広島城天守は閉城後、木造復元を見据えた長期調査へ
2026年10月7日放送の「クローズアップ現代」では、戦後に鉄筋コンクリートで再建された天守が老朽化し、各地で木造復元・耐震補強・解体という難しい選択を迫られている現状が取り上げられます。
その問題を象徴する存在の一つが広島城です。1958年に再建された現在の天守は、コンクリートの劣化や設備の老朽化などから2026年3月22日に閉城。68年間続いた天守内部の公開を終えました。
一方、建物がすぐ取り壊されるわけではありません。広島市は木造復元、耐震改修による継続利用、現天守を解体する整備を比較しながら検討を進め、木造復元が最も整備効果が高いという有識者の見解をまとめています。ただし、市としての最終的な整備方針はまだ決定していません。
この記事でわかること
- 広島城天守が2026年に閉城した理由
- 木造復元が有力とされた背景
- 石垣や史資料など復元までに残る課題
- 現在の広島城の見学と今後のスケジュール
広島城天守は2026年3月22日に閉城した

出典:広島市「広島城天守は、令和8年3月22日をもって閉城しました。」
広島城の現在の天守は1958年、広島復興大博覧会に合わせて鉄筋コンクリート造で再建されました。戦後復興を進める広島の象徴となり、その後は主に武家文化を紹介する博物館として利用されてきました。
しかし完成から60年以上が経過し、建物内部では雨漏り、外部では外壁や瓦の劣化が進行。2019年度に行われた耐震診断では、大規模地震に対して倒壊・崩壊する危険性が高いという結果が出ています。
こうした状態から内部の観覧を続ける安全性に問題があるとして、2026年3月22日で閉城しました。
ただし「閉城」は、広島城そのものがなくなったという意味ではありません。
現在も天守の外観を見ることはでき、二の丸復元建物や二の丸ミュージアムショップ、広島城三の丸エリアも利用できます。
現時点では天守の解体日も木造復元の完成日も決まっていない
ここは特に重要な点です。
広島市は木造復元を含めた検討を進めていますが、2026年10月時点で現天守の解体日が決まっているわけではありません。
市の案内でも、現天守について「現在のところ、解体の予定はありません」とされており、専門的な調査を重ねた後に整備方針を決める段階です。
今後の大きな目安は次の通りです。
- 2026年度から詳細な調査・検討を開始
- 調査・検討だけでも最短5年程度
- 現時点では2030年度ごろまでかかる見込み
- その後、有識者会議などを経て広島市が整備方針を決定
つまり、「閉城したので近く解体して木造天守を建て始める」という段階ではありません。
城跡そのものが国の史跡であるため、建物だけを考えて工事を進めることはできず、その下に残る石垣や遺構をどう守るかまで含めた長期的な検討が必要になっています。
木造復元・耐震改修・解体の3案から木造復元が最有力に
広島城を今後どう整備するのかについて、有識者による検討では大きく3つの方法が比較されています。
1つ目が、往時の天守を木造で復元する方法。
2つ目が、現在の鉄筋コンクリート天守を耐震改修し、引き続き利用する方法。
3つ目が、現天守を解体して天守台を中心に保存する方法です。
比較検討では、史跡の価値を理解できること、歴史や文化を伝えられること、観光やまちづくりへの効果、維持管理などを総合的に考え、木造復元が最も有力という見解が示されました。
大きな理由は、単に外観を昔の姿にするだけではありません。
現在の天守は鉄筋コンクリート造で、内部は本来の城郭建築とは異なります。木造復元なら柱や梁、内部空間、建築構法まで含めて歴史的な天守を体感できる可能性があります。
しかも広島城は大天守だけで完結していた城ではありません。
創建時には大天守に東小天守、南小天守を廊下でつないだ「複連結式」の天守群を形成していました。現在は大天守だけが外観復元され、小天守などは存在していません。
検討会議では、大天守だけではなく天守群全体を復元する案が、広島城本来の姿を理解するうえで望ましいという見解も示されています。
原爆で失われた天守と1958年の復興天守
広島城の歴史を考えると、単純に「古いコンクリート建築を新しくする」という話ではないことが分かります。
広島城は1589年、毛利輝元によって築城が始まりました。かつての天守は1931年に旧国宝に指定されるほど貴重な建築でしたが、1945年8月6日の原子爆弾投下によって倒壊しました。
そこから13年後の1958年、市民の支持を受けながら鉄筋コンクリート造の天守が再建されます。
現在の天守には、戦国時代以来の城郭を伝える役割だけでなく、原爆によって失われた都市が再び立ち上がっていく「戦後復興の象徴」という別の歴史も刻まれているのです。
そのため、現在の建物を解体する場合も、1958年に天守を再建した世代の記憶をどう残すかという課題があります。
木造復元とは、古い建物を単純に新しく造り直す事業ではなく、「戦国時代の広島」と「被爆・戦後復興の広島」という異なる時代をどう次世代へつなぐかという選択でもあります。
最大の難関は400年以上残る石垣を守りながら復元すること
木造復元に向けて特に慎重な検討が必要なのが、天守を支える石垣です。
広島城跡は国の史跡であり、石垣や地下に残された遺構そのものが文化財です。天守を復元するために、貴重な遺構を傷つけてしまっては本末転倒になります。
これまでの検討では、大規模地震でも石垣が直ちに崩壊する状態ではないという結果が得られています。
しかし、その解析には推定値も含まれているため、広島市はさらにボーリング調査などを行い、石垣内部や基礎地盤の状態を詳しく調べる計画です。
実際に2026年には「広島城天守の木造復元に向けた基礎地盤及び石垣に関する調査・検討支援業務」が進められており、現天守の解体や天守群の復元が石垣へ与える影響を詳しく検証する段階に入っています。
小天守を復元するための史料も十分ではない
もう一つの大きな問題が「本当に昔と同じ姿を再現できるのか」です。
史跡に歴史的建造物を復元するには、位置、規模、構造、意匠などを裏付ける十分な史資料が求められます。
広島城には戦前の実測図や古写真が残されているため、大天守については比較的詳しく姿を検討できます。
一方で、東小天守や南小天守については根拠となる資料が不足しています。
有識者会議では古写真などを基に天守群全体の復元図案も作られましたが、これは完成形が決定したという意味ではありません。
今後は史資料の追加収集に加え、発掘調査によって各建物の遺構が良好な状態で残っているかを確認する必要があります。
木造復元は工事だけでも約8年を想定
木造天守を復元すると決定しても、すぐ工事に入れるわけではありません。
広島市の調査報告書では、文化庁との調整や発掘調査、設計などを経て工事着手まで少なくとも6年以上、その後も現天守の解体に加えて木造復元工事に約8年を要する想定が示されています。
過去の調査を基にした参考額では、小天守を含む天守群全体の木造復元費用は約131億円とされています。ただし、これは2021年の調査結果を引用した数字であり、今後の具体的な事業費を確定したものではありません。
長い時間を要する一方、木造建築には大規模修理を繰り返しながら建物を維持できる特徴があります。
報告書では、適切な周期で根本修理を続けることで、木造復元した天守は長期にわたり機能を維持できると整理されています。
これに対して現在の鉄筋コンクリート天守は、耐震改修や外壁・屋根の更新を行った場合でも、コンクリートの中性化などから使用可能期間は約30年とする過去の調査結果が示されています。
広島城の博物館機能は「三の丸歴史館」へ
天守が閉城した後も、広島城の歴史を伝える役割が途切れるわけではありません。
新たな拠点となるのが「広島城三の丸歴史館」です。
2027年6月1日に1階の総合ガイダンス展示・体験エリアなどが開館し、同年10月1日には2階の常設展示室・企画展示室が公開される予定です。
閉城した天守に収蔵されていた資料をはじめ、大天守・小天守模型、金箔鯱瓦、市重要文化財の広島城下絵屏風なども紹介されます。
実用情報
- 広島城天守:内部への入場は終了
- 天守外観:現在も鑑賞可能
- 二の丸復元建物:利用可能
- 二の丸ミュージアムショップ:利用可能
- 広島城三の丸エリア:利用可能
- 所在地:広島市中区基町21番1号
- 広島城三の丸歴史館1階:2027年6月1日開館予定
- 常設展示室・企画展示室:2027年10月1日公開予定
まとめ
広島城天守は、1958年の再建から68年を経て、老朽化や耐震性の問題から2026年3月22日に閉城しました。
有識者による比較では木造復元が最有力とされていますが、広島市としての最終決定ではありません。現天守の解体日や木造天守の完成時期もまだ決まっておらず、2030年度ごろまでを目安に石垣、基礎地盤、史資料などの詳細な調査が続きます。
広島城の場合、守るべきものは城の形だけではありません。
毛利輝元の時代から続く城郭の歴史、原爆で失われた旧天守、1958年に市民の力でよみがえった復興の象徴。そのすべてを次の時代へどう引き継ぐかが、これからの大きなテーマになっています。
参考リンク
広島市|広島城天守は2026年3月22日をもって閉城しました
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