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魚津源二と魚津社寺工務店の宮大工|木曽ヒノキで名古屋城本丸御殿を復元した技【新プロジェクトX】

技術・サイエンス

30年前から職人を育て、名古屋城本丸御殿の復元に備えた魚津源二さん

2026年9月12日放送の『新プロジェクトX 幻の国宝 名古屋城本丸御殿 〜完全復元に挑む〜』では、最高級の木材を探し出し、400年前の建物を組み上げた宮大工たちが大きく取り上げられます。

木工事で実際に名古屋城本丸御殿復元に参加したのが、名古屋の魚津社寺工務店です。そして長年、職人育成を進めながら本丸御殿復元を目標としてきたのが魚津源二さんでした。驚くことに、魚津さんは復元話を聞いた約30年前から「自分たちがこの仕事を請けられるように」と若い職人の育成を始めています。

この記事でわかること

  • 魚津源二さんと魚津社寺工務店の歴史
  • 名古屋城本丸御殿で担当した木工事
  • 若手職人を30年以上育成した理由
  • 木曽ヒノキを扱う宮大工の難しさ

魚津源二さんと魚津社寺工務店が本丸御殿木工事を担った

魚津社寺工務店の公式施工実績には、「名古屋城本丸御殿復元工事(下請・木工事)」が2018年5月完成の工事として明記されています。

魚津源二さん自身も国土交通省中部地方整備局の講演会で、安藤ハザマの吉原一彦所長とともに「名古屋城本丸御殿復元の概要と技術の伝承」を語っています。

当時の資料では、魚津さんは魚津社寺工務店会長として職人を指揮し、「木の癖や曲がりを読む手作業こそ職人の技」であり、それを次代へ受け継ぐ難しさについて話したと記録されています。

魚津社寺工務店は1921年創業の社寺建築会社

魚津社寺工務店は1921年創業。現在は神社・仏閣・文化財など、伝統的な日本建築の施工や耐震補強を事業としています。

魚津源二さんは現在、魚津建築設計事務所の代表取締役として公式会社概要に名前が掲載されています。魚津社寺工務店の代表取締役は魚津忠弘さんです。

会社のルーツは富山県滑川から名古屋へ出稼ぎに来た初代にさかのぼります。当初は社寺専門ではなく、町家や座敷、茶室などを手掛ける大工でした。その後、社寺・文化財建築へと仕事を広げていきます。

本丸御殿復元を聞いて30年前から若手職人を育てた

魚津さんの物語で特に印象的なのが、復元工事が始まってから人を集めたのではないことです。

本人のインタビューによると、名古屋城本丸御殿を復元する話を聞いたのは、実際の工事より約30年前。当時40歳ほどだった魚津さんは、自社がこの仕事を請けられるようになるには何が必要かを考え、「若い職人を一から自分の手で育てよう」と決意しました。

最初は60~70人ほどいた若手のうち、4~5年間の雑役期間などを経て残ったのは約40人だったといいます。

ここで興味深いのは、魚津さん自身がインタビューで「私自身は大工ではありません」と話していることです。

自ら鑿や鉋を握る棟梁というより、幼い頃から職人の仕事を見続け、工程を理解し、人を育て、現場を率いてきた立場でした。

木工事は「図面どおりに組む」だけではなかった

名古屋城には大量の実測図が残されていました。それでも宮大工が必要とする施工の細部まで、すべての図面がそろっていたわけではありません。

魚津さんによると、実際の工事では棟梁が一つひとつ施工図を描き、それを施主側に確認してもらいながら進めました。

しかも材料は非常に高価です。

加工を一度間違えれば数百万円規模の損失につながるような木材もありました。ところが「練習してから本番」という余裕はなく、初めから難しい加工を本番材で求められたと振り返っています。

復元建築ならではの緊張感です。

樹齢200年超の木まで使った最高級木材

安藤ハザマの工事記録によると、本丸御殿では国産材が使われ、中には樹齢200年を超える木もありました。

特に大量に必要だったのがヒノキです。しかし大径で節がなく、用途に合った木目を持つ材は簡単には見つかりません。一時は国内中の木材業者を探しても不足するほどだったといいます。

さらに重要なのが木曽ヒノキです。

木曽地域はかつて尾張藩領で、名古屋城と深い歴史的つながりがあります。そのため復元でも木曽・裏木曽のヒノキが重要な材料になりました。

天然木は鉄やコンクリートのように均一ではありません。反り、ねじれ、節、芯の位置、柾目と板目まで、一つひとつ違います。

だからこそ魚津さんが語った「木の癖や曲がりを読む」という能力が必要になります。

柱を石に合わせて削る「ひかりつけ」も復元

本丸御殿では伝統技術そのものも復元対象でした。

代表例が「ひかりつけ」です。

礎石の表面は真っ平らではありません。その凹凸を型取りし、柱の底を石にぴったり合う形に削って据えます。安藤ハザマの記録では、本丸御殿跡には焼失後も約2000個の礎石が残されていました。遺構を守るため元の礎石の上には直接建てず、保護した上で新たな礎石を設けています。

木を正確に加工するだけではなく、石の個体差まで木側で受け止める。機械化された現代建築とは異なる宮大工の世界がよく分かる部分です。

魚津源二さんが大切にした「職人の心意気」

魚津さんは若い職人に、後世の人から「こんな仕事をしたのか」と思われるような仕事をしてはいけない、と伝えてきたそうです。

名古屋城本丸御殿は完成すれば何十年、何百年と見られる可能性があります。自分が打った釘一本まで将来に残る。その意識が仕事の精度を変えていきます。

魚津さんは、大工が良い仕事をすれば、左官や屋根の職人も「大工に負けるな」と力を出すと説明しています。

一つの会社だけで完成させるのではなく、異なる職種の職人同士が刺激し合う。その連鎖が本丸御殿全体の質を引き上げました。

魚津社寺工務店の現在と所在地

魚津社寺工務店は現在も名古屋市中川区西日置に本社を置き、神社・仏閣・文化財などの施工、耐震補強を手掛けています。

所在地は名古屋市中川区西日置2丁目12-20。一般住宅工務店というより、伝統建築・文化財建築を専門分野とする会社です。

2018年に本丸御殿が完成して終わりではなく、その技術や経験が次の文化財修理、社寺建築へ受け継がれている点も、このプロジェクトの大きな意味でしょう。

まとめ

魚津源二さんと魚津社寺工務店の名古屋城本丸御殿復元は、工事が始まった2009年から始まった話ではありません。

魚津さんはその数十年前から本丸御殿復元を見据えて若い職人を育て、実際の工事では高価なヒノキを使いながら、昔の建築を読み解く難題に挑みました。

古写真や実測図が残っていても、最後に木を見て、削り、組むのは人です。『新プロジェクトX』を見て「宮大工たちは誰だったのか」と気になった人にとって、魚津社寺工務店はぜひ知っておきたい存在です。


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