次田展之さんが瀬戸内の島で続ける「空からの地域医療」
瀬戸内海の離島で診療所を運営し、自らヘリコプターを操縦して島から島へ移動する医師が次田展之さんです。『情熱大陸「空を飛び 島民の命を守る 瀬戸内海の“フライングドクター”」(2026年8月9日)』では、その独特な診療スタイルが取り上げられます。飛行機好きの医師が趣味で空を飛んでいる、という単純な話ではありません。背景にあるのは、橋で本土とつながっていない島で暮らす人たちの「病院へ行くだけでも船が必要」という現実です。
この記事でわかること
- 次田展之さんが運営する3つの診療所
- 医学生時代にパイロットになった経緯
- 医師とエアショーパイロットを歩んだ経歴
- なぜヘリで島を移動して診療しているのか
次田展之さんは3つの島を飛んで診療する医師
次田展之さんは、瀬戸内海にある百島、佐木島、岩城島の3つの島で地域医療に携わる医師です。
現在確認できる診療所は次の3カ所です。
| 診療所 | 所在地 | 開設・再開 |
|---|---|---|
| 百島診療所 | 広島県尾道市百島町 | 2011年 |
| 佐木島診療所 | 広島県三原市鷺浦町 | 2018年 |
| 岩城島診療所 | 愛媛県越智郡上島町 | 2026年 |
次田さんは医療法人心海会の理事長を務めています。
特徴的なのは、3カ所で診察しているということだけではありません。
3つの島はいずれも本州や四国と橋で直接つながっておらず、移動には船が大きな役割を果たします。次田さんはその地理的な壁を少しでも小さくするため、自らヘリコプターを操縦して島を移動しています。
実際、島から約10km先の別の島まで自ら操縦して患者のもとへ向かうことがあります。
「医師がヘリを操縦する」と聞くと、救急医療のドクターヘリを想像するかもしれません。
しかし、ここでポイントになるのは、一般に知られているドクターヘリの仕組みとは別に、次田さん自身がパイロットとして移動手段に航空機を生かしていることです。
初めて知ると少し驚きますが、島の位置関係を考えると、医師としての能力と操縦技術がかなり現実的な形で結びついていることが分かります。
百島診療所を2011年に開設
次田さんの離島医療の大きな出発点となったのが、広島県尾道市の**百島(ももしま)**です。
百島では以前あった診療所が休止し、2005年から医師がいない状態が続いていました。
次田さんはもともと離島での診療を考えており、瀬戸内海の島々を回りながら候補地を探していました。その中で百島を訪れ、住民や地域との関係をつくりながら診療所開設の準備を進めます。
そして2011年、百島診療所を開設しました。
ここで重要なのは、単に「島に病院を作った」という話ではないことです。
離島では、本土に住んでいると当たり前に感じる
- 定期的な通院
- 薬の管理
- 慢性疾患の経過観察
- 急に体調が悪化したときの相談
- 通院が難しい人への訪問診療
といった医療へのアクセスそのものが難しくなる場合があります。
百島では通院が難しい住民への訪問診療も行われてきました。
次田さんは百島だけに診療範囲を限定せず、周辺の離島への訪問診療にも取り組んできました。
個人的には、ここが次田さんの活動を見るうえでいちばん大事だと感じます。
派手なのは「医師がヘリを操縦する」という部分ですが、本質はむしろ、患者が医師のところへ行けないなら、医師の側から患者のところへ近づくという考え方にあります。
佐木島診療所を2018年に開設
次田さんは2018年、広島県三原市の**佐木島(さぎしま)**にも診療拠点を広げ、佐木島診療所を開設しました。
佐木島も本州と橋でつながっていない離島です。
2020年時点の公的な医療資料では、佐木島の人口は661人、高齢化率は70.7%とされていました。
また、佐木島診療所を除けば半径4km以内に医療機関がなく、最寄りの医療機関までは11km以上離れている状況が示されていました。
現在の人口や高齢化率は当時とは変化している可能性がありますが、島の医療環境を理解する材料にはなります。
病院に通うためには船の時間も考えなければなりません。
本土なら「病院まで車で20分」で済むところが、離島では、
船の時間を確認する
↓
港まで移動する
↓
船に乗る
↓
本土側でさらに移動する
↓
診察後、帰りの船に間に合わせる
という一日仕事になることも考えられます。
高齢になり、足腰が弱くなってくれば、この負担はさらに大きくなります。
たしかにこれは、島に診療所があるかどうかで生活の安心感がかなり変わりそうです。
次田さんが複数の島で診療を続けている背景には、こうした**距離では測りにくい「移動の壁」**があります。
岩城島診療所は2026年に開院
そして2026年、新たに加わったのが愛媛県上島町の**岩城島(いわぎじま)**です。
岩城島では、それまで島の医療を担っていた診療所が2025年に閉鎖されていました。
そこで医療法人心海会が診療所を引き継ぐ形で準備を進め、2026年に岩城島診療所を開設しました。
行政上も、医療を受けにくい地域の住民の診療を確保するためのへき地診療所として指定されています。
開設にあたっては、既存の診療所を改修し、診察室だけでなくパソコンなど診療に必要な環境を整えるところから準備が進められました。
住民説明会には悪天候にもかかわらず多くの島民が訪れたとされ、新しい診療所への期待の大きさがうかがえます。
開院初日から多くの患者が訪れました。
当然ながら新しい診療所では、それまでの百島や佐木島とは違い、患者の多くが次田さんにとって初診です。
病名だけではなく、
過去にどんな病気をしたのか、どんな薬を飲んでいるのか、家族構成はどうなっているのか、普段どんな生活をしているのか
というところから把握していく必要があります。
地域医療では、この積み重ねが非常に重要になります。
島民にとっても、「具合が悪くなったら船に乗らなければならない」という状況と「島の中で相談できる医師がいる」という状況では、心理的な負担まで違ってくるでしょう。
次田展之さんがパイロットになったきっかけ
ここまで読むと、
「離島医療のためにパイロット免許を取ったの?」
と思うかもしれません。
実は順番は逆です。
次田展之さんは日本大学医学部の学生時代、すでに飛行機の操縦を学んでいました。
次田さんは1973年1月、神奈川県生まれ。
日本大学医学部に在学していた時代に、小型飛行機の操縦免許を取得するためアメリカへ渡っています。
現地で目にしたのがアクロバット飛行でした。
そこで世界的に知られるエアショーパイロット、ショーン・タッカーさんに弟子入りします。
つまり、
医学部生
↓
アメリカで小型飛行機の免許取得
↓
アクロバット飛行に出会う
↓
本格的なエアショーの世界へ
というかなり珍しい経歴を歩んでいます。
医師になってから航空機を必要に迫られて覚えたのではなく、もともと持っていた飛行技術が、のちに離島医療で生きることになったわけです。
ここは次田さんの経歴の面白いところです。
普通ならまったく別々に見える「医学」と「航空」が、何年もたってから1つの仕事につながっています。
医師とエアショーパイロットを両立した経歴
大学卒業後、次田さんは日本大学医学部附属板橋病院に入り、医師として経験を積んでいきました。
一方、空の世界から離れたわけではありません。
2002年には、日本のアクロバット飛行チーム**「エアロック」**に所属。
エアショーパイロットとして実際に観客の前で飛行していました。
その後は医療の仕事を軸に、
- 帝京大学医学部附属市原病院
- 湘南第一病院
- サガミホームクリニック副院長
などを経ています。
そして2011年の百島診療所開設へつながります。
現在の姿だけを見ると「離島医療をするために航空技術を身につけた医師」に見えますが、実際には医学と飛行という2本のキャリアを長く歩いてきた結果、現在の診療スタイルが生まれたと考えた方が分かりやすいでしょう。
エアショーで求められる操縦と、医療のための移動ではもちろん目的がまったく違います。
それでも、高度な操縦経験を持つことが、海に囲まれた地域で医療を届ける手段へつながったという経歴はかなり珍しいものです。
3つの島を移動して診療を続ける理由
では、なぜ1カ所に大きな診療所を作るのではなく、次田さんは3つの島を移動して診療しているのでしょうか。
最大の理由は島の地理条件です。
百島、佐木島、岩城島はいずれも、島外の医療機関へ行く際に海を越える必要があります。
特に高齢者の場合、
「定期的に薬をもらうだけだから」
「少し血圧が高いだけだから」
と受診を後回しにしてしまえば、慢性疾患の悪化を見逃す可能性があります。
実際、3島には糖尿病や高血圧、腰痛など、継続的な診察が必要な住民も少なくありません。
つまり、離島では高度な治療を提供する大病院だけでなく、日常的に相談できる身近な診療所を維持することにも大きな意味があります。
次田さんが患者の病歴だけではなく、好きな食べ物や家族構成、生活の様子まで把握しようとしているのも、そのためです。
たとえば高血圧の患者を診る場合でも、血圧の数値だけを見ればいいわけではありません。
一人暮らしなのか、薬をきちんと飲めているのか、食生活はどうなのか、体調が悪くなったとき頼れる家族が近くにいるのか。
こうした生活背景まで把握することで、必要な医療も変わってきます。
島のような小さな地域だからこそ、「病気を見る」だけではなく「その人の生活を見る」診療が重要になるわけです。
ヘリでの移動が持つ意味は「速さ」だけではない
ヘリコプターというと、どうしても「緊急時に速く駆けつける乗り物」という印象があります。
もちろん移動時間を短縮できることは大きなメリットです。
ただ、次田さんの取り組みを理解するなら、もう1つ見逃せない点があります。
それは複数の小さな島に医療を届ける方法を増やせることです。
島ごとに常勤医を確保することが難しくても、1人の医師が複数の診療拠点を移動できれば、医療体制を維持できる可能性があります。
実際には天候、安全確保、航空機の運用、診療スタッフ、医療設備などさまざまな条件があるため、「離島医療はヘリを使えば解決する」というほど単純ではありません。
ここは誤解しないようにしたいところです。
それでも、
患者が海を越えて医師のところへ行く
だけではなく、
医師が海を越えて患者のいる島へ行く
という発想は、離島医療を考えるうえで興味深い取り組みです。
3つの診療所を利用するときに確認したいこと
百島診療所や佐木島診療所などを実際に受診する場合は、通常の都市部のクリニック以上に診療日を事前確認することが大切です。
複数の島で診療を行っているため、毎日すべての診療所で次田さんの診察を受けられるわけではありません。
診療体制が変更される場合もあります。
また、初めて受診するときは一般的に、
- マイナンバーカードなど健康保険の資格を確認できるもの
- 受給者証
- お薬手帳
- 紹介状がある場合は紹介状
などを準備しておくとスムーズです。
特に島外から訪れる場合は、診療時間だけでなくフェリーなどの交通手段と帰りの便まで確認しておきたいところです。
観光施設のように「せっかく来たから寄ってみよう」という場所ではなく、地域住民の医療を担う診療所です。受診を考えている場合は、最新の診療日程を確認したうえで訪れることが大切です。
次田展之さんの経歴を時系列で整理
最後に流れをまとめると、次田さんの現在の活動がかなり分かりやすくなります。
| 時期 | 主な経歴 |
|---|---|
| 1973年1月 | 神奈川県で生まれる |
| 日本大学医学部在学中 | アメリカで小型飛行機の操縦免許を取得 |
| 学生時代 | アクロバット飛行に出会いショーン・タッカーさんに師事 |
| 医師として勤務開始 | 日本大学医学部附属板橋病院などで勤務 |
| 2002年 | アクロバット飛行チームエアロックに所属 |
| その後 | 帝京大学医学部附属市原病院、湘南第一病院などで勤務 |
| 2011年 | 百島診療所を開設 |
| 2018年 | 佐木島診療所を開設 |
| 2026年 | 岩城島診療所を開設 |
こうして並べてみると、現在の「空を飛ぶ医師」という姿は突然生まれたものではありません。
医学部時代に身につけた飛行技術と、医師として積み重ねた経験、そして医療を受けにくい離島の現実が何年もかけて結びついた結果です。
華やかなエアショーの世界から、島民の日常を支える地域医療へ。
一見すると正反対に見える2つの経験が、現在は「必要な場所へ医療を届ける」という同じ目的に使われています。
個人的には、ヘリを操縦できること以上に、百島で始めた診療を1島だけで終わらせず、佐木島、さらに岩城島へと広げてきた15年間の積み重ねに、この取り組みの大きさを感じます。
そして3島の診療所が担っているのは、病気を治す場所という役割だけではありません。
「何かあったとき相談できる医師が島にいる」。
本土の病院へ簡単には移動できない環境では、その安心感そのものが地域医療の大切な一部になっているのではないでしょうか。
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