五輪代表から400年前の御殿復元へ、吉原一彦さんの異色の歩み
2026年9月12日放送の『新プロジェクトX 幻の国宝 名古屋城本丸御殿 〜完全復元に挑む〜』では、戦災で焼失した名古屋城本丸御殿をよみがえらせた10年間の大工事が描かれます。
その復元工事で長く現場所長を務めたのが、安藤ハザマの吉原一彦さんです。驚くのは、吉原さんが建設一筋の人物ではなく、かつて競泳で日本のトップに立ち、1980年モスクワオリンピックの日本代表にも選ばれていたこと。競技人生から巨大復元プロジェクトの指揮へという、かなり珍しい経歴の持ち主です。
この記事でわかること
- 吉原一彦さんと名古屋城本丸御殿復元との関係
- 競泳選手として残した実績とモスクワ五輪代表歴
- 6年間にわたる復元現場で直面した難題
- 約150億円・10年をかけた復元工事の特徴
吉原一彦さんは名古屋城本丸御殿復元の現場所長
吉原一彦さんは、安藤ハザマ・松井・八神特別共同企業体が担当した名古屋城本丸御殿復元工事で、作業所の所長を務めた人物です。国土交通省中部地方整備局の記録にも、「名古屋城本丸御殿作業所 所長 吉原一彦氏」として魚津社寺工務店の魚津源二さんと並んで登壇した記録が残っています。
吉原さんは工事の最初から最後まで同じ立場だったわけではなく、途中から2代目所長として赴任しました。安藤ハザマの記録では赴任期間は約6年間。本人も完成直前に「これまで経験してきた中でもかなり手ごわい現場だった」と振り返っています。
番組予告には「鬼若と呼ばれたリーダー」が登場します。一方、公開されている工事資料で長期にわたる現場責任者として確認できるのは吉原さんです。ただし、「鬼若」という呼び名が吉原さんを指すことまでは公開資料で確認できないため、ここでは両者を断定して同一人物とは扱いません。
学生時代から日本トップクラスの競泳選手だった
吉原さんの経歴で特に目を引くのが競泳です。
日本水泳連盟の歴代記録には、男子1500m自由形の日本学生選手権優勝者として法政大学所属の吉原一彦さんの名前が残っています。また、男子400m自由形では間組所属時代に日本選手権を4分08秒80で制しています。間組はのちの安藤ハザマにつながる会社です。
つまり、建設会社で働きながら泳いでいたというレベルではなく、日本選手権の頂点まで到達した本格的なトップスイマーでした。
安藤ハザマも吉原さんについて、1980年モスクワオリンピックの競泳自由形日本代表で、当時の日本記録保持者だったと紹介しています。
モスクワ五輪代表に選ばれながら出場できなかった
1980年のモスクワオリンピックは、日本が大会をボイコットしたことで知られています。
吉原さんも水泳の日本代表メンバーとして選ばれていましたが、日本選手団そのものが参加しなかったため、オリンピックの舞台で泳ぐことはできませんでした。大会代表者名簿にも水泳選手として「吉原一彦」の名前が確認できます。
国内の頂点を争い、五輪代表までつかみながら本番に立てなかった経験を経て、その後は建設の世界で大規模プロジェクトを担うことになります。
しかも吉原さんと水泳とのつながりは昔だけではありません。近年のマスターズ水泳でも「吉原一彦」の名前が日本記録に残っており、2025年には70~74歳区分の100m・200mバタフライなどに記録があります。年代や競技歴から同一人物と考えられますが、競技団体資料では職歴までは併記されていないため、この点は慎重に見ておくのがよさそうです。
復元工事は普通の建設現場とはまったく違った
名古屋城本丸御殿は、1945年の空襲で焼失しました。しかし幸いにも、戦前に作られた実測図や古写真、障壁画など膨大な資料が残りました。
復元では単に「昔風の御殿」を新築するのではなく、旧来の材料と工法を基本に、焼失前の姿をできる限り忠実に再現することが求められました。名古屋市は工期を3期10年、総事業費を約150億円としています。
吉原さんへの取材では、戦前の309枚の実測図、約700枚の古写真、『金城温古録』などを照らし合わせながら検討したことが紹介されています。
資料が多ければ簡単になるように思えますが、実際は逆でした。図面と後から見つかった写真が食い違えば再検討が必要になり、すでに施工した部分を直すケースさえあったといいます。
番組では「約440枚の古写真」と紹介されていますが、既存資料では約700枚という数字もあります。これは復元に直接使った写真や番組が対象とした写真と、保存されている古写真全体とで集計範囲が異なるためと考えるのが自然です。
木曽ヒノキ不足は現場所長を苦しめた大問題
復元で大きな壁となったのが木材でした。
本丸御殿には大量の国産材が使われ、とりわけヒノキは品質だけでなく節や木目、反り方まで見極める必要があります。安藤ハザマによると、中には樹齢200年を超える木もあり、一時は全国の木材業者を探しても必要量を確保できないほどでした。
玄関と表書院を結ぶ大廊下では、木曽ヒノキの床板1枚が数百万円ほどになる例もあったと紹介されています。
高価だから失敗できない。しかし自然の木は、切って初めて節や芯の状態が分かることがあります。その不確実な材料で400年前と同じ建築を作るのですから、通常の建設工事とは別次元の難しさでした。
職人のこだわりを一つの方向へまとめる仕事
所長の仕事は工程表を見るだけではありません。
本丸御殿には宮大工だけでなく、左官、屋根、漆、障壁画、彫刻、錺金具、七宝など多くの専門家が参加しました。それぞれが一流であるほど、自分の仕事へのこだわりも強くなります。
吉原さんは安藤ハザマの取材で、専門家や伝統職人との進め方は一般的な協力会社とは大きく異なり、時には職人同士や現場側との衝突もあったと振り返っています。それでも「本丸御殿を良いものにする」という思いがそろうことで、次第に現場に一体感が生まれたとしています。
競泳という個人競技で日本の頂点を目指した人物が、数千人規模の復元工事では多様な職人をまとめる側に回った。その経歴を知ってから番組を見ると、リーダー像がさらに興味深く見えてきます。
名古屋城本丸御殿復元工事の基本情報
復元工事は2009年から進められ、2018年に全体が完成しました。復元する時代は、本丸御殿の格式が最も高まった寛永期。原則として旧来の材料と工法を使いながら、耐震性など必要な部分では現代技術も組み合わせています。
吉原さんは約6年間にわたり2代目所長を担当しました。現在の本丸御殿を訪れると、完成した建物だけでなく、その裏にあった「復元するための判断」の積み重ねまで想像できそうです。
まとめ
吉原一彦さんは、名古屋城本丸御殿復元工事で約6年間にわたり現場所長を務めた人物です。
さらにその前歴をたどると、法政大学時代から競泳のトップ選手として活躍し、日本選手権優勝、1980年モスクワ五輪日本代表という実績まで持っていました。
一流選手から建設技術者へ。そして、約150億円・10年という歴史的な復元事業の中心へ。『新プロジェクトX』で描かれる名古屋城本丸御殿の物語では、職人技だけでなく、それらを一つにまとめた現場リーダーの歩みにも注目です。
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