甘葛の時代から「砂糖の時代」へ、日本の甘さを変えた外来品
2026年10月5日放送のNHK Eテレ「グレーテルのかまど ヘンゼルのスイーツ!タイムトラベル」では、古代のはちみつから現代の砂糖まで、人類が求めてきた甘味の歴史をたどります。
日本では清少納言の「枕草子」に登場する甘葛など、砂糖とは違う甘味料が長く使われてきました。一方、砂糖そのものが日本へ渡ってきたのは奈良時代。756年の正倉院「種々薬帳」には砂糖に関する記録があり、当時はお菓子を甘くする調味料ではなく、非常に貴重な「薬」として扱われていました。
そこから約800年。南蛮貿易によって砂糖と砂糖菓子が広がり、日本のお菓子は大きく変わっていきます。
この記事でわかること
- 日本で砂糖が確認できる最古級の記録
- 奈良時代に砂糖が「薬」として扱われた理由
- カステラやコンペイトウが広がった時代
- 甘葛から砂糖へ日本の甘味が変化した流れ
日本の砂糖は756年の正倉院「種々薬帳」に記録されている

日本の砂糖の歴史をたどるうえで重要なのが、奈良の正倉院に伝わる「種々薬帳」です。
756年、光明皇后は聖武天皇の冥福を祈り、東大寺盧舎那仏へさまざまな品を献納しました。その中には約60種の薬物があり、その目録が「種々薬帳」として現在まで伝わっています。正倉院そのものにも、この薬帳に記録された薬物が残っています。
そして、この「種々薬帳」に砂糖を意味する記載があります。
農畜産業振興機構によると、奈良時代にはすでに砂糖が日本へ持ち込まれていたことが確認でき、当時は非常に貴重な品だったため、食卓で自由に使う甘味料というより薬として扱われていました。
現在ならスーパーで簡単に購入できる白い砂糖が、約1270年前の日本では「薬物の一つ」だったのです。
鑑真が砂糖を持ってきたという説には確定できない部分もある
日本への砂糖伝来では、唐から来日した鑑真の名前がよく登場します。
鑑真は743年、日本への渡航を試みた際の積み荷として、砂糖に関係する品を大量に準備していた記録があります。しかし、この航海は失敗しました。
753年、6回目の挑戦でようやく日本への渡航に成功しますが、その際の積み荷目録は残っていません。
このため「鑑真が日本へ初めて砂糖を持ってきた」と断定できる史料はなく、遣唐使などを通して中国から伝わった可能性もあります。農畜産業振興機構も、鑑真による伝来説を紹介しつつ、確証はないとしています。
ただし、756年の「種々薬帳」に砂糖が登場するため、奈良時代に日本へ砂糖が入っていたこと自体は確認できます。
砂糖が来ても甘葛はすぐ消えなかった
砂糖が日本へ伝わったからといって、すぐに現在のようなお菓子文化になったわけではありません。
輸入された砂糖は極めて貴重でした。
そこで長く使われたのが、日本にもともとあった甘味です。
代表的なのが、
- 果物の甘味
- 米などから作る飴
- はちみつ
- 甘葛
などでした。
平安時代の清少納言は「枕草子」に、削った氷へ甘葛を入れて食べる様子を記しています。
つまり奈良時代には砂糖が存在していても、平安時代の日常的な甘味文化では、まだ植物由来の甘葛などが重要な役割を担っていました。農畜産業振興機構も、古代には砂糖が外来の貴重品で、平安時代には甘葛煎が利用されていたと解説しています。
砂糖が「ある」ことと、砂糖が「普通に使える」ことは、まったく別だったのです。
室町時代になると砂糖がお菓子へ使われ始める
砂糖の位置づけが変わってくるのが中世です。
鎌倉時代末から大陸との貿易が活発になると、砂糖の輸入量も徐々に増えていきました。
室町時代の史料には「砂糖饅頭」や「砂糖羊羹」といった名前が現れます。もともとは薬として扱われていた砂糖が、ようやく「お菓子を甘くする材料」へ変化していきました。
ただし、まだ庶民が日常的に大量消費できる食品ではありません。
砂糖を使った菓子そのものが、価値のある特別な食べ物でした。
16世紀にカステラやコンペイトウがやってきた
日本のスイーツ史をさらに大きく変えたのが16世紀の南蛮貿易です。
1543年にポルトガル人が種子島へ到来。その後、ヨーロッパとの交流が増えると、砂糖そのものに加えて、砂糖をたっぷり使う菓子文化も日本へ入ってきました。
代表的なのが、
- カステラ
- コンペイトウ
- 有平糖
など、いわゆる南蛮菓子です。
農畜産業振興機構によると、16世紀には砂糖の輸入量が増え、砂糖を材料とする菓子も日本へ伝わりました。
「甘いもの=甘葛や飴」という時代から、「砂糖そのものを使った強い甘さ」の時代へ。
日本人が味わう甘さが大きく変わった転換点でした。
江戸時代には長崎街道が「シュガーロード」に
江戸時代になると、砂糖はさらに日本へ深く入り込んでいきます。
海外から輸入された砂糖は長崎へ入り、そこから大阪や江戸、各地へ運ばれました。
長崎から佐賀、小倉方面へ延びる長崎街道沿いには砂糖文化が広がり、カステラや丸ぼうろ、羊羹など、現在まで残る菓子文化が発展します。
このため長崎街道は現在、「シュガーロード」とも呼ばれています。
さらに琉球や奄美ではサトウキビ栽培と黒糖製造も発展。
海外から運ばれるだけだった砂糖が、日本国内でも作られるようになっていきました。
「薬」だった砂糖がケーキの基本材料になるまで
奈良時代の日本にとって砂糖は、正倉院の薬物目録に記録されるほど珍しいものでした。
それが現在では、
- ケーキ
- クッキー
- 和菓子
- ジャム
- 飲み物
- 料理
まで、当たり前のように使われています。
10月5日の「グレーテルのかまど」で最後に登場するパウンドケーキも、砂糖なしでは基本の形が成立しないお菓子です。
古代には自然のはちみつを探し、日本では甘葛を煮詰め、奈良時代に貴重な砂糖が渡来し、長い年月をかけて砂糖が日常へ広がっていく。
現在のケーキ1切れに使われる砂糖へたどり着くまでには、1000年以上にわたる日本の甘味の変化がありました。
放送情報
- 番組名:グレーテルのかまど
- 放送回:ヘンゼルのスイーツ!タイムトラベル
- 放送日:2026年10月5日(月)
- 放送時間:22:00~22:25
- 放送局:NHK Eテレ
- 出演:瀬戸康史
- かまどの声:キムラ緑子
- 内容:番組15周年を記念し、古代のはちみつから現代の砂糖まで甘味の歴史を振り返り、3種のパウンドケーキを食べ比べる特別企画
まとめ
日本で砂糖が確認できる最古級の史料の一つが、756年の正倉院「種々薬帳」です。
現在はお菓子作りに欠かせない砂糖ですが、奈良時代には簡単に手に入らない貴重品で、甘味料というより薬物として扱われていました。
その後、貿易によって輸入量が増え、室町時代には砂糖を使った菓子が登場。16世紀には南蛮貿易を通じてカステラやコンペイトウなどが伝わり、日本の甘味文化は大きく変化します。
はちみつ、甘葛、貴重な薬としての砂糖、そして誰もが楽しめるスイーツの材料へ。
「グレーテルのかまど」で甘味の歴史をたどると、普段何気なく使っている砂糖そのものが、壮大なタイムトラベルの主役であることが見えてきます。
参考リンク
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