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佐々木直行・和子夫妻が暮らす鹿児島・新島、250人から2人になった理由|超調査チューズデイ

地域・施設

250人が暮らした島が無人島を経て「人口2人」になった新島

2026年9月15日放送の『超調査チューズデイ』では、「250人の島民がたった2人…一体なぜ!?」という町の激変企画が紹介されます。番組公式では放送前の段階で島名まで明らかにされていませんが、鹿児島市の新島(しんじま)は、ピーク時に約250人が暮らし、2013年に無人島となった後、佐々木直行さん・和子さん夫妻が移住して再び人口2人の有人島となった場所です。鹿児島県の公式観光情報でも、この経緯が確認できます。

現在の新島は「2人しかいない島」というだけではありません。故郷を残そうとする元島民たちの活動によって、民泊や島内ガイド、子どもの体験学習などが行われ、2026年には年間1500人以上が訪れる島へ変わりつつあります。

この記事でわかること

  • 鹿児島・新島が約250人から人口2人になった理由
  • 佐々木直行さん・和子さん夫妻が島へ戻った経緯
  • 一度無人島になった新島が再生するまでの物語
  • 2026年現在の新島への行き方と島でできること

新島が250人から2人になった理由は過疎・高齢化

公式動画:MBC南日本放送「無人島から人と人をつなぐ島へ」

結論からいうと、新島の人口が約250人から減少した大きな理由は過疎化と高齢化です。

新島は鹿児島市に属し、桜島の北東約1.5km、錦江湾に浮かぶ周囲約2.3kmの小さな島です。

MBC南日本放送の2026年9月の取材によると、人口が最も多かった1951年ごろには約250人が暮らしていました。当時は島内に小学校の分校や商店もあり、子どもたちの声が聞こえる集落が形成されていました。

しかし、進学や就職などを機に島を離れる人が増え、高齢化も進行します。

人が少なくなれば、生活に必要な商店や学校などを維持することも難しくなります。島で生まれた子どもたちが成長して本土へ移り、そのまま島外で生活するという流れが重なりました。

そして2013年、最後まで暮らしていた住民が島を離れ、新島は定住者0人の無人島となります。

約250人から2人へ一気に減ったのではありません。

長い年月をかけて人口が減り、

約250人が暮らす島
↓
過疎化・高齢化
↓
2013年に人口0人
↓
2019年に夫妻が移住
↓
人口2人の有人島へ復活

という経緯をたどっています。

2013年には人口0人、本当に無人島になった

人がいなくなった島では、かつての生活の痕跡そのものが自然にのみ込まれていきました。

佐々木和子さんは新島出身で、12歳ごろまで島で育った元島民です。その後、中学進学を機に島を離れ、結婚後は夫の直行さんと北九州市で暮らしていました。

新島が無人島となったあと、和子さんの姉・東ひろ子さんから「島への連絡船がなくなるかもしれない」という知らせが入ります。

姉妹が心配したものの1つが、子どものころから身近にあった五社神社でした。

久しぶりに新島を訪れると、道路には草木が生い茂り、人が暮らしていたころの景色は大きく変わっていました。

そこで姉妹は、神社の花や水を替えることから活動を始めます。

やがて道路の草刈りや清掃へと活動が広がり、元島民だけではなくボランティアも参加するようになりました。

「人がいなくなったから終わり」ではなく、そこから新島の再生が始まったのです。

五社神社の再建が島を再び動かした

新島再生の象徴になったのが五社神社です。

2014年ごろから元島民を中心とした活動が本格化し、荒れていた道や神社周辺を整備。ボランティアの力も加わり、神社は再建されました。

この活動は、単に古い建物を直すだけのものではありませんでした。

島で育った人たちにとって、神社は故郷そのものを思い出させる場所でもあります。

鹿児島県公式観光サイトでは、五社神社について佐々木夫妻が新島へ移住する決め手にもなった場所と紹介されています。

島をきれいにするために通うだけではなく、自分たち自身が島で暮らす。

佐々木夫妻は、そんな大きな決断をすることになります。

佐々木直行・和子夫妻が2019年に移住し有人島へ復活

2019年、佐々木直行さんと和子さん夫妻が新島へ移住しました。

2013年に最後の住民が島を離れてから、およそ6年。

人口0人だった新島が、人口2人の有人島として復活した瞬間です。鹿児島県公式観光サイトも「2019年には夫婦2人が移住し、再び有人島となった」と紹介しています。

2026年の鹿児島県の防災関係資料でも、桜島新島町は人口2人・1世帯とされています。

その2人が直行さんと和子さんです。

夫妻はただ新島に住んでいるだけではありません。

現在は島を訪れる人を案内するジオガイドとして活動し、自宅を活用した民泊も行っています。

鹿児島県公式観光サイトでは「ニューアイランド佐々木」として紹介され、夫妻の自宅は来島者のために整備された島唯一の民泊施設にもなっています。

人口は2人でも、島を訪れる人との接点はむしろ増えているのです。

カフェと避難所も誕生、島を訪れる人を受け入れる場所へ

佐々木夫妻たちは、さらに新島を「人が訪れられる島」に変えていきました。

大きな課題だったのが、観光客や子どもたちが島に滞在しているとき、天候が急変した場合などに避難できる場所が少ないことでした。

そこで2022年、カフェと避難所を兼ねた施設を作るためクラウドファンディングを実施。

目標300万円に対して、368万3000円の支援が集まりました。

建物には冷暖房やAEDなどを備え、2023年1月には「カフェ・ニューアイランドて営業を開始しています。

無人島だった場所に住民が戻り、道を整え、神社を再建し、来島者を受け入れる施設まで生まれたことになります。

島の再生が「住民2人の生活」だけにとどまっていないことが分かります。

2026年には年間1500人以上が新島を訪れている

人口だけを見ると、新島はいまも2人です。

しかし2026年9月のMBC取材によると、現在は年間1500人以上が島を訪れているとされています。

釣り客や観光客だけではありません。

子どもたちの自然体験や、新島の地質を学ぶジオガイドツアーも行われています。

新島は1779年の桜島・安永噴火に伴って海底が隆起し、誕生した島です。

桜島・錦江湾ジオパークによると、島には約5000年前の貝化石層なども残っています。かつて海底だった地層を実際に観察できる、非常に特徴的な場所です。

人口減少だけを切り取れば「消えていく島」に見えます。

しかし現在の新島では、自然や歴史を体験する場所として新しい役割が生まれています。

2026年現在、新島へは海上タクシーで渡る

新島を訪れる場合は注意点があります。

以前は桜島の浦之前港と新島港を結ぶ鹿児島市の行政連絡船が運航していましたが、2026年3月29日をもって運航を終了しました。

現在、鹿児島市は新島へ渡る方法として民間の海上タクシーを案内しています。

鹿児島市が掲載している事業者は、

  • 柿の実丸Ⅲ
  • 奥丸
  • 天竜丸
  • 錦江湾クルーズ

などです。

料金や運航日時は固定の定期船とは異なるため、利用前に各事業者への確認が必要です。

古い観光情報には「週3日の連絡船」と記載されたページも残っていますが、2026年現在は行政連絡船ではなく海上タクシーを利用する形に変わっています。

ここは新島を訪れようと考えている人が特に確認しておきたいポイントです。

新島はなぜ約250人から2人になったのかまとめ

新島が約250人から人口2人になった背景には、長期間にわたる過疎化と高齢化があります。

1951年ごろには学校や商店があるほどにぎわっていましたが、島外への人口流出が続き、2013年にはついに定住者が0人となりました。

しかし、新島の物語はそこで終わりませんでした。

故郷を残そうと元島民たちが道路整備や五社神社の再建を続け、2019年には新島出身の佐々木和子さんと夫の直行さんが移住。人口2人の有人島として復活しました。

現在は民泊、カフェ、ジオガイド、自然体験などを通じ、年間1500人以上が訪れる島になっています。

『超調査チューズデイ』が予告している「250人の島民がたった2人」という島について、放送前時点では島名そのものは公表されていません。ただ、鹿児島・新島には約250人→0人→佐々木夫妻の2人という、その数字と一致する非常に特徴的な歴史があります。

人口2人という数字以上に、「一度なくなった集落に人が戻り、再び人が集まる場所を作っている」というところに、新島の現在があります。

参考リンク


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