狩野宗眼重信と150年ぶりに再会した襖絵
2026年9月12日放送のテレビ東京系『新美の巨人たち』では、桃山時代末から江戸時代初期に活躍した狩野派の絵師・狩野宗眼重信(かのう・そうげん・しげのぶ)が取り上げられます。大英博物館、アメリカのシアトル美術館、青森県の宮越家に散らばっていた襖絵が約150年ぶりに東京で再会。そこから浮かび上がってきたのは、狩野家の血を引かない門人でありながら、大規模な障壁画を任された宗眼重信の確かな実力でした。
この記事でわかること
- 狩野宗眼重信の経歴と狩野派での位置づけ
- 徳川家康と談山神社の襖絵がつながる理由
- 大英博物館・シアトル美術館・宮越家に分かれた襖絵の来歴
- 150年ぶりの再会を見られる東京都美術館の会期・料金・アクセス
狩野宗眼重信は狩野永徳の弟・宗秀に学んだ実力派絵師
狩野宗眼重信は、16世紀後半から17世紀前半に活動した狩野派の画家です。正確な生没年は伝わっていませんが、安土桃山時代の終盤から江戸時代初期という、日本の政治も美術も大きく変わった時代に活躍しました。
師匠は狩野宗秀。宗秀は、織田信長や豊臣秀吉の時代を代表する天才絵師・狩野永徳の実弟です。
つまり宗眼重信は、永徳本人の弟子ではありませんが、そのすぐ近くの系統で狩野派の技法を学んだ人物でした。しかも狩野家の血縁者ではなく、門人として技量を磨いて頭角を現した絵師です。静岡県立美術館は、京都だけでなく加納藩、現在の岐阜周辺でも活動していたことを紹介しています。
宗眼重信の力量がよく分かる現存作が、静岡県立美術館所蔵の《帝鑑図・咸陽宮図屏風》です。
金箔を敷いた画面に鮮やかな色彩を使い、力強い岩や人物を描いた六曲一双の屏風で、同館は「永徳系絵画の逸品」と位置づけています。かつて高橋是清が所蔵していた作品でもあります。
宗眼重信は歴史の教科書に大きく登場する絵師ではありません。しかし、現存作品を追っていくと、狩野派の大仕事を任せられるだけの技量を持った「現場の実力者」だった姿が見えてきます。
徳川家康ゆかりの大仕事は談山神社の学頭屋敷だった
今回の襖絵がもともと置かれていたのは、奈良県桜井市の多武峰にある現在の談山神社です。
談山神社は現在は神社ですが、幕末までは神仏習合の寺院として存在していました。その歴史を大きく動かしたのが1612年です。
美術史家・山下善也氏による研究では、この年、賢盛法印が徳川家康の命によって初代学頭に任命され、多武峰の復興に力を注ぎました。「学頭」は山内を統括する重要な立場です。その学頭が暮らした屋敷を飾った障壁画群の作者として浮かび上がったのが狩野宗眼重信でした。
山下氏は談山神社に残る膨大な古文書を調査し、学頭屋敷に「花鳥の間」と「富士の間」があったことを示す略図を発見しています。
特に面白いのが「富士の間」です。
宮越家に伝わった《名所風俗図襖》には三保松原や三島宿など、富士山を望む東海道の景観が描かれていました。山下氏の研究では、この作品こそ「富士の間」を飾っていた襖絵だったと考えられています。
富士山を望む駿府は徳川家康と非常に縁の深い土地です。賢盛法印も家康の命によって学頭となりました。そのため学頭屋敷に描かれた富士の景観は、単なる名所絵ではなく、多武峰復興の出発点や家康との関係を象徴する意味を持っていたと読み解かれています。
『新美の巨人たち』が「なぜ狩野家の血を引かない絵師が徳川家康ゆかりの大仕事を任されたのか」に注目する理由もここにあります。
宗眼重信は宗秀門下で狩野派の技術を身につけ、豪華な金地屏風を描くだけの力量を備えていました。血筋だけでなく、巨大な空間をまとめ上げる実務能力を評価された絵師だったことが、今回の障壁画研究からより鮮明になってきたのです。
大英博物館と宮越家の襖絵は本来つながった1つの風景だった
今回もっとも大きな発見となったのが、大英博物館所蔵の《秋冬花鳥図襖》と、青森県の宮越家に伝わる《春景花鳥図襖》の関係です。
2作品を並べると、岩や水辺の形がつながります。さらに空を飛ぶ雁にも連続性があり、金銀の切箔・野毛・砂子などの加飾方法にも共通点があります。
つまり別々の美術品だと思われていた作品は、本来1つの大きな四季の風景を構成する襖絵だったのです。
《春景花鳥図襖》では、雪解けの渓流から満開の桜へと季節が進みます。ヤマザクラには白い顔料を厚く盛り、花が浮かび上がって見えるような立体的な表現が使われています。
一方の《秋冬花鳥図襖》では、雁、鴨、千鳥、ツバキ、ウメ、カエデなどが描かれ、秋から冬へ移る自然が表現されています。水面に使われた深い群青色も、桃山時代末から江戸初期の狩野派らしい華やかさを感じさせます。
展覧会公式サイトでは、四季花鳥図という画題そのものに「理想的で調和の取れた世界」という象徴的意味があると説明しています。番組が襖絵に込められた「平和への祈り」に注目するのも、この調和した自然世界と無関係ではありません。
襖の裏面はシアトル美術館に渡っていた
話はさらに複雑です。
大英博物館の《秋冬花鳥図襖》には、もともと裏側にも絵がありました。それが現在シアトル美術館に所蔵されている《琴棋書画仙人図襖》です。
「琴棋書画」とは、琴などの音楽、囲碁、書、絵画という、中国の文人が身につけるべき4つの教養を意味します。右端には「瓢箪から駒」の由来で知られる仙人・張果老も描かれています。
金箔や金泥、緑青など高価な材料を惜しみなく使った豪華な作品で、《秋冬花鳥図襖》とは1930年代に表裏が分離されました。《秋冬花鳥図襖》は1937年から大英博物館、《琴棋書画仙人図襖》は1951年からシアトル美術館が所蔵しています。
一方、宮越家の襖絵は1922年、宮越家9代目の宮越正治が東京で18面を購入したものです。その後、青森県中泊町にある宮越家の離れ「詩夢庵」にしつらえられ、長く受け継がれてきました。
もとは奈良の1つの建物を彩っていた作品が、青森、ロンドン、シアトルへ。
明治期以降の激動を経てバラバラになった襖絵が、約150年後に東京へ集まったことが今回の「奇跡の再会」です。
作者が狩野宗眼重信だと分かった背景に2026年の研究成果がある
この襖絵には、作者をめぐる長い研究史もあります。
大英博物館とシアトル美術館に分かれた作品については、以前から狩野孝信説など複数の見方がありました。
転機となったのが、美術史家・山下善也氏らによる再調査です。
山下氏は宮越家の《春景花鳥図襖》が大英博物館の《秋冬花鳥図襖》につながることを確認したうえで、襖絵群の人物表現や描法を宗眼重信の確実な作品と比較。狩野宗眼重信作とする説を支持しています。
2026年7月には、日本・東洋古美術研究誌『國華』第1569号が「宮越家詩夢庵の襖絵とステンドグラス」を特集。
山下氏による「談山神社障壁画空間の復元的考察―日英米に分蔵された狩野派襖絵をもとに―」に加え、大英博物館のロジーナ・バックランド氏による宗眼重信の《四季花鳥図》、シアトル美術館側による《琴棋書画仙人図》の解説も収録されています。
「有名な狩野永徳の陰にいた無名の絵師」ではなく、桃山から江戸へ移り変わる時代の狩野派を実際に支えていた重要な門人絵師として、宗眼重信の評価そのものが変わりつつあるのです。
150年ぶりに再会した襖絵は東京都美術館で見られる
襖絵が一堂に集まっているのは、東京都美術館開館100周年記念「大英博物館日本美術コレクション 百花繚乱~海を越えた江戸絵画」です。
会期は2026年7月25日から10月18日まで。会場は東京都美術館の企画展示室です。
開室時間は9時30分~17時30分で、金曜日は20時まで。入室はいずれも閉室30分前までです。原則月曜日と10月13日が休室ですが、9月21日、10月12日など一部の祝日は開室します。
観覧料は一般2,300円、大学生・専門学校生1,300円、65歳以上1,600円。18歳以下と高校生以下は無料です。
東京都美術館は東京都台東区上野公園8-36。JR上野駅「公園改札」から徒歩約7分、東京メトロ上野駅7番出口、京成上野駅からはいずれも徒歩約10分です。専用駐車場はありません。
東京展終了後は、2026年10月31日から2027年1月31日まで大阪中之島美術館への巡回も予定されています。
まとめ|狩野宗眼重信は大仕事を託された狩野派の実力者だった
狩野宗眼重信は、狩野永徳の弟・宗秀に学び、16世紀後半から17世紀前半に活躍した狩野派の絵師です。
狩野家の血縁ではありませんでしたが、《帝鑑図・咸陽宮図屏風》などの現存作からも分かる通り、金地を使った大画面をまとめる高い力量を持っていました。
その宗眼重信が手掛けた一連の襖絵は、徳川家康の命によって1612年に学頭となった賢盛法印の屋敷を飾っていたと考えられています。「花鳥の間」「富士の間」といった空間まで研究によって復元され、作品と家康、多武峰復興との関係も見えてきました。
さらに、奈良から散逸した襖絵は大英博物館、シアトル美術館、青森の宮越家へ渡り、約150年を経て東京都美術館で再会しました。
『新美の巨人たち』をきっかけに狩野宗眼重信の名前を知った人にとって、今回の展覧会は「知られざる絵師の代表作」を、本来の空間に近いまとまりで見られる非常に貴重な機会になっています。
参考リンク
「大英博物館日本美術コレクション 百花繚乱」公式サイト・みどころ
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