群馬の小さな町が「外国のような町」へ変わった背景
2026年9月15日放送の『超調査チューズデイ』では、「群馬県…まるで外国に迷い込んだような町」が登場します。放送前時点でフジテレビは町名を公表していませんが、群馬県大泉町は外国籍住民が総人口の22%前後を占め、50か国以上の国籍の人々が暮らす「インターナショナルタウン」です。町が大きく変わった背景には、1990年の入管法改正と、製造業の町ならではの深刻な人手不足がありました。
この記事でわかること
- 大泉町がブラジルタウンになったきっかけ
- 1990年の入管法改正と製造業の関係
- 外国籍住民が9,000人を超える現在の大泉町
- 西小泉周辺でブラジル文化が根付いた理由
大泉町は現在、外国籍住民が9,251人暮らす町
大泉町の変化を象徴するのが、外国籍住民の多さです。
大泉町が2026年9月7日に更新した人口統計によると、2026年8月31日現在の総人口は41,304人。そのうち外国籍住民は9,251人です。町民のおよそ5人に1人以上が外国籍という状況になっています。
町自身も、多文化共生のページで大泉町を外国人集住地域として紹介しています。
2025年12月末時点でも、
- 総人口:41,267人
- 外国籍住民:9,011人
- 外国籍住民の割合:約22%
となっていました。
大泉町観光協会も「外国人人口の割合は20%超」と打ち出しています。
さらに現在はブラジルやペルーなど南米系だけでなく、ネパール、ベトナム、インドネシアなどアジア系の住民も増え、50か国以上の国籍の人が暮らす町へ変化しました。
まさに「日本の小さな町の中に多国籍な生活圏ができている」といえる場所です。
きっかけは1990年の入管法改正だった
では、なぜ群馬県の大泉町にこれほど多くの外国人が暮らすようになったのでしょうか。
大きな転機となったのが1990年の出入国管理及び難民認定法の改正です。
大泉町はもともと製造業が非常に盛んな町でした。
戦前には航空機工場があり、戦後もその製造技術を背景として、富士重工業、現在のSUBARUや、三洋電機、現在のPanasonicなどに関連する製造業が集積して発展してきました。
ところがバブル景気によって日本経済が拡大すると、製造現場では深刻な人手不足が発生します。
ちょうどその時期に入管法が改正され、日系人などを対象とする「定住者」の在留資格が設けられました。
南米に渡った日本人移民の子孫である日系ブラジル人などが、日本で働きやすくなったのです。
大泉町の公式計画でも、1990年の法改正を契機に、町内企業の労働力不足を解消するため南米日系人を受け入れたことが、外国人比率の高い町になった出発点と説明されています。
企業が日系ブラジル人を積極的に受け入れた
法律が変わっただけで、全国どこでも大泉町のようになったわけではありません。
大泉町がブラジルタウンへ変化したもう1つの重要な理由が、町の企業側が積極的に日系人を受け入れたことです。
大泉町観光協会は、ブラジリアンタウン形成の流れを3段階で紹介しています。
最初が入管法改正による日系人の来日。
次に、企業城下町だった大泉町で企業や人材会社などが日系人を働き手として受け入れます。
そして、日本語を十分に話せない人でも働き、生活できる受け入れ体制が少しずつ整っていきました。
働いている知人から話を聞き、新たな人が大泉町へ来る。
家族を呼び寄せる。
日本での生活が長くなり、子どもが生まれる。
当初は数年間働いてブラジルへ帰る予定だった人々の中にも、日本に定住する人が増えていきました。
こうして大泉町の外国人コミュニティーは徐々に大きくなっていきます。
ブラジル料理店やスーパーが生まれ「ブラジルタウン」になった
人が増えれば、生活に必要な店も必要になります。
そこで日系ブラジル人向けの、
- ブラジル料理店
- 食品スーパー
- パン店
- 衣料品店
- 雑貨店
- 各種サービス
などが町に生まれていきました。
大泉町観光協会によると、故郷ブラジルの生活や文化を懐かしんだ人々が、自分たちのためのレストランやスーパー、日常生活に欠かせない店を開き始めたことが、現在のブラジルタウン形成につながりました。
西小泉駅周辺を中心に、ブラジルの商品や料理に触れられるエリアが形成されています。
その代表例の1つが、1990年に開店した**RESTAURANT BRASIL(レストラン ブラジル)**です。
大泉町観光協会によれば、大泉町で最初にできた老舗ブラジル料理レストランで、シュハスコをはじめとした伝統的なブラジル料理を提供しています。
1990年という開店時期も象徴的です。
入管法が改正され、日系ブラジル人が急増し始めた時期と重なっています。
「外国人が増えた町」だけではなく、暮らす人の増加とともに食、買い物、言葉、コミュニティーまで変化していった町なのです。
ブラジル人だけの町ではなく50か国以上の「インターナショナルタウン」へ
「大泉町=ブラジル」というイメージは現在も強く残っています。
実際、町の公式資料では2024年時点で外国籍住民9,051人のうち、ブラジル国籍が4,840人と最も多くなっていました。次いでペルー、ネパール、インドネシア、ベトナムなど、多様な国籍の住民が生活しています。
しかし現在の大泉町は、以前よりさらに多国籍化しています。
観光協会も「ブラジリアンタウン」だけでなく、**「インターナショナルタウン大泉」**という言葉を前面に出しています。
町を歩けばブラジル文化だけではなく、南米やアジアなどさまざまな国の料理や文化に触れられるようになりました。
これは「ブラジル人が多い町」から、世界各国の人々が生活する町へと、さらに次の段階へ変化していることを示しています。
多文化共生のため町もポルトガル語などで情報発信
住民構成が変われば、行政にも新しい対応が必要になります。
大泉町では、言葉や文化、生活習慣が異なる住民が暮らせるよう、さまざまな多文化共生施策を進めています。
代表的なのが、多言語版広報紙**「GARAPA」**です。
さらに外国籍住民向けの一元的な相談窓口や、日本の制度・生活習慣を伝える仕組みなども用意されています。
大泉町はこれを「秩序ある共生のまちづくり」と位置付けています。
観光地として外国文化を売りにしているだけではありません。
学校、仕事、行政手続き、ごみ出し、地域生活など、異なる文化を持つ住民が同じ町で暮らすための仕組みを作り続けていることも、大泉町の大きな特徴です。
西小泉駅周辺では海外旅行のような体験もできる
大泉町を実際に訪れるなら、中心になるのが東武小泉線の西小泉駅周辺です。
ブラジル料理を食べたり、輸入食品を扱う店を巡ったりすることができ、大泉町観光協会もブラジル文化を観光資源として紹介しています。
観光協会では、町の多文化を知る「インターナショナルタウン体験」のほか、サンバショーや各国料理に関する体験企画なども展開しています。
つまり大泉町の「外国のような景色」は、映画のセットやテーマパークのように造られたものではありません。
外国から働きに来た人たちが暮らし、その生活に必要な店や文化が少しずつ根付き、30年以上かけて自然に形成された町並みなのです。
ここが大泉町の面白いところです。
大泉町が外国のような町になった理由まとめ
大泉町がブラジルタウン、そしてインターナショナルタウンへ変化した最大の転機は1990年の入管法改正でした。
製造業の人手不足が深刻だった大泉町では、企業側が日系ブラジル人を積極的に受け入れました。
働く人が増えると家族が暮らすようになり、ブラジル料理店やスーパーなどが誕生。やがて強いコミュニティーが形成されました。
そして現在ではブラジルだけにとどまらず、50か国以上の国籍の住民が暮らしています。
2026年8月末時点では、人口41,304人に対して外国籍住民は9,251人。大泉町は日本有数の外国人集住地域となっています。
『超調査チューズデイ』が9月15日の放送で紹介する「群馬県のまるで外国に迷い込んだような町」は、放送前時点で町名が公表されていません。
ただ、大泉町には「製造業の町→日系ブラジル人の増加→ブラジルタウン形成→外国籍住民20%超のインターナショナルタウン」という、まさに町そのものが大きく変化してきた歴史があります。
観光向けに作られた「外国風の町」ではなく、人々が働き、暮らし続けた結果として町の景色や文化まで変わった。その過程こそが大泉町の最大の特徴です。
参考リンク
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