小児がんで入院した少女が、支えてくれた病院へ保育士として戻るまで
2026年10月3日放送のテレビ東京「生きるを伝える」では、神戸大学医学部附属病院の小児医療センターで病棟保育士として働く田中凪(たなか・なぎ)さんが紹介されます。
田中さんは中学1年生のときに急性リンパ性白血病を発症。長い治療の中で不安や副作用に苦しんだ経験から、自分をそっと支えてくれた病院の保育士に憧れるようになりました。そして約9年後、今度は自分が入院中の子どもに寄り添う側として、かつて治療を受けた病院へ戻っています。
この記事でわかること
- 田中凪さんが現在どんな仕事をしているのか
- 中学1年で急性リンパ性白血病と診断された経緯
- 病棟保育士を目指したきっかけと9年越しの夢
- 空手や大阪・関西万博での活動につながる現在
田中凪さんは神戸大学病院小児医療センターの病棟保育士
田中凪さんは2026年現在25歳。兵庫県明石市出身で、神戸大学医学部附属病院の小児医療センターに勤務する保育士です。
病院で働く保育士は、一般的な保育園とは異なり、病気や治療のため入院している子どもたちの生活を支えます。
神戸大学医学部附属病院の小児医療センターでは、医師や看護師だけでなく、
- 薬剤師
- 保育士
- 臨床心理士
- 医療ソーシャルワーカー
など多職種が連携しています。
病棟内にはプレイルームがあり、平日の日中は保育士が配置されています。治療の場であると同時に、子どもが遊び、成長し、できるだけ日常に近い時間を過ごせる環境が用意されています。
現在の田中さんは、まさにその中で子どもたちを支える側にいます。
中学1年で急性リンパ性白血病と診断
田中さんの人生が大きく変わったのは中学1年生のときでした。
急性リンパ性白血病と診断され、抗がん剤による治療が始まります。
急性リンパ性白血病は血液のがんの一つで、神戸大学医学部附属病院の小児医療センターでも血液・腫瘍グループが診療する疾患として挙げられています。
田中さんの場合、病気そのものだけでなく、治療に伴う副作用も大きな負担になりました。
抗がん剤治療中には激しい腹痛に襲われることもあり、それまで知らなかった副作用が突然現れる不安もありました。
12歳ほどの子どもにとって、自分の体で次に何が起きるのか分からない入院生活は、身体だけでなく精神的にも大きな負担になります。
そんな田中さんのそばにいたのが、病棟の保育士でした。
「いてほしい」と思ったときに来てくれた保育士
田中さんが病棟保育士を目指す原点になったのは、治療中に出会った保育士の存在です。
何かを強く問いかけるわけでもなく、田中さんが「いてほしい」と感じるタイミングを察するように、そっとそばに来てくれる。
テレビ東京は、田中さんがそんな姿へ憧れるようになったことを紹介しています。
治療そのものを行う医師や看護師とはまた違う役割です。
遊びや会話を通じて子どもの日常を守り、不安な時間には無理に言葉を求めず近くにいる。
田中さん自身が患者だったからこそ、その存在が持つ意味を強く実感しました。
入院中の職業体験で「自分も保育士になる」と決めた
入院生活の途中、田中さんには将来につながる出来事がありました。
病院内で行われた職業体験です。
そこで病棟保育士の仕事に触れたことで、憧れだった仕事が具体的な将来の目標へ変わっていきました。
2026年に紹介された田中さんの歩みでは、入院中に「自分も保育士になって病院へ戻る」という思いを持ち、その夢を実現したことが伝えられています。
患者として支えられていた少女が、同じ場所で子どもたちを支える仕事に就く。
その実現までには約9年という時間がありました。
関西学院大学教育学部で学び保育士へ
田中さんはその後、関西学院大学教育学部で学びました。
現在、関西学院大学も田中さんを教育学部の卒業生として紹介しています。
病院で抱いた夢を進路につなげ、必要な学びを重ね、最終的に神戸大学医学部附属病院の小児医療センターで勤務するようになりました。
単に保育士になるだけではなく、「自分が入院していた病院へ戻る」という目標まで実現したことが、田中さんの歩みの大きな特徴です。
現在勤務する小児医療センターは2021年に開設され、子どもの権利を尊重しながら、「成長」「社会で生きる力」「未来」へつながる医療を提供することを理念としています。
その中に、保育士も専門職の一人として位置付けられています。
自分の入院経験を子どもへの接し方に生かす
2026年7月の神戸新聞では、田中さんが中学時代の小児がん経験をきっかけに病棟保育士となり、現在はさまざまな病気や悩みを抱える子どもたちを支えていることが紹介されています。
田中さんには「自分も入院した経験がある」という、他の人には簡単に持つことのできない経験があります。
だからといって、すべての子どもの気持ちが同じというわけではありません。
病気も治療も家族環境も、一人ひとり違います。
そのうえで、
- 入院生活が長く感じること
- 治療への不安
- 体調が悪い日に遊べないつらさ
- 学校や友達と離れて暮らす時間
など、患者だったからこそ理解できる部分があります。
かつて自分がしてもらったように、子どもが必要としているタイミングを感じ取りながら、そっと近くにいられる存在を目指しています。
空手の指導経験も子どもとの関わりに生かす
田中さんには保育とは別に、空手に取り組んできた経験もあります。
神戸新聞は、田中さんが空手の指導者としての経験も生かしながら、小児医療センターで子どもたちを支えていると紹介しています。
空手と病棟保育は一見すると別の分野ですが、人に何かを教えたり、相手の状態を見ながら声をかけたりする点では共通する部分があります。
病気でできることが限られている子どもにも、その日の体調や興味に合わせながら過ごし方を考える。
保育の資格だけでなく、これまで経験してきたこと全体が現在の仕事へつながっています。
入院中の子どもを大阪・関西万博につなげた
田中さんの活動は、病棟の中だけではありません。
2025年8月22日、大阪・関西万博の大阪ヘルスケアパビリオンで「Hello! おもてなしホスピタルジュニア」という取り組みが行われました。
神戸大学医学部附属病院小児医療センターの子どもたちが、入院したままアバターやロボットを遠隔操作し、万博会場にいる海外の来場者を「おもてなし」する企画です。
田中さんもこの取り組みに参加しました。
関西学院大学によると、会場で使用されたアバターの「よさこい踊り」の振り付けを担当したのが田中さんです。
病気や長期入院によって実際に会場へ出掛けることが難しい子どもでも、自分の分身となるアバターを通じて社会とつながれる。
患者だった田中さんが、今度は子どもたちの「病院の外へつながる経験」を支える仕事にも携わっています。
「ホスピタルジュニア」は研究発表にもつながった
この大阪・関西万博での取り組みはイベントだけでは終わっていません。
2026年には、「パーソナルアバタを用いたリモート参加型おもてなしの実践」として研究報告にもまとめられました。
発表者には、
- 同志社大学
- 神戸大学医学部附属病院
- 追手門学院大学
などの研究者・関係者と並び、田中凪さんの名前も入っています。
長期入院中の子どもが病院にいながら社会へ参加できる方法を考えることも、小児医療における支援の一つになっています。
病棟のプレイルームで子どもに寄り添う日常から、アバターを使った新しい社会参加まで。
田中さんの仕事は「病院で子どもと遊ぶ保育士」という範囲を超えて広がっています。
神戸大学医学部附属病院小児医療センターでの仕事
田中さんが勤務しているのは、神戸大学医学部附属病院の小児医療センターです。
- 施設:神戸大学医学部附属病院 小児医療センター
- 所在地:兵庫県神戸市中央区楠町7丁目5-2
- 開設:2021年4月
- 対象:主に小児患者
- 体制:医師、看護師、薬剤師、保育士、心理士、医療ソーシャルワーカーなどが連携
- 病棟:プレイルームあり
- プレイルームの保育士配置:平日9:00~17:30
同センターでは季節行事も行われており、七夕やハロウィン、クリスマス、節分などには医療保育士を含む多職種が参加しています。
治療だけを見るのではなく、長い入院生活を送る子どもの「生活」そのものを支えることが重視されています。
まとめ
田中凪さんは、中学1年生のときに急性リンパ性白血病を発症し、抗がん剤治療を経験しました。
その入院中、自分がつらいときにそっと近くへ来てくれた病棟保育士に憧れ、「自分も保育士になってこの病院へ戻る」という夢を持つようになります。
そして約9年後、その思いを実現しました。
現在は25歳となり、神戸大学医学部附属病院小児医療センターで、かつての自分と同じように病気と向き合っている子どもたちを支えています。
さらに、空手の経験を生かした関わりや、入院中の子どもがアバターを使って大阪・関西万博へ参加するプロジェクトなど、活動の幅も広がっています。
2026年10月3日の「生きるを伝える」で描かれるのは、小児がんを乗り越えたことだけではありません。
自分が支えられた経験を、今度は次の子どもへ返していく。そのために選んだ病棟保育士という仕事と、田中凪さんが9年かけてたどり着いた現在です。
参考リンク
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