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宇野重吉 72歳で全国2万キロ巡演、肺がん手術後も舞台復帰|時をかけるテレビ

時をかけるテレビ

宇野重吉が命をかけて続けた「旅公演2万キロ」

2026年10月9日放送のNHK総合「時をかけるテレビ 今こそ見たい!この1本」では、1987年のNHK特集「舞台・いのちの限り〜宇野重吉・旅公演2万キロ〜」が取り上げられます。

昭和を代表する俳優・演出家の宇野重吉さんが72歳で挑んだのは、一座を率いて全国約2万キロを巡り、町や村へ直接芝居を届ける旅でした。

その途中で肺がんの手術を受け、左肺の半分を失いながらも舞台へ復帰。舞台袖では酸素ボンベを使い、それでも観客の前では役者として演じ続けました。今回、息子の寺尾聰さんがゲストとして父・宇野重吉さんについて語ります。

この記事でわかること

  • 宇野重吉さんが72歳で始めた全国2万キロの旅公演
  • 肺がん手術後も舞台へ戻った経緯
  • 宇野重吉さんが地方まで芝居を届けようとした理由
  • 劇団民藝の創立から旅公演へつながる演劇人生

宇野重吉は72歳で全国2万キロの旅公演へ出た

宇野重吉さんが晩年に実現させた大きな夢が、自ら一座を率いて各地を巡る旅公演でした。

目的は、大都市の劇場だけで芝居をすることではありません。普段は本格的な舞台を見る機会が少ない町や村へ、自分たちから出向いて芝居を届けることでした。

その移動距離は全国約2万キロ。72歳という年齢で座長を務め、自ら舞台に立ちながら各地を巡りました。

宇野さんにとって旅公演は、単なる地方巡業ではありませんでした。

長年続けてきた演劇を、自分から観客の暮らす場所へ持っていく。その発想には、宇野さんが長く所属した劇団民藝の原点とも重なるものがあります。

劇団民藝は1950年4月3日、滝沢修さん、清水将夫さん、宇野重吉さん、岡倉士朗さんらによって創立されました。掲げたのは、多くの人々の生きる喜びや励みになる「民衆に根ざした演劇」です。

肺がん手術で左肺の半分を失っても舞台へ復帰

旅公演を続ける宇野重吉さんを大きな試練が襲います。

肺がんが見つかり、手術を受けることになったのです。

手術によって左肺の半分を失いました。それでも宇野さんは、十分に体力が戻るのを待って旅を終わらせるのではなく、再び一座へ戻りました。

舞台と舞台の間には酸素ボンベの助けを借りながら体を休ませ、それでも本番になれば観客の前へ出て演じます。

ここに、このドキュメンタリーが40年近くたった現在も再び放送される大きな理由があります。

病気を克服した人物の成功物語ではなく、病気を抱えたまま、それでも自分が最後まで続けたい仕事とは何なのか。その姿を記録した映像だからです。

宇野重吉さんは1914年生まれ。国立国会図書館の典拠情報では、1988年に亡くなっています。1987年に記録されたこの旅公演は、その演劇人生の最晩年にあたります。

なぜ宇野重吉はそこまでして地方を巡ったのか

宇野重吉さんが目指していたのは、有名な俳優として自分を見せるための旅ではありませんでした。

町や村で暮らしている人たちへ、自分たちの芝居を直接届けること。それが長年抱き続けていた夢でした。

宇野さんが創立に加わった劇団民藝も、最初から「民衆に根ざした演劇」を目指した劇団です。

東京の有名劇場だけで評価されればいいのではなく、演劇を必要としている人のところまで届ける。

72歳になって始めた旅公演は、宇野さんが若いころから積み重ねてきた演劇観を、自らの体で最後まで実行する取り組みだったと見ることができます。

劇団民藝を創立し俳優と演出家の両方で活動

宇野重吉さんは、俳優として映画やテレビに出演しただけの人物ではありません。

戦後日本の新劇を支えた劇団民藝の創立メンバーであり、俳優であると同時に演出家としても数多くの舞台を手掛けました。

劇団民藝の上演記録を見ると、1959年の「運命」、1960年の「檻」「イルクーツク物語」など、早い時期から宇野さんが演出を担当しています。

特に「イルクーツク物語」は、日本で初めて上演されたソビエト現代劇として高く評価され、その後も宇野さんは民藝を代表する演出家の一人として舞台づくりを続けました。

1980年代に入ってからも活動は止まりません。

「十二月」「驟雨」「タナトロジー」「こわれがめ」「エレジー」「こんな筈では…」「おんにょろ盛衰記」「三年寝太郎」などで演出を担当し、1987年にも「夏・南方のローマンス」「馬鹿一の夢」を演出しています。

長い演劇人生の最後に突然旅芝居を始めたのではなく、何十年も続けてきた舞台活動の延長線上に、全国を巡る一座があったことがわかります。

息子・寺尾聰が語る俳優ではなく「父としての宇野重吉」

今回の「時をかけるテレビ」では、寺尾聰さんがゲストとして出演します。

寺尾さんにとって宇野重吉さんは、昭和を代表する名優である以前に父親です。

酸素ボンベを使わなければならないほど身体に負担を抱えながら、それでも旅公演へ戻っていった父。

現在の寺尾さんが当時の父をどう見ていたのかは、この再放送に新しく加わる重要な視点です。

宇野重吉さんの仕事に対する姿勢を、舞台史だけでなく家族の側から振り返ることで、1987年の映像が現在へつながります。

「旅廻り・宇野重吉一座」という本も残されている

宇野重吉さんの旅公演は、映像だけでなく1冊の本としても記録されています。

岩波書店から1988年に刊行された「旅廻り・宇野重吉一座」です。

麥秋社編、全118ページで、宇野重吉さんの年譜や写真も収録されています。現在でも図書館などに所蔵されており、この旅公演そのものをさらに詳しく知ることができる資料です。

NHKの映像を見て宇野重吉さんの旅公演に興味を持った人にとっては、当時の一座の空気をさらにたどることができる貴重な記録です。

放送情報

  • 番組名:時をかけるテレビ 今こそ見たい!この1本
  • 内容:舞台・いのちの限り〜宇野重吉・旅公演2万キロ〜
  • 放送日:2026年10月9日
  • 放送時間:22:30〜23:30
  • 放送局:NHK総合
  • 司会:池上彰
  • ゲスト:寺尾聰

劇団民藝も、今回の放送を「宇野重吉一座の旅公演を追った貴重なNHK特集」として案内しています。

まとめ

宇野重吉さんが72歳で挑んだ全国2万キロの旅公演は、晩年の記念公演という言葉だけでは収まらないものでした。

町や村へ自分たちから出向き、直接芝居を届ける。それは、1950年の劇団民藝創立以来、宇野さんが長い年月をかけて追い続けてきた「民衆に根ざした演劇」の実践でもありました。

さらに旅の途中で肺がんの手術を受け、左肺の半分を失っても舞台へ復帰。舞台袖で酸素を吸いながら演じ続けた姿は、俳優・宇野重吉さんが最後まで何を大切にしていたのかを伝えています。

1987年に記録された映像を、息子・寺尾聰さんが父を振り返る言葉とともに見る。2026年の再放送だからこそ、仕事を続けること、誰かへ届けること、そして人生の最後まで自分の役割を果たすことの意味が、改めて浮かび上がる1本になりそうです。

参考リンク

劇団民藝公式サイト「放送のお知らせ」

劇団民藝「民藝の歴史」

国立国会図書館「宇野重吉」典拠情報

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旅廻り・宇野重吉一座


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