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あきる野の森にある不思議な洋館はどこ?小机家住宅の場所と現在【気になる家で紹介】

暮らし

あきる野の森に残る不思議な洋館

東京・あきる野市の木々の中に、寺のような屋根と西洋風の白い外観をあわせ持つ一軒の建物があります。その正体は、明治初期に建てられた小机家住宅です。約150年前の日本人が西洋建築を見て、自分たちの技術で形にした「擬洋風建築」が今も残っています。**『気になる家(6)森の中の不思議な洋館 東京・あきる野(2026年8月11日放送)』**でも取り上げられ、建物が歩んできた歴史に光が当たります。

この記事でわかること

  • あきる野の洋館・小机家住宅の正体
  • 建てた小机三左衛門と小机家の歴史
  • 独特な擬洋風建築が生まれた理由
  • 現在の使われ方と訪れる前の確認ポイント

東京・あきる野の不思議な洋館は小机家住宅

森の中から白い洋館が現れるという印象的な建物は、東京都あきる野市三内にある小机家住宅です。

所在地は東京都あきる野市三内490。明治8年(1875年)頃に建てられた住宅で、現在は東京都指定有形文化財となっています。あきる野市の資料では、五日市地域に残る特徴的な近代建築として紹介されています。

JR武蔵五日市駅からは徒歩約10分。都心の歴史的建築というと日本橋や銀座などを思い浮かべがちですが、山や川に囲まれた現在のあきる野市に、文明開化を感じさせる洋風住宅が残っているというのが面白いところです。

外から見ると西洋館のようなのに、内部には日本家屋らしい造りが残っています。

初めて写真を見ると「明治時代に外国人が建てた家なのでは」と思ってしまいそうですが、実際にはそうではありません。日本の職人たちが西洋建築を参考にして造った住宅です。

たしかにこれは気になります。東京の山あいに突然こうした建物が現れた理由を知ると、単に珍しい洋館を見るだけではなく、明治という時代そのものが見えてきます。

小机家住宅を建てた小机三左衛門

小机家住宅の施主は、小机家第7代・小机三左衛門です。

小机家は江戸時代後期に山林業で財を成した家でした。当時の五日市周辺では豊富な森林資源を背景に林業が営まれ、木材は重要な商品でした。

小机家も山林を経営し、幕末頃から東京の木材集積地だった深川木場との商取引を行っていたとされています。

ここが、この洋館誕生を理解するうえで大きなポイントです。

小机三左衛門は山の中だけで生活していた人物ではなく、商売を通じて当時急速に変化していた東京の街を見る機会がありました。

明治維新後の東京では、洋風建築が次々と登場していました。その最先端ともいえる場所のひとつが銀座です。

つまり、小机家住宅は単に「お金持ちが豪華な家を建てた」という話ではありません。

林業で東京とつながっていた地方の商家が、文明開化の新しい文化を自分の暮らす土地へ持ち帰った建物と見ることができます。

個人的には、この背景を知るだけで建物の見え方がかなり変わります。あきる野と銀座。一見すると結びつきそうにない2つの場所が、木材商売を通じてつながっていたわけです。

銀座煉瓦街を見たことが洋館建築のきっかけになった

なぜ小机三左衛門は、山あいの五日市に洋風住宅を建てようと思ったのでしょうか。

大きなきっかけとされているのが、明治初期の銀座煉瓦街です。

小机三左衛門は深川木場から帰る途中、文明開化の象徴だった銀座の洋風建築を目にしました。その姿に刺激を受け、自宅を新築する際に洋風のデザインを取り入れたと伝えられています。

現在なら、海外の建物を写真や動画で細部まで調べられます。

しかし明治8年頃です。

設計図をインターネットで取り寄せることはもちろんできませんし、西洋建築について詳しく学んだ職人が全国にいた時代でもありません。

そこで日本の大工や左官職人が、自分たちが持っていた技術を使いながら「西洋風」を表現しました。

こうして生まれた建築が擬洋風建築です。

「本物の洋館を正確にコピーした建物」というより、当時の日本人が見た西洋建築を、日本の材料と技術で解釈して造った建物と考えるとわかりやすいでしょう。

小机家住宅の「擬洋風建築」が面白い理由

小机家住宅を見るうえで覚えておきたい言葉が擬洋風建築です。

明治初期、西洋建築の専門知識がまだ広く普及していなかった時代、日本の大工や左官職人が伝統的な技術を応用しながら洋風の建物を造りました。

小机家住宅にも、その特徴が随所に残っています。

代表的なのが、建物正面に並ぶローマ・ドーリア式を意識した円柱です。

さらに2階にはバルコニーがあり、正面外壁の角には漆喰を使って石を積んだように見せる装飾が施されています。玄関土間には、左官職人が鏝を使って描いたウサギの鏝絵も残っています。

一方、建物の基本構造には日本の土蔵造りが使われています。

つまり、

日本の土蔵造り

西洋風の柱

バルコニー

漆喰による洋風装飾

という、かなり独特な組み合わせです。

現在の感覚では「和風か洋風か」を分けて考えてしまいますが、小机家住宅ではその境界がかなり曖昧です。

そこが擬洋風建築の魅力でもあります。

専門家が完璧な西洋建築を再現したわけではなく、日本の職人が知恵を絞って新しいものを造ろうとした。その試行錯誤そのものが建物に残っているのです。

寺のような屋根と洋風の柱が一緒に見える理由

小机家住宅を遠くから見ると、少し不思議な印象があります。

正面には洋館らしい白い柱やバルコニーがある一方、屋根や建物全体の形には日本建築らしさが残っています。

これは、建物全体を西洋式に造ったわけではなく、日本建築をベースに洋風の意匠を加えたためです。

しかも当時としては珍しい輸入建材も使われました。

屋根には波形の亜鉛引鉄板、いわゆるトタンの波板が使用され、鉄枠付きの防火扉やガラス障子戸なども採用されました。

2018年に行われた特別公開では、屋根材にロンドンとバーミンガムを示す文字が記された材料も紹介されています。

明治初期の五日市で、海外につながる建材が使われていたというのは初めて知ると少し驚きます。

洋風に「見せただけ」ではなく、当時としては新しい材料も積極的に取り入れていたことがわかります。

戦争と暮らしの変化で姿を変えてきた

小机家住宅は、明治8年頃に完成した姿のまま約150年間残ってきたわけではありません。

戦時中には洋風の外観が黒く塗られ、戦後には生活に合わせて和風に改築されるなど、時代によって姿を変えてきました。

その後、保存のための修理も行われています。

記録では1990年に小机家住宅の前面復元保存修理工事が行われています。現在私たちが見る特徴的な外観は、こうした保存の積み重ねによって受け継がれてきたものでもあります。

文化財というと、「昔の姿を一切変えず保存するもの」というイメージを持つ人もいるかもしれません。

しかし住宅は、本来そこで人が生活するための建物です。

家族構成が変わり、生活道具が変わり、電気や水道など新しい設備が必要になる。150年近く使い続ければ、家が変化するのはむしろ自然です。

小机家住宅が興味深いのは、明治の文明開化だけでなく、その後の日本人の暮らしの変化まで建物に刻まれていることでしょう。

個人的には、新築当時の姿だけを見るより、こうした変化を知ったほうが「人が暮らしてきた家」だと実感できます。

明治の住宅に電気が入った痕跡も残る

小机家住宅には、建築だけではない興味深い痕跡もあります。

あきる野市の資料によると、秋川で水力発電が行われるようになった時代の照明器具と配線が残されているとされています。

明治8年頃に建てられた住宅が、その後電気の時代を迎え、設備を加えながら使われてきたことがわかります。

最初から完成された「文化財」として存在していたのではありません。

建てられたときは最先端だった洋風建築が、電気の普及や生活様式の変化を経験し、戦争を経て、さらに保存修理を受けて現在まで残っています。

一軒の住宅の中に、明治・大正・昭和・平成・令和という長い時間が重なっている点も、小机家住宅を見る面白さです。

小机家住宅は現在フレンチレストランL’Arbreとして活用

小机家住宅は現在、建物を見るだけの展示施設ではありません。

歴史的な建物を活用したフレンチレストラン**L’Arbre(ラルブル)**として新しい役割を担っています。

L’Arbreは2023年8月にオープン。「フランス料理×風土×文化」をテーマに、東京産の食材を使った料理を提供しています。

ここは小机家住宅の現在を知るうえでかなり重要なポイントです。

150年近く前に西洋文化への憧れから造られた住宅で、現在はフランス料理が提供されている。

偶然とはいえ、建物が生まれた背景と現在の使われ方がどこかつながっているように感じられます。

文化財を「触れずに保存する」のではなく、建物の特徴を残しながら現代の用途に活用している点も興味深いところです。

外は洋風、内部は和風という空間を現在も体験できる

現在のL’Arbreでは、小机家住宅の外観は洋風、内部は和風という特徴を生かした空間になっています。

ここは写真だけでは伝わりにくい部分です。

正面から見ると白い列柱が並び、明治の洋館らしい雰囲気があります。

ところが建物に入ると、日本家屋の要素が現れます。

「洋館」という言葉から完全な西洋式の室内を想像して行くと、その違いに驚くかもしれません。

しかし、その違和感こそが小机家住宅の魅力です。

西洋文化が一気に入ってきた明治初期、日本人が新しいものをどのように受け止め、自分たちの文化と組み合わせたのか。それを建物そのものから感じることができます。

小机家住宅の場所とアクセス

小机家住宅を活用するL’Arbreの所在地は、東京都あきる野市三内490です。

最寄りはJR五日市線の武蔵五日市駅

過去の東京都による文化財公開案内では、武蔵五日市駅から徒歩約10分と案内されています。

住所だけを見ると東京都とは思えないほど自然の多い地域ですが、武蔵五日市駅は秋川渓谷方面への玄関口でもあります。

そのため、小机家住宅だけを目的にするというより、周辺散策と組み合わせる楽しみ方もできます。

見学目的で訪れる場合は事前確認が必要

ここは実際に訪れたい人が特に注意したいところです。

小机家住宅は文化財ですが、一般的な博物館のように「開館時間内なら自由に入って見学できる施設」と考えないほうがよいでしょう。

現在はレストランとして使用されている建物です。

そのため、

  • 建物内部を見学できる条件
  • レストランの営業日
  • 食事の予約
  • 利用できる時間
  • 個室など利用する場所

については、訪問前に最新情報を確認しておく必要があります。

過去には東京都の文化財公開事業に合わせて特別公開された実績もありますが、過去の公開日程が現在もそのまま適用されるわけではありません。

実際に訪れるなら、ここは確認したいところです。

「文化財だからいつでも中を見られるだろう」と考えて出かけるより、現在の利用方法を確認してから予定を組むほうが安心です。

小机家住宅は文明開化と五日市の歴史を同時に残す建物

小机家住宅が面白いのは、単に「珍しい洋館だから」ではありません。

そこには、江戸時代から続く山林業、東京・深川木場との商売、明治維新後の文明開化、日本の職人による擬洋風建築、戦争、戦後の生活、文化財保存、そして現在のレストラン活用までがつながっています。

約150年前、小机三左衛門が銀座で目にした新しい西洋文化を地元へ持ち帰ろうとしたことから始まった建物です。

西洋風の柱を造りながら、土蔵造りという日本の技術も残す。

輸入建材を使いながら、日本の左官職人が鏝絵を施す。

そうした「新しいものを取り入れながら、自分たちの技術で形にする」という姿勢が、小机家住宅にはそのまま残っています。

個人的には、この建物を見るときに一番覚えておきたいのはそこです。

白い洋館という外観だけでも十分目を引きますが、なぜ東京の山あいにこんな建物が生まれたのかまで知ると、小机家住宅はぐっと面白くなります。

そして現在も使われ続けているからこそ、明治時代の珍しい建築物というだけではなく、地域の歴史を次の時代へつないでいる「生きた文化財」として見ることができそうです。


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