわけではなかったことです。

人前で芝居をすること自体が恥ずかしく、カメラや周囲の視線を意識してしまう。

作品への出演を続けても、俳優という仕事に本気でのめり込むところまでは至っていませんでした。

その織田さんを一変させる人物が現れます。

21歳で山崎努と出会い「俳優を突き詰める」と決めた

デビュー2年目、21歳の織田さんが出演したドラマが「北の海峡」です。

若い漁師役を演じた織田さんの父親役だったのが、山崎努さんでした。

撮影の立ち稽古で織田さんが目にしたのは、リハーサルにもかかわらず全力で芝居に取り組む山崎さんをはじめとするベテラン俳優たちの姿でした。

年齢を重ねた大人たちが、芝居について真剣に考え、何度も試しながら一つの作品を作っている。

織田さんはそこで、俳優が単にセリフを覚えて演じる仕事ではなく、どこまでも追究できる「職人」の世界だと気づきます。

テニスに打ち込んでいた頃と同じように、

「やるからには、とことん突き詰める」

という織田さん本来の性格に再び火がつきました。

これが、後に「振り返れば奴がいる」や「踊る大捜査線」で徹底した役作りを行う織田裕二さんの原点となりました。

山崎努の一言で「芝居は説明ではない」と知った

山崎努さんとの関係には、もう一つ大きな転機があります。

「東京ラブストーリー」で人気俳優となった後、織田さんはスペシャルドラマ「新説・三億円事件」で再び山崎さんと共演しました。

織田さんが演じたのは大場誠。山崎さんは、三億円強奪を持ちかける人物を演じています。

撮影期間中、2人だけで芝居について話したのは、わずか1度でした。

恋人を抱きしめるシーンについて、織田さんは「すでに心が離れている人物だから」という発想で演じていました。

しかし山崎さんから示されたのは、逆方向の考え方でした。

心では別れを決めているとしても、好きでたまらない気持ちで強く抱きしめれば、むしろ別れがさらに切なく見えるのではないか。

織田さんはその指摘を受け、自分の芝居が人物の心情をそのまま「説明」してしまっていたことに気づきます。

同じ脚本でも、演じ方一つで観客が受け取る感情は大きく変わる。

山崎さんとのわずかな会話が、織田さんに芝居の奥深さをさらに教えることになりました。

「振り返れば奴がいる」で本物の医師から手術動作を学んだ

1993年に放送された「振り返れば奴がいる」で、織田さんは冷酷な天才外科医・司馬江太郎を演じました。

対する石黒賢さん演じる石川玄は、医師としての理想や正義を重視する人物。

正反対の考えを持つ2人の医師がぶつかる物語でした。

織田さんにとって外科医役は初めて。

そこで本人の強い希望により大学病院の外科医が監修に入り、立ち位置から医療器具の受け渡し、手術中の言葉まで、本物の医師から細かな動きを学びました。

役作りは小道具にまで及びます。

司馬が使用するライターには、織田さん自身の私物を採用。ふたを開閉した時に特徴的な音が出ることから、司馬という人物を表現する一つの要素として取り入れました。

視聴者には何気ない動作に見えても、人物として自然に存在するための理由を一つずつ作っていたのです。

「脳みそが死んでんだよ」のセリフを残すことにこだわった理由

「振り返れば奴がいる」では、作品そのものに関わるところまで織田さんのこだわりが及びました。

劇中、いったん止まった患者の心臓が再び動き出した場面で、司馬が発する強烈なセリフがあります。

その表現について、フジテレビ側では放送するかどうか検討されました。

しかし織田さんは、単に刺激的な言葉としてではなく、司馬と石川という2人の医師の思想の違いを象徴する重要な場面だと考えていました。

石川は命をつなごうとする。

一方の司馬は、ただ延命すればいいとは考えない。

この違いがなければ物語後半の2人の対立そのものが弱くなってしまうとして、織田さんはセリフを残すよう求め、最終的に放送されました。

役を演じるだけではなく、「この人物なら何を考えるのか」「作品は何を描こうとしているのか」まで掘り下げる姿勢が表れたエピソードです。

「踊る大捜査線」では映らないロッカーまで青島俊作にした

1997年に始まった「踊る大捜査線」で、織田裕二さんは主人公・青島俊作を演じました。

刑事ドラマでありながら、警察組織で働く人々を会社員のような視点でも描いた作品は大きな人気を集め、その後スペシャルドラマや映画へ発展します。

織田さんは青島の人物像を作るため、画面に大きく映らない部分にまで手を入れていました。

たとえば青島の机。

当時の青島にはヘビースモーカーという設定があり、机の上には吸い殻がたまった灰皿を置くことで、その人物が普段どんな生活をしているのかを表現しました。

さらにロッカーの中にも、自ら青島が吸うタバコの箱などを置いて人物の生活感を作り込みます。

そのロッカーがはっきり登場するのは、青島が警察を辞めようと荷物を片付ける場面程度。

ほとんど画面に映らない場所であっても、織田さんにとって衣装や小道具は役になるために欠かせない要素でした。

いかりや長介の老眼鏡にティッシュを挟んだ理由

織田さんのこだわりを象徴する、いかりや長介さんとのエピソードもあります。

いかりやさんが撮影の合間に老眼鏡をかけて台本を読んでいた時、織田さんがその眼鏡を持っていきました。

返ってきた眼鏡を見ると、鼻あて部分にはティッシュが挟んでありました。

なぜそんなことをしたのか。

いかりやさんが演じる和久平八郎は、劇中では眼鏡をかけていない人物です。

撮影直前まで老眼鏡を使用して鼻に跡が残れば、設定上は眼鏡をかけていない和久の顔に、不自然な跡だけが残ることになります。

織田さんはそこまで考えてティッシュを挟みました。

いかりやさんも、その徹底ぶりに驚いたことが紹介されています。

映像に映る数秒の違和感までなくそうとする。

「踊る大捜査線」で青島俊作という人物が強い存在感を持った背景には、こうした積み重ねがありました。

「踊る大捜査線」は織田裕二1人だけで台本読みをしていた

さらに本広克行監督が明かしたのが、撮影前の台本読みです。

通常の台本読みからイメージするのは、出演者が集まり、それぞれの役のセリフを読む光景でしょう。

ところが「踊る大捜査線」では、俳優として参加するのは織田さん1人。

ほかの登場人物のセリフを本広監督が読み、織田さんが青島として受け答えしていました。

織田さんが求めた時間でした。

台本を読んだ段階で監督と役者の解釈が食い違っていれば、撮影現場に入ってからスタッフや共演者を待たせることになります。

その前に、自分が台本から受け取った人物像や演技のアイデアを監督とすり合わせておく。

本番で迷わず青島として動くための準備でした。

テニスで「どうすれば勝てるのか」を考え続けた少年時代と、「どうすれば青島俊作になるのか」を突き詰める俳優時代。

分野は変わっても、織田さんの根本はつながっています。

2026年「踊る大捜査線 N.E.W.」で青島俊作が14年ぶりに帰ってきた

そして2026年9月18日、「踊る大捜査線 N.E.W. メトロポリスを駆け抜けろ!」が公開されました。

シリーズとして14年ぶりとなる新作で、織田さん演じる青島俊作は警視庁捜査一課へ。

公開から10日間となる9月27日までに観客動員149万人、興行収入21.5億円を突破しています。

1997年に連続ドラマが始まってから約30年。

織田さん自身も、最新作では定年が近づいた青島として戻ってきたことを語っています。

若い頃と同じ青島を再現するのではなく、長い時間を生きた人物として現在の青島を演じる。

山崎努さんを見て「この世界をとことん突き詰めよう」と決めた21歳の青年から続いてきた俳優人生が、再び青島俊作へとつながっています。

まとめ

織田裕二さんの俳優人生は、最初から映画やドラマを目指して始まったものではありませんでした。

高校1年で膝を痛め、大好きだったテニスを断念。友人に誘われてバンド活動を始め、QUEENの来日公演への誘いをきっかけに芸能事務所社長とつながり、20歳で「湘南爆走族」に出演しました。

しかし、本当の意味で「俳優になろう」と決めるきっかけを作ったのは、21歳で出会った山崎努さんです。

そこから「振り返れば奴がいる」では本物の医師から一つ一つの動作を学び、「踊る大捜査線」では机やロッカーなど、ほとんど映らない場所まで青島俊作の世界を作り込みました。

テニス、俳優、そして青島俊作。

織田さんの歩みを貫いているのは、一度向き合ったものを中途半端に終わらせず、とことん突き詰めていく姿勢です。

「奇跡体験!アンビリバボー」で描かれた数々の転機をつないでいくと、長年第一線で演じ続けてきた織田裕二さんの原点が、21歳で目にした山崎努さんの本気の芝居にあったことが見えてきます。

参考リンク

フジテレビ「奇跡体験!アンビリバボー」織田裕二 爆誕ストーリー

東宝「踊る大捜査線 N.E.W. メトロポリスを駆け抜けろ!」初日舞台挨拶

フジテレビ「踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望」作品情報

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