記事内には、広告が含まれています。

牧野金蔵(ミゲル・キング)はアルゼンチン最初の日本人移民、鉄道機関士になった生涯と大野与三松|大追跡グローバルヒストリー

人物

ミゲル・キングの正体は、アルゼンチンの鉄道史と日本人移民史をつないだ牧野金蔵

2026年9月14日放送のNHK総合「大追跡グローバルヒストリー」では、「ミゲル・キング」と記録された謎の日本人を追跡。その正体は、**牧野金蔵(まきの きんぞう)**でした。

1886年にアルゼンチンへ渡り、同国に定住した最初の日本人移民とされる人物です。さらにコルドバで鉄道員となり、蒸気機関車を動かす機関士として長く働きました。

番組で新たに見えてきたのは、牧野自身の人生だけではありません。後からアルゼンチンへ渡った日本人を支え、大野与三松が南米初の地下鉄建設に携わるなど、その先へ「日本人と鉄道」の物語がつながっていたことでした。

この記事でわかること

  • ミゲル・キングこと牧野金蔵の正体
  • 1886年にアルゼンチンへ渡った経緯と鉄道員としての生涯
  • 徳川直参の旗本というルーツと、なお残る出生の謎
  • 大野与三松とブエノスアイレス地下鉄A線へのつながり

牧野金蔵は1886年にアルゼンチンへ渡った最初の日本人移民

出典:JICA海外移住資料館「牧野金蔵」

牧野金蔵は1859年、現在の神奈川県三浦市三崎周辺で生まれたとされています。

JICA海外移住資料館によると、若いころに英国船の乗組員として海外へ渡り、1886年にアルゼンチンへ入国。その後、内陸部のコルドバへ移り、当時発展していた英国系の鉄道会社で働きました。

2026年が「日本人のアルゼンチン移住140周年」とされるのも、牧野の1886年の到着が起点になっているためです。在アルゼンチン日本国大使館も2026年を移住140周年の節目と位置づけています。

つまり牧野は、大規模な移民団の一員として渡った人物ではありません。

日本人社会がまだ形成されていない時代、一人でアルゼンチンに根を下ろした人物でした。

「ミゲル・キング」は鉄道史料に本当に残っている名前

番組で追跡された「ミゲル・キング」は、単なる愛称ではありません。

JICA海外移住資料館には、牧野金蔵が所属していた鉄道労働者組合「La Fraternidad」の組合員証が残されており、そこには**「Miguel King」**という名前が記されています。

資料では、英語名の「Michael King(マイケル・キング)」を名乗り、スペイン語圏では「Miguel King(ミゲル・キング)」として知られるようになったと説明されています。

日本名の牧野金蔵と、アルゼンチンの史料に登場するミゲル・キング。

一見すると別人のような2つの名前が、鉄道関係の記録によってつながっています。

機関車の清掃から蒸気機関車の機関士へ

牧野が働いたのは、急速に鉄道網が伸びていた時代のアルゼンチンでした。

広大な農牧地帯で生産された牛肉や小麦などを港へ運ぶ鉄道は、当時のアルゼンチン経済を支える重要なインフラでした。

牧野も最初から機関士だったわけではありません。

鉄道現場で機関車の清掃などから経験を積み、火夫を経て、やがて蒸気機関車を扱う機関士へと進んだと伝えられています。

後年の資料では、1927年に退職するまで約34年間鉄道の仕事を続けたとされています。

異国へ渡った日本人が、当時のアルゼンチンを象徴する最先端の交通インフラの現場で長年働いたことになります。

徳川直参の旗本からアルゼンチンへ渡った「サムライ」の謎

番組では、牧野家が徳川将軍家に直接仕えた旗本の家だったことも紹介されました。

明治維新によって幕府が消滅すると、幕臣たちはそれまでの身分や生活基盤を失い、それぞれ新しい道を探すことになります。

国立歴史民俗博物館の樋口雄彦さんは、こうした社会の大変化が、牧野が海外を目指した背景にあった可能性を指摘しました。

ただし、ここにはまだ謎が残っています。

旗本であれば江戸に屋敷を構えて生活するのが一般的だった一方、牧野は三浦三崎で生まれ育ったと伝えられています。

番組取材班も三浦市で調査しましたが、牧野本人へ直接つながる新たな手がかりは得られませんでした。

そのため「旗本の家に生まれた青年が、なぜ三浦で育ち、英国船に乗って世界へ出たのか」という部分は、牧野の生涯に残された大きな空白です。

アマリアと家庭を築き、アルゼンチンに根を下ろした

牧野はアルゼンチンへ一時的に出稼ぎに来ただけではありません。

国立国会図書館には、牧野金蔵(キング・ミゲール)とアマリア・ロドリゲスの1892年8月12日付の結婚証明書を含む関連資料が所蔵されています。

JICA海外移住資料館には1908年の牧野一家の写真も残り、妻アマリアや子どもたちとともに暮らしていた姿を確認できます。

番組ではコルドバ郊外に暮らす子孫も取材。

91歳のルベン・キングさんは、会ったことのない祖父・牧野について、その生き方が家族に受け継がれていることを語りました。

「キング」という姓そのものが、牧野がアルゼンチンで築いた人生を現在までつないでいるわけです。

牧野金蔵は後から来た日本人たちを支えていた

牧野の重要性は、「最初に来た」という記録だけではありません。

日本人がほとんどいなかった時代から現地で生活していた牧野は、その後アルゼンチンへ渡ってきた日本人たちを助けました。

番組で特に取り上げられた一人が大野与三松です。

JICA海外移住資料館によると、大野は1907年にアルゼンチンへ到着し、コルドバ駅で働いた後、ブエノスアイレスの建築会社へ入りました。

牧野一家と大野が一緒に写った1908年の写真も残されています。

ここから、牧野の物語は一人の鉄道機関士の人生を超えていきます。

大野与三松は南米初の地下鉄A線建設に参加

大野与三松は慶應義塾で学び、福澤諭吉から学んだ記録も残る知識人でした。

ブエノスアイレスへ移った大野が関わったのが、急増する人口と交通渋滞を解消するために計画された地下鉄建設です。

当時、地下鉄そのものが世界でもまだ珍しい時代でした。

大野は現在のブエノスアイレス地下鉄A線の工事に参加。A線は1913年に開通し、南米初の地下鉄となりました。

東京の地下鉄銀座線が開通したのは1927年ですから、ブエノスアイレスでは日本より14年も早く地下鉄が走り始めていたことになります。

牧野がアルゼンチン鉄道で築いた足場が、後から来た日本人へとつながり、その一人が地下鉄という新しい交通インフラの建設へ進んでいった。

今回の番組で特に印象的だったつながりです。

故郷の三浦を思いながら1929年に生涯を終えた

長くアルゼンチンで暮らした牧野ですが、日本を忘れていたわけではありません。

後年の聞き取りでは、三浦の海南神社の祭りや海、磯菊などを懐かしみ、食べ物では「わかめのみそ汁」を恋しがっていたことが伝えられています。

1927年に鉄道の仕事を退職。

そして1929年8月19日、71歳で亡くなりました。

世界の反対側へ渡り、その土地で鉄道員として働き、家庭を築き、後からやって来る日本人たちを助けた牧野金蔵。

華々しい実業家や政治家ではありません。

一人の鉄道員として積み重ねた仕事と人とのつながりこそが、140年後まで名前が残った理由なのかもしれません。

日本の鉄道とのつながりは現在のアルゼンチンにも残る

番組の最後では、現在のアルゼンチンで日本から渡った鉄道車両が使われていることも紹介されました。

東京メトロ丸ノ内線で使われていた車両や、名古屋市営地下鉄東山線の車両など、日本で役目を終えた車両が海を越えて走っています。

1886年、一人の日本人・牧野金蔵がアルゼンチンの鉄道で働き始めたことから140年。

牧野から大野与三松へ、さらに現在走る日本の鉄道車両へ。

「アルゼンチンと日本を鉄道がつないできた」という一本の長い歴史が、今回の「大追跡グローバルヒストリー」では浮かび上がりました。

まとめ

「大追跡グローバルヒストリー」で追跡された謎の日本人「ミゲル・キング」の正体は、牧野金蔵でした。

1859年に三浦三崎で生まれたとされ、英国船で海外へ渡った後、1886年にアルゼンチンへ定住。コルドバの鉄道会社で働き、蒸気機関車の機関士として長い人生を送りました。

さらに重要なのは、後から来た日本人を支えたことです。

その一人、大野与三松はブエノスアイレス地下鉄A線の建設へ参加しました。

アルゼンチン日本人移住140周年の出発点にいた人物であり、同時に日本とアルゼンチンを「鉄道」で結んだ最初期の人物でもある。

牧野金蔵が「伝説の鉄道員」として今も語り継がれる理由が、そこにあります。

参考リンク

おすすめ関連商品

 


気になる生活ナビをもっと見る

購読すると最新の投稿がメールで送信されます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました