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大井川鐵道SL整備は50年継承!部品自作で蒸気機関車を守る新金谷の現場|鉄オタ選手権 大井川鐵道の陣

鉄道

大井川鐵道のSLは「走らせながら保存する」50年の技術で守られている

2026年10月10日放送のNHK「鉄オタ選手権 大井川鐵道の陣」では、人気列車に乗るだけでなく、SLを保守点検する鉄道員の仕事にもスポットが当たります。

大井川鐵道が本線で蒸気機関車の動態保存運転を始めたのは1976年7月9日。2026年でちょうど50周年を迎えました。古いSLを展示するのではなく、実際に走れる状態へ整備し続けるため、旧国鉄から受け継いだ技術や、入手できなくなった部品を自社で作る技術まで継承されています。

この記事でわかること

  • 大井川鐵道がSLを50年間走らせ続けられた理由
  • 新金谷のSL整備工場で行われている仕事
  • 手に入らないSL部品をどう維持しているのか
  • 旧国鉄OBから若い職員へ受け継がれた技術

新金谷駅の奥には現役SLを守る整備工場がある

出典:大井川鐵道公式「SLの動態保存とは」

大井川鐵道でSL運行の中心となっているのが新金谷駅です。

新金谷駅のトーマスフェア会場の奥にはSL整備工場があり、タイミングが合えば整備中の蒸気機関車を見ることができます。

大井川鐵道公式でも、点検を終えたトーマス号やパーシー号が整備工場からゆっくり走り出す様子を見られることが案内されています。単にSLへ乗る場所ではなく、日々の運行を支える整備の現場そのものが新金谷にあります。

蒸気機関車は、電車のようにスイッチを入れればすぐ走り出せる車両ではありません。

水や燃料を準備し、蒸気をつくり、各部の状態を確認して初めて運転できます。運転が終わった後も、次の運転に備えて点検や整備を続ける必要があります。

華やかに煙を上げて走る姿の裏側には、毎日のように古い機械と向き合う鉄道員の仕事があります。

1976年に旧国鉄OBを招きSL復活運転が始まった

大井川鐵道のSL保存の大きな転機は1976年です。

大井川本線では1949年の全線電化によってSLによる定期列車の運転が終了しましたが、1976年7月9日に本格的な蒸気機関車の動態保存運転を開始しました。

問題となったのが、SLを動かすための技術です。

大井川鐵道はSL復活運転を始める際、蒸気機関車の運転や整備に関する知識と経験を持つ旧国鉄OBの職員を招きました。

蒸気機関車は昭和初期につくられた車両です。構造を理解し、異常を見つけ、必要な修理を判断できる人材がいなければ、安全に乗客を乗せて走らせることはできません。

その旧国鉄OBたちはやがて現役を退きましたが、専門知識は若い職員へ受け継がれました。大井川鐵道がSLを走らせ続けてきた歴史は、車両だけではなく「人から人へ技術を渡してきた歴史」でもあります。

もう売っていない部品は自分たちで作る

古い機械を50年間動かし続けるうえで、大きな壁になるのが部品です。

蒸気機関車が製造された時代から長い年月が経ち、メーカーから新品部品を購入できるとは限りません。

さらにSL製造当時の技術には、現在では簡略化されたり、失われたりしたものもあります。

そこで大井川鐵道では、部品交換が必要になった場合、全国で静態保存されているSLから部品を譲り受けたり、自社で部品を製作したりして対応しています。

現在の自動車なら部品を取り寄せて交換できるケースでも、SLでは「交換するものそのものが存在しない」という状況が起こります。

図面や現物を確認し、必要な部品を作り、再び安全に動かせる状態へ戻す。

大井川鐵道でSL整備を続けることは、車両を修理するだけでなく、かつて日本の鉄道を支えていた機械加工や整備技術を残すことにもつながっています。

C11形227号機は1976年の復活運転を支えた看板機関車

大井川鐵道のSL保存史を象徴する車両がC11形227号機です。

1942年9月に製造された蒸気機関車で、北海道の標津線で活躍した後、1975年11月に大井川鐵道へ入りました。

そして1976年7月9日、大井川鐵道がSL復活運転を開始したときから走り続けてきた代表的な車両です。

2026年現在、大井川鐵道の車両図鑑ではC11形227号機は運行していない状態となっています。

一方で、C10形8号機やC11形190号機など、大井川鐵道には複数の蒸気機関車が受け継がれてきました。

1両が整備に入れば別の車両が役割を担う。

複数のSLを保存し、状態を見ながら整備してきたことも、半世紀にわたる動態保存を支えてきました。

一度廃車になったC11形190号機も大井川鐵道で復活

SL整備技術の力が分かりやすい例がC11形190号機です。

C11形190号機は1940年に川崎車両で製造され、1974年に熊本で廃車となりました。

その後は個人所有で静態保存されていましたが、2001年6月に大井川鐵道へ搬入されます。

そこから約2年にわたる大規模な改修を実施し、2003年7月19日に営業運転へ復帰しました。

一度鉄道車両としての役目を終え、展示されていた蒸気機関車を、再び乗客を乗せて走れる状態へ戻したことになります。

SLの動態保存では、きれいな外観へ修復するだけでは足りません。

ボイラー、走行装置、ブレーキなどを含め、営業運転に耐えられる車両に戻さなければならないため、大井川鐵道が積み重ねてきた整備技術が欠かせません。

C56形135号機も「もう一度走らせる」整備が続く

その技術は過去のものではありません。

現在、大井川鐵道ではC56形135号機の動態化整備も進めています。

C56形135号機は1938年製。1975年に廃車となった後、兵庫県加東市で静態保存されていました。

老朽化が進み解体される方針となったところ、大井川鐵道が譲渡を申し入れ、2022年2月に搬入しました。

動態化には大きな費用が必要です。

2022年にはクラウドファンディングが実施され、4313人から8422万6200円の支援が集まりました。2026年10月現在も大井川鐵道の車両図鑑では「動態化整備中」とされています。

過去のSLを維持するだけではなく、再び走れる蒸気機関車を増やそうとしているところにも、大井川鐵道の動態保存に対する姿勢が表れています。

2026年でSL動態保存は50周年

1976年7月9日11時41分。

SL急行かわね路号の初列車が金谷駅を出発し、大井川鐵道による本線での蒸気機関車動態保存運転が始まりました。

それからちょうど50年となった2026年、大井川鐵道はSL動態保存50周年を迎えました。

50年間同じ機関車を置いておけば残るわけではありません。

毎日の点検があり、故障への対応があり、部品の製作があり、ベテランから若手への技術継承があります。

その積み重ねがあって初めて、数十年前につくられた蒸気機関車が現在も煙を上げることができます。

「鉄オタ選手権 大井川鐵道の陣」で保守点検する鉄道員にスポットが当たるのは、SLの魅力を理解するうえで重要なポイントです。

SL整備工場はトーマスフェアから見学できる

SL整備の現場を実際に見たい場合、新金谷駅で開催されるトーマスフェアが1つの機会になります。

会場の奥がSL整備工場になっており、タイミングによってはトーマス号やパーシー号の整備、点検後に工場から出てくる様子を見ることができます。

2026年の案内では、トーマス号またはパーシー号の運転日に車両整備工場を見学できるとされています。

普段は列車として眺めているSLを、「巨大な機械を鉄道員が整備して動かしている」という視点から見られる場所です。

乗車だけでは分からない大井川鐵道のもう1つの魅力といえます。

まとめ

大井川鐵道が蒸気機関車を走らせ続けられる理由は、SLそのものを保存してきたからだけではありません。

1976年の復活運転開始時に旧国鉄OBから受け継いだ運転・整備技術を若い職員へ伝え、現在では手に入らない部品を譲り受けたり、自社製作したりしながら維持してきました。

2026年でSL動態保存は50周年。

その間には、静態保存されていたC11形190号機を営業運転へ復活させ、現在はC56形135号機の動態化整備にも取り組んでいます。

「鉄オタ選手権 大井川鐵道の陣」で映し出されるSLの迫力ある走行。その裏側には、古い機械を現在の鉄道として走らせるため、技術を受け継ぎ続ける鉄道員たちの仕事があります。

参考リンク


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