サトウキビの砂糖が不足した時代、ナポレオンが広げた「甜菜糖」
2026年10月5日放送のNHK Eテレ「グレーテルのかまど ヘンゼルのスイーツ!タイムトラベル」では、番組15周年を記念し、古代のはちみつから現代の砂糖まで、人類が甘味を求めてきた歴史を振り返ります。番組には清少納言やノストラダムスと並び、フランス皇帝ナポレオンも登場します。
ナポレオンとスイーツ。一見すると結びつきにくい組み合わせですが、その接点にあるのが「甜菜(てんさい)」です。
海外から入るサトウキビ由来の砂糖が不足する中、フランス国内で作れる甜菜糖が注目されました。1812年には大規模な甜菜栽培と製糖工場の育成を進める政策まで打ち出され、砂糖は国家規模の産業へと広がっていきます。
この記事でわかること
- ナポレオンと砂糖が深く結びついた理由
- 甜菜から砂糖を作る計画が拡大した経緯
- ベンジャマン・ドゥレセールの製糖工場で起きた転機
- 現代の身近な砂糖につながる甜菜糖の歴史
ナポレオンは1812年に甜菜10万ヘクタールの栽培を計画した
ナポレオンと甜菜糖の関係を象徴するのが、1812年1月15日に出された政策です。
フランスでは甜菜を大規模に栽培し、国内で砂糖を生産する体制を整えようとしました。ナポレオン関連史料を扱うFondation Napoléonによると、この計画では甜菜10万ヘクタールの栽培、製糖技術を学ぶ学生100人への支援、500の新しい製糖工場への許可などが盛り込まれました。
つまり、「砂糖が手に入らないなら、フランス国内で原料から作る」という大規模な取り組みです。
甜菜は見た目こそ大きな根菜ですが、根にショ糖を蓄えています。
現在の日本でも北海道を中心に栽培され、「砂糖大根」「ビート」と呼ばれることがあります。サトウキビとはまったく異なる植物から、同じショ糖を取り出せるのが特徴です。
きっかけはサトウキビ由来の砂糖が入りにくくなったこと
当時のヨーロッパで使われていた砂糖の中心は、海外で生産されたサトウキビ由来のものでした。
しかしフランスとイギリスが対立する中、ナポレオンは1806年に大陸封鎖を開始します。一方で海上ではイギリスの影響力が強く、フランスは植民地から砂糖などの商品を安定して入手することが難しくなりました。
砂糖は希少になり、価格も上昇します。
そこで重要になったのが、ヨーロッパで栽培できる植物から砂糖を作る技術でした。
候補として浮上したのが甜菜です。
甜菜に砂糖が含まれていること自体は、ナポレオンの時代に突然発見されたわけではありません。18世紀にはドイツの化学者アンドレアス・マルクグラーフらによって研究が進められ、その後フランツ・カール・アハルトが製造技術の実用化を進めていました。
ナポレオンの時代に起きた大きな変化は、その技術を国家規模で広げようとしたことです。
転機はベンジャマン・ドゥレセールの白い甜菜糖
甜菜糖の普及で重要な役割を果たした人物が、フランスの実業家ベンジャマン・ドゥレセールです。
パリ近郊のパッシーに工場を持っていたドゥレセールは、甜菜から白い砂糖を精製する技術の実用化を進めました。
1812年1月2日、ナポレオンはこの工場を訪れています。
Fondation Napoléonに残る記録では、ドゥレセールの工場で甜菜から作られた砂糖を確認したナポレオンは成果を評価し、ドゥレセールにレジオンドヌール勲章を授けました。工場の労働者にも1週間分の給与に相当する褒賞が与えられています。
そして、そのわずか13日後となる1月15日、大規模な甜菜栽培と製糖業を進める政策が出されました。
甜菜から砂糖を作る実験が、産業化へ向かって大きく動いた瞬間でした。
砂糖を作るための「学校」まで設けられた
興味深いのは、単に農家へ甜菜を植えるよう求めただけではない点です。
1812年の計画では、甜菜糖の製造を学ぶための実習施設も設けられました。
対象となったのは医学、薬学、化学などを学ぶ学生たちです。甜菜を育てるだけでは砂糖にならないため、根から糖分を抽出し、不純物を取り除き、白い砂糖へ精製する技術を持つ人材も必要だったからです。
農業と化学、そして工業を組み合わせなければ成立しない新しい産業でした。
現代なら食品工場で当たり前に行われている工程も、当時はまだ試行錯誤の段階です。
だからこそ、甜菜糖の普及は「新しい甘味料が増えた」というだけではなく、農業と食品製造の大きな技術転換でもありました。
ナポレオンが甜菜糖そのものを発明したわけではない
ここは区別しておきたいポイントです。
ナポレオンが甜菜から砂糖を作る方法を発明したわけではありません。
甜菜に糖分があることを研究した科学者、抽出方法を改良した研究者、実際に製造設備を動かした技術者や実業家がすでに存在していました。
ナポレオンが果たした役割は、その技術を大量生産できる産業へ広げようとしたことです。
甜菜の栽培地を増やし、技術者を育成し、工場を増やす。
海外から買う砂糖に代わって、自国で砂糖を作れる仕組みを整えようとしました。
甜菜糖はナポレオン失脚後も消えなかった
ナポレオンの時代に進められた甜菜糖政策が、すべて計画どおり成功したわけではありません。
サトウキビ糖が再びヨーロッパへ流通するようになると、一時的に甜菜糖産業は厳しい状況に置かれました。
それでも甜菜から砂糖を作る技術そのものは消えませんでした。
フランスをはじめヨーロッパ各地で改良が続き、甜菜糖は後に重要な砂糖生産方法の一つとして定着していきます。
ナポレオン時代に必要に迫られて加速した製糖技術が、その後の日常的な甘味につながっていったのです。
古代のはちみつから「砂糖を大量に作る時代」へ
「グレーテルのかまど」の15周年企画が面白いのは、単に昔のお菓子を並べるのではなく、「甘さをどう手に入れてきたか」という歴史としてつなげていることです。
古代には、自然界で得られるはちみつが重要な甘味でした。
16世紀にはノストラダムスが果物と砂糖を使った保存法を書き残しています。
そして19世紀初頭になると、ナポレオンの時代には「砂糖そのものを国内で大量生産する」という段階へ進みます。
甘味が一部の貴重品だった時代から、工業的に作られる食品へ。
甜菜糖の歴史は、その大きな転換点の一つです。
放送情報
- 番組名:グレーテルのかまど
- 放送回:ヘンゼルのスイーツ!タイムトラベル
- 放送日:2026年10月5日(月)
- 放送時間:22:00~22:25
- 放送局:NHK Eテレ
- 出演:瀬戸康史
- かまどの声:キムラ緑子
- 番組開始15周年を記念し、古代のはちみつから現代の砂糖までスイーツの歴史をたどる特別企画
- 清少納言、ノストラダムス、ナポレオンなどを取り上げ、最後には3種のパウンドケーキを食べ比べる構成
まとめ
ナポレオンと砂糖を結びつけたのは、戦争の時代に起きたサトウキビ糖の供給問題でした。
ヨーロッパで育てられる甜菜から砂糖を作る研究は以前から存在していましたが、1812年にベンジャマン・ドゥレセールの工場で白い甜菜糖の生産を確認したナポレオンは、その直後に甜菜栽培と製糖業を大規模に拡大する政策を進めました。
10万ヘクタール規模の栽培計画、人材育成、新しい製糖工場。
現在では当たり前のように使う白い砂糖の背景には、甘味を確保するため国全体で新しい製造方法を育てようとした時代がありました。
「グレーテルのかまど」で古代のはちみつからナポレオンの時代までをたどると、一切れのケーキに使われる砂糖にも、農業、科学、産業の長い歴史が詰まっていることが見えてきます。
参考リンク
- Fondation Napoléon「Napoleon and beet sugar」
- Fondation Napoléon「La bataille du sucre」
- 辻調グループ「ナポレオンのクロカマンド」
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